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三十二、鮮血に濡れ
「おおおおおお!!!」
二人の雄叫びが、大地を揺るがす。
叢雲で雷燕の鋭い鉤爪を受け止めると、ぶつかり合った切っ先同士が激しく火花を散らした。そこから突風のような妖気の渦が生まれ、大地をばきばきと砕いてゆく。
千珠は歯を食いしばり、目を見開いて雷燕の目を見据えた。
雷燕は無表情に千珠を見下ろしていた。その瞳の奥には、黒黒とした炎が渦巻き、憎しみの全てを飲み込んでいるかのような色をしている。
千珠が瞬きをすると、その目が紅く染まり、瞳孔が縦に裂ける。その変化に、雷燕の表情が一瞬動いた。
「俺を敵とみなしたか。俺のもとに来るならば、生かしてやろうと思ったが……」
低い声で、雷燕はそう言った。
千珠は、唇を吊り上げ、にやりと笑う。
「馬鹿を言うな。はじめから殺す気だったくせに」
「ふ、人間にほだされていても、それくらいは分かるようだな」
雷燕が大きく翼を広げた。千珠ははっとする。また針のような黒い羽が襲いかかって来るに違いない。
千珠は刃を引いてぱっと距離をとった。なるべく、陰陽師衆からは離れなければいけない。
「人に飼われるなど……この恥さらしめが!!」
雷燕が吼え、解放された妖気とともに、鋭く黒い羽が千珠に襲いかかる。その数は、以前食らったものとは桁が違った。
千珠は低く構えると、すっと懐に手を入れ、一枚の護符を取り出した。その札はすいと自ら空中に飛ぶと、千珠の胸の前でピタリと止まった。
千珠はその札の前に左掌を掲げると、そこに妖気を一気に送り込む。
金色の光が、千珠を守るように光を放つ。襲いかかってきた数千の羽は、その光に呑まれて煙のように消えた。
「……小癪な!」
眩い光に目を焼かれ片腕で目を庇った雷燕は、悔しげにそう言い捨てる。そして闇雲に千珠の方へと鉤爪を振りかざした。
千珠はその光の膜の中から飛び出して、雷燕の脛のあたりをを横薙ぎに斬りつけた。薄汚れた土色の袴のようなものに包まれている脚から、血が吹き出す。
しかしそれくらいの傷では怯む様子もない。雷燕はにいと笑い、刀を振りぬいた千珠の腕を捕まえると、ぐいと自分の方へ引き寄せた。
懐に囚われ、雷燕の顔がすぐ間近に。千珠は目を見開いた。
「! しまっ……」
「捕まえた。……くくく、喰い殺してやろう」
「……なぁんてな」
千珠は、口を開いて牙をむく雷燕の懐の中で不敵に笑ってみせると、素早く叢雲を逆手に持ち替え、思い切り雷燕の鳩尾 を貫いた。
「ぎゃああああ!!!!」
背中まで突き抜けた叢雲の刃は、真っ赤な血で濡れていた。雷燕は苦しげな咆哮を上げ、千珠の首を力任せに掴み上げる。容赦なく細首を締め上げるその力に、千珠は空気を求めてもがいた。
「が……はっ……!!」
「……お前ごとき小童が、この俺に傷を付けるとは……!!」
「あっ……がっ」
千珠の首をへし折ろうとする雷燕が、残忍な笑みを浮かべて舌なめずりをした。苦痛に歪む千珠の顔をうっとりと見つめながら。
その手を外そうとあばれてみても、千珠の力ではびくともしない。
「お前は美しい。苦痛に歪むその顔も、たまらないな……。くくくっ、もっともっと苦しめて、殺してやろう」
雷燕は空いた左手を持ち上げると、見せつけるように人差指を立てた。千珠が目を開くと、雷燕は愉しげに笑いながら、その指を、ゆっくりと千珠の腹に突き刺してゆく。
ずぶ……と肌を裂き、腹の中を禍々しいものが貫いてゆくおぞましい感触、そして焼け付くような激痛が千珠を襲う。
「あ、あ、ああああああ!!!」
「俺を貫いたお返しだ」
千珠は苦痛に叫び声を上げた。雷燕はなおも楽しげに、そんな千珠を見つめている。雷燕の腕を伝って、千珠の血が滴った。
ずぷ、と指を抜き取られた傷から、大量の血が噴き出し、ぼたぼたと岩肌を濡らす。腹を埋める圧迫感からは解放されたものの、灼熱に焼かれるかのような痛みに全身を支配され、千珠は首を締められたまま意識を失いかけていた。
雷燕は、人差指にべったりと付着した千珠の血を、べろりと舐め取った。
「美味だ。お前を食えば、俺は更に強くなる。そこにいる陰陽師共もろとも蹴散らして、この国を終わりへと導いてやろう」
「……つ、よく……だと」
「ほう、口がきけるか。伊達に鬼の血を持っていないようだな」
「強いって……のは、そういう……ことじゃ……ないだろう!!」
千珠が目を見開いた。その身体から青白い千珠の妖気が、燃え上がる。
手を離れていた叢雲を見据えて、千珠はその柄目掛けて踵を振り下ろした。鳩尾に突き刺さっていた叢雲の刃が、その胸を斬り上げたのだ。
雷燕は驚愕の表情を浮かべて咆哮を上げ、忌々しげに叢雲を抜き取って地面に叩き付けた。
ぶしゅううぅ……と傷口から大量の血が流れ落ち、千珠のそれと交じり合う。
「ぐっ、ぬぅうう!!どこまでも……小癪な……!!」
怒りに震える雷燕は、再び千珠の首を思い切り締め上げた。胸を押さえる指の間から、どくどくとどす黒い血が溢れ出すのも構わずに。
「あぁ……ぐ、は……っ!!」
「もういい、お前は死ね」
雷燕が千珠を引き寄せて、その首を食い千切らんと口牙を剥いた。熱い唾液が千珠の顔に飛び散り、鋭い牙の並ぶ歯列が目の前に迫り寄る。
「くそっ、くそっ……!!お前などに、殺されてたまるか!!」
必死で藻掻く千珠の抵抗など、雷燕には何の意味もなさないようであった。肩口に突き立つ雷燕の牙の感触に、千珠の表情が凍りつく。
しかし次の瞬間、重い衝撃と同時に千珠の身体は自由になった。
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