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四十六、重なる唇

 その後、千珠は宇月の自室へと足を向けた。  城の中腹にある書物庫のそばの六畳間を与えられており、調べ物や書付の仕事の多い宇月は一日中そこから出てこない日も多かった。  書物庫などに用事のない千珠は、実は初めて宇月の部屋を訪れる。  夜暗の中、細く急な階段を登ると、古い本の匂いがぷんと漂った。おびただしい書物の背表紙が並ぶ書物庫の奥に、ぼんやりと灯りの漏れる扉が一つ。  千珠はやや緊張しながら、そちらへゆっくりと足を向けた。  宇月の匂いがした。微かに物音がするところをみると、まだ起きているらしい。  千珠は軽く戸を叩いて少し待つと、さっと扉が開いて宇月が顔を出した。 「千珠さま……!」  宇月は部屋を飛び出して、千珠に抱きついた。宇月の身体を抱きとめると、その懐かしい温もりに胸が苦しくなる。何故こんなにも恋しい女のそばから離れてしまったのだろうと、千珠は痛いほどにそう思った。 「千珠さま……!よかった……!」  涙を流しながら自分にすがりつく宇月を、千珠は心から愛おしいと思った。その背を強く抱き返して、二人はしっかりと存在を確かめ合う。 「ごめん……」 「ごめんでは、済まないでござんす!!馬鹿な人!!」  突如怒り始めた宇月に驚いて、千珠ははたとその顔を見下ろした。泣きながら怒っている宇月は、千珠の衣を握りしめて真っ赤な顔をしている。 「私がどんな思いでいたか、分かるでござんすか!光政様が倒れられた時の私の気持ちが、分かりますか!」 「……ご、ごめん」 「もう絶対、どこにも行かないでくださいませ!ずっと、私のそばから離れないと、約束するでござんす!!」 「……や、約束する。ごめん……」  宇月は低姿勢な千珠の謝罪に、はっと我に返ったらしい。そして涙をくいと拭うと、ばつが悪そうに千珠から離れた。 「すみませぬ。雷燕の気に操られていたのを忘れていました……」 「ううん、いいんだ。お前がそんなに怒るなんて……ちょっと嬉しかった」 「……まぁ」  宇月は千珠を見上げると、ひとまず部屋の中へ招き入れてくれた。初めて入る宇月の自室、千珠は緊張しつつも中に入って座り込んだ。 「お前、こんな時間まで仕事してたのか?」  山積みになった書物と、硯箱を見ながら千珠はそう言った。宇月は微笑んだ。 「眠れなかったので……。最近は光政様のお勉強にお付き合いしておりました」 「殿が勉強?何を?」  千珠はやや驚いて、目を瞬かせる。 「ここ数年の、霊的な事件が続いているでしょう。殿はそう言った知識は一つも無いと仰って、私に教授して欲しいと頼まれたのです」 「へぇ……政で忙しいから、興味ないと思ってたな」 「ご多忙の合間を縫っておられるのでござんす。それもこれも、千珠さまのためでもあるでござんす」 「俺の?」 「はい。あなたの主として、千珠さまが動きやすいようにするためには、自分ももっと知識を得ておかねばならないと。熱心なお方でござんす」 「……そうなんだ」  光政の穏やかな笑顔と、先ほどの必死な表情が目に浮かぶ。自分の知らない所で、そんな努力をしている光政に感謝の気持ちが湧き上がる。  黙りこんだ千珠に、宇月はこう言った。 「千珠さま。あなたは国の宝なのです」 「宝……?」 「兵器だ、武力だ、と国の外の者はそう言うでござんすが、あなたの存在は青葉にとっては宝でござんす。光政様もそうおっしゃいますし、忍のお方たちや門下の方々を見ていても、皆が千珠さまを大切に思っておいでなのがよく分かるでござんす」 「……」 「無論、私にとっても」  千珠はじっと、宇月を見つめた。宝などと言われるのは初めてで、千珠は沸き上がってくる気持ちの正体が分からなかった。  宇月はにっこりと笑った。 「千珠さまのお名前、珠というのは宝という意味でござんす。お母上の名と千瑛殿の名を取っておられるのでしょうが、宝物という意味も込めて名付けられたのでしょうね」 「……そんな事、考えたこともなかったな」  千珠は胸を押さえた。ふつふつと湧いてくる思いが、甘く千珠の胸を押す。目を閉じて、じっとその気持ちを感じようとした。  宇月は微笑みながら、千珠を見つめていた。  目を開けて宇月と目を合わせた千珠は、その頬に手を伸ばす。宇月は添えられたその手に、首を傾けて寄りかかるようにして、自分からも頬を寄せた。  千珠は宇月を抱き寄せた。正座していた宇月は、引き寄せられて体勢を崩し、千珠に全身を預けるような格好になる。 「……あっ。すみませぬ」  慌てて起き上がろうとする宇月を、千珠はもっと強く抱きしめた。ふんわりと暖かく柔らかい宇月の匂いが、心地いい。 「宇月……」  千珠は宇月の目を見つめる。蝋燭の明かりに揺れる宇月の目には、いつものような緊張感はなかった。  ゆっくりとその唇を塞ぐ。宇月は、すんなりとその行為を受け入れているように感じられた。  正直なところ、ずっと我慢を重ねていた千珠は、思い切って宇月の唇に舌を割りこませてみた。ぴく、と宇月の身体が反応するが、拒まれはしなかった。  千珠はぎゅっと宇月の身体を抱きしめながら、じっくりと時間をかけて宇月の唇を感じてゆく。鼓動が早くなり、身体が熱くなってくるのを感じる。自分の身体の昂ぶりを感じて、千珠は更に深く宇月に口付けた。 「ん……、千珠さま……あの……」  そんな千珠の行動に戸惑ったのか、宇月は千珠の胸を押し返そうとした。千珠はその手を握り込むと、強く宇月を掻き抱いた。 「……これ以上……焦らさないでくれ」 「えっ……」 「俺……お前を抱きたいんだ」 「千珠さま……」 「でも、お前が嫌がることはしたくない。でも……もうあまり我慢もできそうもない」  千珠はじっと、宇月を見つめた。  宇月は、真っ赤になっている。琥珀色の瞳が、橙色の炎の光を受けて宝石のようにきらめいているのを見つめながら。 「好きなんだ、宇月……」 「あ……」  拍動が、限界まで高まる。手が、宇月の羽織りに自然とかかる。  すっと羽織りが落ち、結っていた髪の毛の紐を解かれる。さらり、と長くなった宇月の焦げ茶色の髪の毛が肩の上を滑った 「いや、か……?」  そんな問いに、宇月は首を振った。千珠は少し微笑むと、宇月の前で自らの衣を解き、上半身裸になる。白く艶やかな裸体にはまだまだ生々しい傷が残っていて、宇月は恥じらうように目線を彷徨わせつつも、そっと千珠の傷の上に指を触れた。  その小さな手をしっかりと握りしめると、宇月はいよいよ顔を赤くして俯き、もごもごとこんなことを言う。 「あの……わたし……どうしていいか……」 「何も、考えるな。今だけ……」 「んっ……」 「俺だけ、見ててくれ……」  千珠は熱い吐息と共にそう言って、また宇月の唇を吸った。うっとりと潤んだ宇月の目は、どんな星空にも劣らぬほど美しい。 「好きだよ……宇月」  自分の唇が、素直に何度も愛を告げることに、千珠自身が一番驚いていた。何も考えずとも、吐息のように溢れる愛の言葉を。  宇月が愛おしくてたまらない。  千珠はひたすらに、宇月を愛した。  やさしく、壊さないように、そっと、そっと。  

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