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六、武力としての千珠

 その夜。  千珠、柊、宇月を加えた五人で忍寮の一間に入り、佐為の話を聞くこととなった。  宇月を見た佐為は、再び嬉しそうに再会を喜ぶ。 「宇月、なんかまた綺麗になったね。千珠のおかげかな?」 「何を言っているでござんすか。私は何も変わらないでござんす」  そう言って佐為に微笑みかける宇月は髪が伸び、以前よりもぐっと女らしい雰囲気を漂わせていた。相も変わらず宇月は陰陽師衆の黒い狩衣姿であり、佐為とは揃いの装束だ。  その隣に座る千珠は、腕組みをしてじっと何か考え込んでいる。 「業平殿は、お変わりないですか?」 と、柊は落ち着いた口調でそう尋ねた。佐為はしっかりと頷く。 「はい。陰陽師衆棟梁として、朝廷にもすっかり認めていただいております。やはりあの方でなければ、陰陽師衆はまとまりません」 「そうですか。何よりです」  柊は微笑んだ。佐為は茶を一口すすると、一息ついて話し始めた。 「さて、僕がここへ来た理由ですが……。千珠の力を狙う輩が現れたということを、お伝えに来たのです」 「何やと」  舜海の顔が険しくなる。千珠は、前もって光政に聞いていたため、じっと静かに目を閉じていた。 「都では、青葉の鬼が夜顔の力を奪い取ったという話が流れています。もちろん、都がそれによって護られたということは、皆存じています。雷燕の一件も都に噂が届いていますから、雷燕・夜顔親子を倒した千珠のことが、更に有名になっているわけです」 「この国の英雄たる千珠さまを狙うというのか。えらく自信過剰な企てに聞こえるが……」 と、柊。 「しかし千珠の居所はここだと知られている。ということは、そいつらはここへやって来るっていうことなんやな?」 と、舜海は佐為に尋ねる。佐為は頷いた。 「千珠がそんな奴らに負けるとは思わないが、用心しておくに超したことはないからね。でも、そういう奴らと霊的な術を用いてやり合えるのは、舜海か宇月だけだ。土御門衆としては、何人かこちらに術士を派遣してもいいと考えています」 「そんな奴らに、俺はのうのうと捕らえられたりはしないけどな」 と、千珠。佐為はごもっともと頷きつつも、更にこんなことを言った。 「または、千珠が都へ来てはどうかという話も出た」  その言葉には、皆がぴくりと反応する。佐為は言いにくそうに続ける。 「分かってもらえるとは思うけど……。朝廷の中には、千珠の力を青葉という一国が所有していることを快く思っていないものもいるんだ。戦を知っている者は、特にね」 「……」  千珠は、じっと床に目線を落とす。  この手で切り裂いた何百という兵士たちの顔と、血の匂い、怒号が記憶の中に蘇る。かつてその罪悪感に苛まれ、意識を取り戻せないまでに堕ちたこともあったものだ。 「都は君に護られたが、いつその力を都へ向けるか分からないという声もあるんだ。今の帝は君を信頼しているから、表向きはそういう動きは目立っていないがね」 「そんな……」  宇月は正座した膝の上で、ぎゅっと拳を握り締めた。気遣わしげに千珠の横顔を見る。 「光政殿は都との関係も良いから、当分は大丈夫だと思う。でも、そういう危険な千珠の存在を遠くにおいておくよりは、監視の目の行き届きやすい都へ置いておくのが安心……ということだ」  佐為はため息をついて、話を終えた。皆がじっと黙っていた。  千珠は、ふいと顔を上げて茶を飲み干すと、息をついた。 「まったく、人間ってのは色々と面倒なことを考える生き物なんだな。ご苦労なことだ」  思いの外、けろりとした千珠の表情に、佐為は安堵したように肩の力を抜いた。 「全くだね」 「別に俺はそんな事企みもしないし、光政だってそんな事考えもしないさ」  千珠はあぐらをかいていた脚を伸ばすと、後ろに手をついて、緊張感のない格好をする。 「そのへんの祓い人に、やられてやるつもりもない。舜海と宇月がいれば、十分だ」 「そうやな」 と、舜海も頷く。佐為はにっこりと笑うと、 「一応、伝えることは伝えたからね。ああ、疲れた。怒られるんじゃないかと思って、ひやひやしてたんだ」  と言って脚を投げ出し、肩をぐいぐいと手で押さえた。 「何で俺が怒るんだよ」 「だって、俺を道具扱いしてー、とかそういうこと言い出すんじゃないかと思って」 「今さらそんなこと言うかよ。もう慣れてるよ」  千珠は事も無げにそう言うと、置いてあった都土産の茶菓子を口に放り込んだ。 「そうだね。あ、そうだ。業平様からの土産で、この城と国全体とに防御結界と感知結界を張るための護符をいただいてきてるんだ。あとで仕掛に行くから、国を案内してよね」 「まぁ業平様、そこまでしてくださったのでござんすか」 と、宇月は感嘆の声を上げる。 「業平様は、舜海と宇月っていう弟子が二人もこの国にいるんだから大丈夫だろうと言っていたんだけど、面倒事が増えないようにって、僕に持たせてくれたんだよ」 「ありがたいことでござんす」 「ほんまやな」  業平の爽やかな笑顔が思い出された。いつでも力を貸す……そう言っていた言葉と共に。 「今夜中に行くかな? 」と、柊は佐為に尋ねた。 「うーん、明るいうちのほうがいいんだ。明日の朝行こうか」 「分かった。じゃあ、舜海と佐為殿、宇月と俺で別れていこう」 と、柊はてきぱきと指示を出す。 「あれ、俺は?」 と、千珠はのんびりした声を出した。 「槐殿が来てるんやし、たまにはゆっくり遊んであげたほうがいいでしょう。せっかく、兄弟って分かったんや」 と、柊は笑ってそう言った。 「まぁ、そうでござんしたか」  そのことは初耳だった宇月は、嬉しそうに笑顔を浮かべて千珠を見た。千珠も穏やかに微笑んで宇月を見返す。 「滅多に会えないのでござんすから、しっかりお相手してあげるでござんす」 「ああ、そうだな」 「……」  佐為はじっとそんな二人のやり取りを観察しながら、ちらりと舜海も見る。舜海は特に変わった様子もなく、茶菓子に手を出していた。  ふと佐為の視線に気づいた舜海は、訝しげに首をひねる。 「なんや?」 「いえ、別に。あ、それ、すごく甘いよ。舜海は甘いもの嫌いだったでしょ」 「知っててなんで持ってくんねん」  舜海は渋い顔で佐為を睨んだ。佐為は糸目になると、ごそごそともう一つの風呂敷を探ると、そこから一升瓶を取り出した。 「君にはこれ。伏見のお酒」 「おお!気が利くやないか!」  舜海の顔が輝く。 「今夜一杯やるか、柊」 「ええなぁ。佐為さまもどうや?」 「いいですけど、僕、酔うと絡みますよ。それに付き合ってもらえるんなら」  舜海と柊は、陰陽寮での宴会のことを思い出した。千珠と佐為の酔った姿が脳裏に浮かび、二人は目を見合わせた。 「いや、ここは大人だけで飲もう」 と、柊。 「せやな」 と、舜海も答える。 「僕も十分大人なんだけどね」 「まあまあ、佐為と槐さまにはお部屋を準備してもらいましたから、そちらでひとまず休むでござんすよ」  宇月はそう言って、立ち上がった。 「千珠、僕の部屋で一緒に寝ようよ。慣れない布団だと寝つきにくいんだ」 と、佐為はそんな事を言ってにっこり笑う。千珠は嫌そうな顔をして、「槐だけならいいけど……お前と眠るのは危険な気がする」と言った。 「やだなぁ、槐がいるんだから大丈夫だって」 「佐為は舜海と寝たらいいじゃないか」 「嫌だよ。むさくるしい、暑苦しい」 「お前らは人を何やと思ってんねん」  舜海はびき、とこめかみに青筋を浮かべると、立ち上がって伸びをした。 「まぁ俺は今夜はここで飲んでるから、部屋なら好きに使え」  と言い残すと、忍寮を出て行った。  佐為は今度は宇月を見ると、にっこり笑ってこう言った。 「じゃあ、宇月の部屋で僕は寝ようかな」 「それは駄目だ」  即座に千珠がそう言って、じろっと佐為を睨む。佐為は面白そうに笑った。 「ははは、冗談だよ。かわいいなぁ、千珠は」 「……」  千珠ははたと我に返ったように、赤面する。宇月はただにこにことしてそんなやりとりを見ていた。  そして柊も、くすりと笑って目を細めた。

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