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九、柊の嫁取り

 千珠が城へ戻ると、またどこか城の中が騒がしいことに気づく。赤子の泣く声が響き、いつもと違う人間たちの臭いがした。 「なんだ、今日は客が多いな」  千珠はそう呟くと、忍装束の頭巾を外しながら、人の気配の多い広間の方へと歩を進めた。  中を伺うように覗きこむと、そこには髪の長い女が背を向けて座っており、その横には柊と舜海が座って談笑していた。そこには竜胆と佐為もいる。  千珠は怪訝に思って、ひょいと中へ入った。 「お、千珠。帰ったんか」  舜海が千珠に気づくと、会話を切り上げてそう言った。  女がくるりと振り返る。  柊によく似た面差しで、女らしい華やかさのある顔立ちをした女。柊の姉、椿である。 「あらぁ、千珠!久しぶりやねぇ。相変わらず男前やな!」 「あ……どうも」  千珠は、押しの強いこの椿のことが少し苦手だった。その場から去ろうとするも、すぐに椿に腕を捕まれ、強引に座らされてしまう。 「ほんま、久しぶりやなぁ、椿。俺のこと分かるか?舜海や」 「そら分かるよ。しかしまぁ、あのきゃんきゃんした子どもが、えらい男前になったもんやなぁ」  二人は何時ぶりの再会なのか、楽しげに笑顔を交わしている。 「それにしても、椿、何の用や。こんな夜に」 「あんた、姉に向かってなんちゅう口の聞き方や。あたしはもう忍衆ちゃうねんから、頭でも何でもない。あんたはただのあたしの弟やろ」 「……そらそうやけど」   柊はいつになく言葉に詰まると、言い返せない悔しさを滲ませながら腕を組んだ。千珠はそんな柊が珍しく、目を丸くした。  椿はにっこりと笑う。 「こないだあんたに言うた話、覚えてるやろ?」 「え?どれや」 「嫁をもらうっていう話や。大丈夫、光政様にはもう許可をもらってるから」  椿の言葉を受けて、柊を含め、そこにいる一同がしばらくぽかんとした表情を浮かべる。 「……姉ちゃん、何言ってんねん」  ようやく口を開いた柊が、そう言った。 「何って、こないだ言ってたやん。あたしの知り合いをあんたの嫁にどうかって」 と、椿は赤子を抱いて揺らしながら、当然のことのようにそう言った。 「柊、良かったやん。そろそろ身を固めなって言ってたやんか」 と、舜海は楽しげにばしばしと柊の肩を叩いた。 「頭、なんで教えてくれなかったんですか?おめでとうございます!」 と、竜胆。 「いや、いやいや。俺も今知ったところやし」  柊は汗をかきながら、ぶんぶんと手を振った。椿は我関せずで立ち上がると、障子戸を開けて隣の部屋から女を呼んだ。 「入って。紹介するわ」 「おい、ちょう待てや……!」  椿が招き入れた女は、唐紙の向こうで指をつき、深々と頭を下げている。藍色の唐草模様の小袖に身を包んだ、すらりとした女だ。 「青葉の武具一切を扱っている商人の娘さんやで。ここにも何度も出入りしてんねん」  椿は彼女に頭をあげるように促しながら、そう付け加えた。  頭を上げた女の顔、柊にはどこか見覚えがあった。  肌は健康的な色に焼けており、はっきりとした大きな目と艶やかな唇をした女だった。かわいいね、と隣り合わせに座っていた竜胆と佐為は顔を見合わせ囁きあう。 「芽衣(めい)と申します。柊様、お久しぶりでございます」 「えっ?」  柊の驚いた顔を見ながら、椿は二人を見比べて言った。 「なに?知り合いやったん?」 「え、いや……会ったことあったか?」  困惑しながら芽衣にそう尋ねる柊だった。芽衣は少し頬を染めながら、身体を起こす。 「昨年の夏、私は柊様に助けていただいたことがあります。……あの、せ、千珠さまが私に襲いかかってきたとき……」  芽衣はそこに座っている千珠をちらちらと見ながら、最後の方は消え入るようなか細い声でそう言った。  一同が千珠を見るが、当の千珠も覚えがないような顔をしてきょとんとしている。 「お前、一体何をしてんねん……」  舜海は呆れたようにそう言った。竜胆と佐為はまた顔を見合わせる。 「そ、そんなことしてない!!人違いだろ!」  千珠は慌ててそう言って芽衣の方を見たが、芽衣はびくっとして椿の後ろに隠れようとした。 「あんたの顔、見間違うわけ無いやろ!」 と、椿がいきり立って千珠につかみかかろうとしたが、赤ん坊が泣き始めたためそれは阻止された。 「違うってば!」 「あ!分かった分かった。あれや、雷燕の気にあてられて弱ってた時……」  柊はぽんと手を打って、千珠をなだめるように肩に手を置いた。 「……あん時か」  と、舜海。  柊の脳裏に、青々とした大木の下で、千珠に襲われそうになって怯えていた女の顔が蘇る。そういえば、この女には名を名乗った。 「あの時の女か」 「なんや、知り合いなら良かったわぁ」  椿は赤ん坊を立ってあやしながら、にっこりと笑った。 「ほんなら、もうええなぁ。あたしは帰るから。この子ももう眠たい言うてるし」 「え!おい……」 「まぁゆっくりしていってな、芽衣」 「はい、椿様。ありがとうございます」 「お前んちちゃうやろ!おい、姉ちゃん……」  椿は艶やかに微笑んで、さっさと帰って行ってしまった。取り残された柊は、呆然として姉の背中を見送っている。  一同は芽衣と柊を交互に見比べつつ、何も言えずに成り行きを見守っていた。  柊はごほんと咳払いをして、改めて芽衣を見やる。 「芽衣殿といったか。姉上に無理矢理言われて、うんと返事をしたんなら、俺がそれを取り消してもええんやで」  柊は芽衣の前に片膝を着くと、じっとその黒い瞳を見つめた。芽衣は頬を染め、じっと柊を見上げている。 「いいえ、私は無理矢理など言われておりません。柊様のことは、ずっと、存じておりましたし」 「そらまぁ、そうやろうけど……」 「私はあの時から……ずっと、ずっと、あなたに憧れておりました。あの時の柊様のお姿が忘れられず……椿様がお屋敷にお戻りになった時に、お伺いを立てに行ったのです」 「……え」  珍しく、柊が赤面した。芽衣もうつむいて、頬を染める。 「こりゃあ、すぐにまとまりそうやな」 と、舜海は腕組みをして笑った。 「じゃあ千珠が結びつけたような縁だね」  佐為はにこにこしながら、めでたい席に居合わせたことを喜んでいた。千珠は、複雑な顔で頷く。 「本当だな。感謝しろよ」 「阿呆、お前は謝れ」 と、舜海はべしっと千珠の頭を叩く。 「いって!」  頭を押さえて舜海を睨む千珠を、芽衣はなおもしげしげと見ていた。 「あの時とは……ご様子が違いますね……。柊様は、この子は普段こんな子じゃないから、許したってくれと仰っておられましたが、その通りですね」 「この子?」  千珠は今度は柊を見上げて睨んだ。柊はぱっと目を逸らす。 「……まぁ、すまなかった。怯えさせたようで」  千珠はため息混じりにそう言うと、姿勢を正して軽く頭を下げた。芽衣は顔の前で両手を振ると、 「そんな!めっそうもありません!もういいのです、柊様とこうしてお出会いできたのですから……」 「そうだな、やっぱり感謝しろよ」  千珠はしれっとして、すぐに頭を上げる。 「阿呆、心のこもってない謝罪しよって」 と、また舜海が文句を言う。  芽衣はまっすぐに柊を見上げると、頬を染めたまま微笑した。  そんな視線を受けて、柊もまた、すこし顔を赤らめている。 「柊も照れたりするんだな」  千珠が物珍しげに柊を見上げて笑うと、皆もつられて笑い声を立てた。  めでたい知らせに華やいだ空気が、春の夜に色を添えていく。

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