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二十七、嫌な憶測

 忍寮へ千珠を運んだ舜海は、誰もいない二階の部屋に千珠を寝かせた。  うなぎの寝床のように奥に長い作りになっている忍寮には、常に数人の忍たちが住み着いている。所帯を持ち城下へと降りて行くものも多いが、そこで修行中の若者や、夜の見張りに就く者たちが過ごしている忍寮にはいつも人の気配が絶えない。しかし今日ばかりは、水を打ったようにしんとしている。  千珠に布団をかけてやってから、舜海は各部屋を見まわって忍たちの状態を確認する。  皆呼吸は安定しており、意識はないものの皆無事だ。舜海は最後に山吹の部屋へ訪れると、怪我に障りがないかどうかを確認し、脈と呼吸を確認して布団をかけ直す。静かな表情で目を閉じている山吹を見て、舜海は少しだけ微笑んだ。  水を汲んで二階へ上がると、布団の上に千珠の姿はなかった。ごとん、と部屋の隅から物音がして、暗がりの中に千珠がうずくまっているのが見えた。舜海の立てた物音に驚いたらしい。  身を縮めてぶるぶると震えている千珠を見て、舜海は唇を噛んだ。  ――あの野郎……千珠をこんな目に……。  怒りを抑え、舜海はゆっくりと千珠に歩み寄る。そして穏やかに声をかけた。 「千珠、水飲むやろ」 「……舜……」 「ほら、こっち来い。大丈夫やから」 「……」  千珠は舜海が差し伸べた手を取ると、ゆっくりと暗がりから月あかりの差しこむ場所へと出てきた。泣き腫らした目元を、舜海は指でそっと撫でてやる。  黒髪のまま、へたり込み不安げな顔をして舜海を見上げる千珠は、幼い子供のように見えた。舜海の差し出した竹筒の水筒からおずおずと水を飲み、千珠はふうと息を吐く。   その首にいかめしい鎖が巻き付いているのを忌々しく思いながら、もう一度そっと千珠を抱きしめる。  一瞬強張った背中をそっと撫でてやっていると、徐々にその身体から力が抜けていく。千珠は舜海の衣を掴んで、顔を埋めた。 「……何で動けたんだ」 「淳之介が結界を張ったんや。みるみる周りが真っ白になっていって、俺は何も感じひんくなっててんけど、淳之介は祓い人の匂いがするといってな」 「匂い……」 「あいつら、気配を消すのは十八番(おはこ)らしいが、淳之介の嗅ぎつける特殊な気の匂いまでは消せへんらしい。それを辿って、さっき佐為と親玉を追っていった」 「……そうか」 「ごめんな、遅くなってしもて。佐為が裏返った結界を解いて霧が消えるまで、動けへんかってん」 「佐為が……」 「佐為(あいつ)は今夜なにか起こると察していたらしい。淳之介にも、今夜は眠らず、結界の支度をしておけと命じていたそうやから」 「え……」 「ごめんな。痺れ薬ぐらいやったら、突っ切って行ったって死ぬわけじゃないのに、もっと早く行ってやれたら……」 「ううん……大丈夫だ。俺は……」 「怖かったやろ、千珠」 「うん……」  舜海にもたれかかりながら、千珠は佐為のことを考えていた。  ――前もって知っていた?ならば、もっとやりようがあったのではないか?  ――人の十手は先を読む佐為のことだ、城に攻め入られる前に、なにか手立てを講じることだってできたのではないか……?  千珠の脳裏に、良くない想像が浮かぶ。  ――言い逃れができぬよう、実際に俺を襲わせてから捕まえたかった?能登の祓い人は強敵だ。手の内をその目で見ておくために、俺を囮に使ったのか……? 「……」  どくどくと心臓が早鐘を打ち始める。千珠は舜海から身を離して、じっと俯いていた。  その時、じゃらん、と千珠の首から鎖が外れて畳に落ちた。落ちたと同時に、その鎖はまるで蒸発するように溶けて消えていく。 「……術者が死んだ」 「えっ」  ――死んだ?あの男が。  そうか、殺したんだ、佐為が……。  自分にかけられた術を解くために、祓い人を殺す。  千珠を襲わせたことで、この場で粛清するための大義名分が成り立った……。 「……まさかな」 「え?」  湧き上がったそんな考えを、千珠は振り払うように首を振った。あの佐為が、自分を兄弟だといってくれた佐為が……俺を囮にするなど、そんなことをするはずがない。  そんな事をするはずがない……。 「もう、これで大丈夫やな」  舜海が笑いかけてくるのを、千珠は浮かない表情で受け止める。舜海は怪訝な顔をした。 「どうした」 「いや……」 「おい、お前はなぁ、顔に出やすいねん。言いたいことがあるならはっきり言え」 「……いや……ちょっと嫌なことを考えて……」 「何や、言ってみ。俺になら言えるやろ」 「うん……」  千珠は、今しがた湧き上がった佐為への疑念について、舜海に話して聞かせた。  舜海はじっと押し黙ってそれを聞いていたが、千珠が話し終えると、笑ってぽんとその頭を撫でた。 「阿呆、佐為はお前が大好きやねんで。そんな事するわけ無いやろ」 「……そうかな」 「そうや。今は色んな事がはっきりせぇへんから、お前も色々考えすぎるだけや」 「そう、だな……」 「大丈夫やで。千珠、佐為はそんな事せぇへん」 「そうだよな」  力強く舜海にそう言われて、ようやく千珠の顔に笑みが戻った。舜海はまた千珠を抱きしめると、そっとその頭を撫でる。つるりとした絹糸のような感触が、掌から伝わってくる。  暖かく、ふわりと花のような香りのする千珠の身体を抱きしめて、舜海は囁いた。 「千珠……」 「ん?」 「お前を奪われんで、良かった」 「……うん……」  千珠が、ぎゅっと舜海の大きな身体にしがみついてくる。柔らかな髪も、抱き寄せた細い腰も、すっぽりとその手の中に収まってしまう。自分に寄りかかって安堵している千珠の体温が、ひどく懐かしい。 「舜海……」 「どうした?」  千珠は何も言わず、やおら舜海の衣の前をぐいと両手で大きく開いた。舜海が仰天していると、千珠はまたすぐに舜海に抱きついて、懇願するように訴える。 「……何もしないから。肌に……触れさせてくれ」 「は、はぁ?」 「舜海、お前の体温を感じたいんだ……安心したいんだよ……」 「あ、ああ。そうか……」  千珠の腕をゆっくりと外すと、舜海は自分で袖を抜いた。筋肉質な身体が、薄ぼんやりとした明るさの中、くっきりとした陰影を持って浮かび上がる。  舜海はそのまま、千珠の衣をもゆっくりと肩から滑らせる。着流しただけの着物はすぐにはだけてしまい、千珠は白い上半身を舜海の前に晒す。月明かりを受けて光る千珠の肌を見つめて、舜海は眩しげに目を細めた。

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