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二十六、罰

 水無瀬楓真によって引き起こされた爆発で、佐為と淳之介は思わずその場に伏せた。  爆風によって舞い上がった土煙の向こうで、城壁がもろくも崩れ落ちているのが見える。佐為は静かな目でそれを見やると、淳之介に手を貸して引っ張り起こしてやった。 「淳之介、あいつの発している禍々しい匂いが分かるか」 「……はい。今ははっきりと」 「さすがに能登最強といったところか。自分たちの匂いを消すのはお手のものらしいな。奴の気が動転している今のうちに追うぞ」 「はい」  二人は崩れた城壁を乗り越えて、暗闇の中を走った。  淳之介の鼻には、今ははっきりと祓い人の放つ霊気が、きつい香のような匂いで辿ることができた。今までずっとそれを試みていたのだが、まるでうまく行かなかったのである。  ふた月ほど前に、淳之介のはこれと同じ匂いを浮丸から嗅ぎ取っていた。その時はそれが何を意味するのかは分からなかったが、今となってははっきりと分かる。  浮丸は、あいつらと密通していた。この機を伺っていたのだ。  先をゆく黒い背中を追いながら、昼間佐為に言われたことを思い出す。  ――浮丸は裏切りを働いている。泳がせて獲物を釣ろう。  浮丸が出かけていってからすぐに起きだしてきた佐為に、淳之介はなんと言い訳をしようかと考えていた。その矢先、佐為はそう言って微笑んだ。  いつものように糸目で優しげに微笑んでいるというのに、その凍りつくような表情に淳之介はぞっとした。  ――佐為さまは、浮丸を生かしてはおかないだろう……と、淳之介は直感的に理解していた。陰陽寮に入って三年、陰陽師衆の中で、誰を一番怒らせてはいけないかということくらい、淳之介はすでに心得ているのである。 「淳之介」 「ここより……東へ一里でございます……!」 「そうか」  佐為はそのまま、身軽に走る。まるで息を乱している様子もなく、佐為は音もなく身軽に夜道を駆けていく。  まるで夜行性の獣のようだと、淳之介は思った。ぜいぜいと息を弾ませながら佐為についていくと、佐為はぴたりと立ち止まって印を結んだ。 「陰陽、霊糸行来(れいしぎょうらい)!急急如律令!」 「うぁあああ!!!」  佐為が片手で結んだ印から、金色の糸が鋭く飛び出し、暗がりに蠢いていた影にまとわりついた。この糸の先端には鋭く尖っており、縫い針が糸を導くようにして敵を搦め捕るという、繊細ながらも痛みを伴わせる技だ。  片手でそんな難しい術を操る佐為に、改めて畏敬の念を感じるとともに、この人はやはり自分とは違う世界を生きる人間なのだと、淳之介は再認識していた。 「あぁああああ!!」  糸を辿っていくと、茂みの向こうに大の字になって倒れている楓真の姿を見つける。手足を針に貫かれ、金色に輝く糸で地面に縫い付けられているような姿になっている男を見て、淳之介は密かに悲鳴を噛み殺す。 「この……陰陽師め……!!」  憎々しげに佐為と淳之介を見上げる男の目つきに、淳之介は思わず後ずさる。  突き刺さるような憎しみと、怒り。実戦は初めてである淳之介にとって、突き刺さるような憎しみの込められた目線は、あまりにも恐ろしかった。  しかし佐為は淡々とした表情で楓真に歩み寄ると、その顔のそばにしゃがみこんだ。 「水無瀬楓真。勅命により、お前を捕縛する」 「……くそっ……!くそっ……!!」 「これだけの力を持っていながら、馬鹿なことをしたもんだ。千珠の首に巻きついたあれ、外してもらおうか」 「はっ!そんなこと、するわけないだろ。もう少しだったってのに、邪魔しやがって……!帝の犬め!!」 「何を言うんだ。帝に噛み付く君たちのほうが、よほど犬畜生に相応しい」  佐為は人差し指と中指を立てる印を唇の下で結んだまま、冷ややかにそう言った。淳之介はようやく息を整えて、少しばかり佐為に近づく。  縛術くらいならば、手伝える。そう思いながら、淳之介はこころを落ち着けようと務めた。 「あれは強力な封印術の一つだろう。術者に解いてもらわないと危険だ。ほら、命だけは助けてやるから術を解くんだ」 「ここでしくじった俺に、この先の人生などない。命などいらん!」 「ふうん、そう。……じゃあ、これならどうだい?」  佐為が小さく何かを呟くと、金色の糸がむくむくと動き出した。糸はまるで意思を持った虫のような動きで、うぞうぞと楓真の身体の上を這いまわったかと思うと、ぶっつりとその皮膚を突き破って体の中へと潜り込んでいった。手足だけではなく、首、顔の皮膚の下にまで潜り込み、身をくねらせているその糸の動きに、淳之介は吐き気をもよおして尻餅をついた。 「ぎゃぁあああああ!!!!あぁああああ!!!」  身体中を針のついた糸に蠢かれ、楓真は世にも恐ろしい悲鳴を挙げて悶え暴れた。胸を掻き毟り、髪の毛を抜きとらんばかりに引っ張り、体内をうごめく糸を何とかして取り去ろうと悶え苦しんでいる。 「あぁっ!!ぐっあぁああ!!!」 「……痛いだろう?ほら、千珠の術を解け。さぁ、早く」  どんなに酷い悲鳴を耳にしても、どんなに醜く血反吐を吐きながら相手が暴れ狂おうとも、佐為は眉毛ひとつ動かさずに楓真を拷問し続けた。  そんな佐為を、淳之介は心から恐ろしいと思った。闇に浮かび上がる白く整った佐為の横顔は、まるで川面に浮かんだ落ち葉でも追いかけるように静かなままだ。 「こんなもん……、なんとも、ないね……!!ぁあ、ああああっ!!」 「そう。……ならば仕方がない」 「がはっ!はぁっ……はぁっ……!」  佐為は印を解いて、両手をだらりと体の横に戻した。金色の糸が消え、後には血にまみれた楓真がぐったりと倒れているだけである。 「この美しい土地を、お前のような汚れた者の血で汚したくはないんだが……仕方がない」 「はぁっ……はぁっ……なに……!?」  佐為は、腰に帯びていた刀の柄に手をかけると、ゆっくりと身を抜いた。月明かりを受けて、ぎらりと刀身が光るのを、淳之介は愕然として見あげた。 「さ、佐為さま……?一体何を……。その者は、捉えて尋問をし……都へと……」 「こいつを殺せば、自ずと千珠の枷は消えるんだよ。呪いを解くには術者を消すのが手っ取り早いが、この土地にこいつの血を吸わせることが躊躇われてね」 「佐為さま……お待ちください。その者の裁きは、私達では……」 「こいつは帝の友人でもある千珠に手をかけ、蹂躙し、青葉の城をも攻め立てた。それにあの枷を外してあげないと、千珠が苦しむだろう?」 「……それは、そうですが……」 「これは罰だよ。どうせ都でも同じ事になる。それならばもう、ここで僕が終わらせておけばいいだけのことだ」  佐為は刀を振り下ろし、ぴたりと楓真の鼻先で止めた。  冷静な佐為の目を睨み上げる楓真の目は、真っ赤に充血し、そこから血の涙を流しかねないほどに淀んでいた。 「一ノ瀬佐為……未来永劫、お前を呪ってやる……ずっと……ずっとだ……!!」  血を吐くような声でそう言った楓真の声を、淳之介は思わず耳をふさいで遮った。それを聞いてしまったが最後、本当に呪いを受けてしまいそうなほどに恐ろしかった。 「好きにしたまえ。僕はそれでも構わない。僕はただ、都とこの国を脅かす輩を取り除くだけ」 「……あの鬼を……妖を取るのか、お前らは……帝は……!!」 「千珠の魂は、君のものよりもよっぽど清廉だ」  佐為はぐいと楓真の襟巻きを引っ張って身を起こさせると、跪かせた。襟巻きを取り去られ、楓真の白い首筋が顕になる。  もはや全身の腱が切られている楓真は、腕を上げることすらかなわず、諦めたようにだらりと頭を垂れた。そして、くくっと笑う。 「……俺が死んでも、俺のような奴はまた現れるぞ……能登にはなぁ、お前らを嫌っている連中がうようよといるからな……」 「だからどうした」 「一ノ瀬……佐為……その名……忘れぬぞ……この恨み……」  佐為が一体いつその首を刎ねたのか、淳之介には分からなかった。  はっとした時には、落ち葉の重なった土の上に男の首が転がる音だけが、聞こえてきた。  佐為は懐から懐紙を取り出して刀身をさっと拭うと、刀を鞘に収めて血塗れの懐紙を丁寧に畳んだ。  懐紙を再び懐に収め、佐為はくるりと淳之介を振り返る。ざぁあっと強い風が吹いて、佐為の短い髪の毛を乱していく。 「ひっ……」   佐為の頬に飛び散った返り血が、そこだけ異様に赤く赤く見えた。淳之介の目つきのせいか、佐為は自分の頬を拭い、指先についた赤い血を見下ろす。 「恐ろしいかい?僕が」 「あ……いえ……」  佐為はいつものように糸目になって微笑むと、淳之介の前に膝をついてその顔を覗きこんできた。淳之介の怯えきった目を見つめて、佐為はまた、笑った。 「怯えているね。淳之介」 「……あ……あ」 「このことは、都に帰って尋問されると思うよ。まぁ、見たままを答えてくれたらいい」 「……は……はい……」 「さぁ帰ろう。次は浮丸の処分を決めなくては」 「う、浮丸も……殺すのですか……?」 「そうだなぁ……」  佐為はまるでその日の献立でも決めるかのような軽い口調でそう呟くと、淳之介に手を差し伸べながらこう言った。 「事情を聞いて、業平様の許可が降りれば、粛清するだけだよ」 「……そう、ですか……」  ぐいと淳之介を引っ張り起こした佐為の手は、驚くほどに冷たく、乾いていた。全身が粟立ち、淳之介は思わずその手を引っ込める。  佐為はそんな淳之介の行動に何を思うふうでもなく、さっさと元きた道を戻り始める。たった今人を殺したとは思えぬほど、軽やかな足取りで。  闇に溶け込むその背中に、淳之介は修羅の影を見た。

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