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二十九、佐為の覚悟

 千珠を寝かしつけてから、舜海は外へ出てきた。  仕置部屋へと向かいながら、乱れていた衣服を手早く直す。  千珠が気にしていた佐為の行動のことが、舜海の心を騒がせている。その話を聞いた時にまず思ったのは、あぁ佐為ならやりかねないだろう、という直感だった。  千珠には安心させるためにああ言ったが、佐為はきっと、目的のためならば、千珠の身の危険など物ともせずに突き進むだろう。  がらりと仕置部屋の小さな扉を開け、頭を低くして中へ入り込むと、そこではすでに佐為が浮丸を尋問しているところであった。立浪と淳之介に術で縛り挙げられ、真っ青な顔をして唇まで真っ白になっている浮丸を見ると、千珠をあんな目に遭わせるに至った片棒を担いだ子どもだという事を分かっていても、少し哀れになる。 「舜海か。千珠の様子は?」 と、佐為が横顔でそう尋ねる。 「大丈夫や、忍寮で寝てる」 「そっか。鎖は外れたか?」 「ああ。お前が殺ったんか」 「そうだよ。うっかり奴の名を呟かれでもしたら、千珠はあちらに奪われてしまう。そんな事は許されないだろ」 「……せやな。あの女は?」 「兄が死んだことを伝えたら、舌を噛み切って死んでしまった」 「えっ……!」  何の動揺も感情もなくそんな事を言った佐為を、舜海は愕然として見下ろした。その反応に気づいてか、佐為は顔を挙げてうっすら微笑んですら見せた。 「……何をそんなに驚くんだ。立浪が自白術で大体の情報は抜いている。問題はない」 「そういう……問題じゃないやろ!!お前、自分が何言ってるか分かってんのか!?」 「……じゃあどういう問題なんだ」  佐為はすっと立ち上がって舜海に向き直った。佐為の切れ長の瞳の色が、うっすらと緑がかっていることに、舜海は初めて気がついた。 「色々と起こったが、これは千珠を狙った事件。ひいては帝への反逆だ。しかもそこに、陰陽師衆の若者が巻き込まれた。夜顔の情報を元手にね」 「……」 「やつら、こういうでまかせを浮丸に伝えたそうだ。夜顔を逃したのは千珠。同族だから情けをかけた。人を守ると言いながら、結局あいつは妖なのだ。妖は、祓い人である自分たちに使役されることが正しいと」 「それって……」  夜顔絡みの情報は、でまかせと言いながらすべてが正しい。舜海はぎょっとして、佐為を見つめ返す。 「千珠を狩って、夜顔を殺してやるから言うことを聞けと。英嶺山の呪詛を盗み出したのも、浮丸の仕業だった」 「……何やって」 「一大事だよ、舜海。都にとっても、青葉にとっても」 「……その一大事を収めるために、お前は千珠を餌にした」  ぼそりと舜海が呟いた言葉を、佐為は黙って受け止めた。その沈黙を、正解と理解した舜海は、ぐいと佐為の襟首を掴み上げた。 「言い逃れのできぬ状況にして、こちらの正義を立てるために、千珠を餌にしたんやな!奴らが死んでも、こちらには非がないと言い切れるように!」 「……そうだよ。よく分かったね」  微笑みを浮かべながらそう言った佐為の表情は、むしろ清々しいほどだった。舜海は怒りで頭に血が上り、その勢いのまま佐為を殴り飛ばした。だんっと激しい音がして佐為が強か壁に背中を打ち付けるさまを、浮丸は怯えきった表情で見上げている。 「……お前……お前はなんてことを……!!」 「でも、千珠は無事だ。少し危険な賭けではあったが、うまく行ったろ」 「千珠が……どんな目見たか分かってんのか!?もうちょっとで、術をかけられて身を奪われ、身体も汚されてまうところやったんやんぞ!!」 「でもそうはならなかったろ?」  事も無げにそんな事を言う佐為に、舜海はまた怒りを露わにした。 「佐為っ……!お前は千珠を兄弟やと言っていたな。あれは嘘か?あいつを信頼させるためについた、嘘なんか?」 「嘘じゃないよ。僕は本当に、千珠を大切に思っているさ。同胞だと感じている」 「なら……何でこんなこと……!」 「信じているからさ。僕らなら上手くやれる。立浪も、淳之介も、そして君も、素晴らしい連携だったと思わないか」 「ありえへん……お前……」 「では逆に聞こう。今回あいつらを取り逃がし、もっと策を練られた挙句、千珠を奪われても良かったというのか?君は」 「……それは」 「今回のこの流れの中で、僕は最善の方法をとったと思っている。城のみんなも、槐も、宇月も、眠らされただけで済んだ。でも、その次はそうとは限らないだろう?」 「……ぐ」 「千珠が祝言をあげ、宇月が妻になったとして。宇月を人質に取られたらどうする?心優しい千珠のことだ、やすやすと敵に下っていたかもしれないよ」 「……それは」 「今日だってそうだろ。光政様の命を盾に取られたんだ。千珠を奪われるということは、この国の城主たる光政様の命も握られるということだ。この国の家臣の君なら、これが一体どういうことか分かるだろう」  理詰でじわじわと言い返してくる佐為に、舜海は何も言えなかった。佐為は尚も静かな表情を浮かべたままだ。 「ひいては、この国を脅かすことに繋がるんだ。千珠を奪われるということは、そういうことだ。生ぬるい感情だけで動けるほど、僕らの背負っているものは軽くはないんだ。分かるか、この意味が」 「……」 「君が千珠を大切に想う気持ちは分かるよ。でもね、それだけじゃ駄目なんだよ。もっと大局を見渡さなければ、この国は滅びる。能登の祓い人はそれだけの脅威だ。彼らを生ぬるい手立てで野放しにすることなんか、できないんだよ」  佐為の手が伸びて、舜海の襟首を掴んだ。鋭い刃のような目を舜海に向けて、佐為は初めて声を荒げた。 「分かるか!?だから殺したんだ!この僕が!あいつら全員をな!!ここで逃げられでもしたら、必ず次は千珠を奪われるんだ!この意味が分かるか!!君にこの責が負えるのか!?」 「……佐為……すまん」  あまりの迫力に、舜海は思わず謝罪していた。  それ以上に、佐為がその背に背負っているものの重さを、舜海は初めて理解した。  千珠にだけ目を奪われていた自分が、ひどく小さく情けなく思えて、舜海は自分に苛立っていた。  佐為は誰よりも千珠のことを想い、更にはその先に帝の存在、この国の未来までもを見据えて戦っている。昨日張ったばかりの結界術・不知火も千珠を守り国を守るための方策だったのだろう。 「すまん……」  静まり返った部屋には、佐為の荒い呼吸だけが静かに響いていた。呆然と佐為を見上げていた浮丸も、腰が抜けたようだった。  かたん、と微かな音がして、佐為は肩を揺らす。  仕置部屋の扉が静かに開いて、そこから黒髪の千珠が姿を現したのだ。 「千珠……」  佐為が息を呑むのを、舜海は見ていた。  千珠はなんとも言えない表情を浮かべて、じっと佐為を見つめている。

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