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三十、真実を
「……聞いていたのかい」
「ああ。聞いていた」
「……そうか」
佐為はゆっくりと舜海の襟首から手を離した。力なくだらりと落ちた腕に、千珠はそっと触れる。驚いたように顔を上げた佐為を見つめて、千珠は柔らかく微笑んだ。
「佐為、ごめんな」
「え……?」
「俺……何も分かってなかったよ。お前がいつも遠巻きに俺を護ってくれていること……こういうことが起きてから気づくなんて……」
「千珠……」
千珠は佐為の両の手に触れ、その手に頬を寄せた。
「ごめん……またお前の手を、血で汚してしまった。ごめんな、佐為」
「千珠、やめろよ、いいんだ」
佐為は千珠の肩を掴んだ。黒い髪、茶色い瞳の千珠をしげしげと見つめてから、佐為は言った。
「君に伝える必要なんかなかったんだ。君はここで、静かに平和に暮らしてくれていたらそれでいいんだよ」
「佐為だけにこんな重い荷を背負わせて、俺だけのうのうと平和になんか暮らせないよ」
「君が幸せに生きることが、この国の平和につながるんだ。君が戦の中に身を置くということは、この国が戦であるということ……そうだろ?」
「佐為……」
佐為はにっこりと笑った。それは作った笑顔ではなく、本当に佐為の本心から生まれた笑みだと分かる。
「千珠、ありがとう。君が分かっていてくれるだけで、僕は救われる。だから君には、ここで幸せに生きて欲しいんだよ」
「……佐為」
「陰陽師なんて、因果な生業さ。恨みを買うのも慣れっこだ。もう何度も君も巻き込まれてるから、分かるだろ?」
「……ああ」
「でもね、誰かがやらないといけないんだ。綺麗なものだけ見ていては、この世は回らない」
「……」
「だからこそ、君にはきれいでいて欲しいんだ。汚いものもつらいものも見てきた君だからこそ、僕らの守るべきものとして、燦然と輝く光として、そこにいてくれると僕は嬉しい」
「……佐為」
佐為は千珠の両肩に手を添えて、にっこりと微笑んだ。千珠もつられて微笑むと、佐為はまたひときわ嬉しそうに笑った。
「うぅう……うううう……!」
突然、浮丸が泣き崩れた。両腕両足を縛り上げられたまま、浮丸は芋虫のような格好で頭を畳に擦り付け、嗚咽を漏らして泣きだした。
「ごめんなさい……!!ごめんなさい、佐為さま……千珠さま……。私は……なんという事をして……」
激しく泣き出す浮丸の声には、後悔の苦い想いが染み込んでいる。悲痛な叫びに、淳之介までもが泣き出しそうな顔になっている。立浪は静かに目を閉じて、唇を真一文字に結んだ。
「ごめんなさい……!!殺してください……私はもう……陰陽師ではいられません……!」
「浮丸……」
淳之介が、思わずむせび泣く浮丸の背に触れようとしたが、立浪にそれを止められる。
佐為は静かな瞳に戻り、浮丸のそばにしゃがみ込んだ。
「君を粛清するかしないかは、業平様に決めていただく。でも、実丸のことを有耶無耶にしてきた僕らにも非があった。だからこういう事態を招いたのだ」
「……もう、いいんです!!もう……実丸だけではなく、もっとたくさんの人が命を落とした……なのに私はいつまでもいつまでも……その事ばかりに気を取られて……!」
「もういい、か。それで君の気持ちが収まるのか?はっきりさせておこう」
佐為は泣き濡れ、鼻水やよだれで濡れた浮丸の顔を覗きこみ、きっぱりとこう言った。
「夜顔は死んだ。そして、千珠が夜顔の力を吸い取ったというのは本当だ」
「……あ」
「しかし、あの禍々しい力によって、千珠自身も傷ついた。そして誘われるように、能登へ消えてしまったこともあった」
「え……?」
浮丸は、黒髪の千珠を見上げて、唖然としている。今はじめて、千珠が人間の姿であるということにも驚いたようだ。
「そこで僕らは、その元凶であった雷燕を眠らせる術式を行った。そのための犠牲は、この国のくノ一が負ったのだ。千珠の心臓も一度止まり、この国の城主、光政殿の心臓までもが一度止まった」
「……そんな、でも、なぜ……」
「千珠の妖気が消えたことで、夜顔の気を封じていた封印術が解けたんだ。それを身に宿した千珠が、雷燕を破った」
「……すごい」
感嘆する浮丸に千珠がなにか言いかけたのを、舜海が後ろから肩を引いて遮る。佐為は更に続けた。
「雷燕がそうなったのも、元はといえば能登の祓い人が彼の縄張りを荒らしたからだ。多くの妖を狩り、雷燕を怒らせたために夜顔が生まれたんだ」
「……そう、だったんですね……」
「もっと早く話してやればよかった。それが僕らの非だ。君は一番憎むべき相手に、手を貸してしまう結果になってしまったのだから」
浮丸がうなだれる。淳之介も、立浪も、痛々しい表情を浮かべて、萎れ切ったその小さな背中を見つめていた。
「すまなかったね、浮丸。でも君の罪は消えない。理由はなんであれ、個人的な憎しみに目が眩んで、敵に情報を渡した罪は重い」
「……はい」
「明日、都に帰る。その前に、君はこれらのすべての記憶を忘れねばならない」
「え……?」
浮丸のきょとんとした顔。千珠と舜海も、訳がわからず佐為を見た。佐為は右手を上げると、人差し指を立てた。
「人である千珠の姿を見た、淳之介、立浪、君たちもだよ」
「……分かってますよ。でも残念やなぁ、千珠さまときたら、黒髪でもこんなにお美しいのに」
立浪はあっさりとそう言って、千珠の姿を目に焼き付けようとでもしているのか、しげしげと千珠を頭から爪先まで眺め回してはうっとりしている。千珠は嫌そうな顔をして、さっと舜海の背後に隠れた。
「僕……どこまでの記憶を消されるのですか?」
と、淳之介がそう尋ねると、佐為は微笑んで言った。
「そうだなぁ、まあ、君には怖いものも見せたし……」
「いいえ……あの記憶は消さないでください。僕は、ようやく佐為さまがどういうおひとか少し分かった気が致しますので」
「……そうかい?」
「立浪さんと同じく、千珠さまのこのお姿を見たところだけ、消してください」
「そう便利なもんでもないんだぞ。多少の齟齬は許してくれたまえ」
そう言うなり、佐為は流れるような動きで三人の額に触れた。浮丸に触れていた時間は一番長く、後ろの二人がぼんやりとしているだけの状態だが、浮丸はぐったりと意識を失ってしまった。
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