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三、記憶の端

 稽古の後、夜顔と咲太は坂を下って祖母の見舞いへと向かっていた。  咲太の手には、結城治三郎の娘である都子(みやこ)が持たせてくれたおはぎがあった。  夫を戦で亡くし、生家に戻っている都子は、屋敷に訪れる子どもたちの世話をよく焼いていた。そして、二人はそんな都子によく懐いていた。 「よる、何であんなに剣術が強いんだ?藤之助さまにこっそり稽古してもらってるのか?」  歩きながら、咲太は少し悔しげにそう言って、夜顔の顔を見上げた。 「だって、僕のほうがさくより五つも歳が上なんだよ、仕方ないよ」 と、夜顔は竹刀の先に括りつけた荷物を揺らしながらそう言った。 「でも、よると同じ年の勇五郎さんにも勝っただろ?すごいよ、よる」 「……多分、僕は目がいいから。勇五郎さんの動きがよく見えるだけだよ」 「へー」  実際、夜顔には、只人の動きなどは手に取るように分かった。相手の剣の先を読むことも、夜顔にとっては容易いことなのだ。  しかし、同じ年の少年たちは、普段の言動が幼い夜顔に負けることを特に悔しがった。その中でも、勇五郎という村の有力者の息子は、夜顔のことを目の敵にしている節がある。藤之助に言われ、なるべく手加減はしていたが、それがうまくいかない日もあるのだ。  しかしながら、夜顔の卓越した剣技については、幼い頃から藤之助と暮らしているということで説明がつくため、特に誰も疑問には感じていないようではあった。  そうこう話している間に、二人は咲太の家に着いた。 「ばあちゃん!よるが来たよ!」  そう言って咲太が家に駆け込むと、床に伏していた齢六十過ぎの祖母がゆっくりと身体を起こす。 「あらあら、夜顔。よく来たね」  咲太の祖母は、多喜(たき)という。いつもは元気に畑に出ており、肌つやもよく若く見える多喜であったが、今日は顔色も優れず髪もぼさぼさで、夜顔は少し驚いた。 「おばあちゃん、どこが苦しいの?」  夜顔は思わず多喜の枕元に座り込むと、多喜の額に手を当てたり脈を測ったりと、水国のやることを真似た。 「おや、夜顔もすっかりお医者様らしくなってきたねぇ」  多喜はにこにこと笑いながら、夜顔の頭を撫でる。その横に咲太も座ると、都子にもらったおはぎを見せた。 「見て、うまそうだろ?都子さまがくださったんだ。今日はもう帰って、ばあちゃんと一緒にいてあげなさいって」 「そうかい。またお礼においしい野菜、とどけないとね」  多喜は咲太の頭も撫でると、笑顔を浮かべた。そして、軽く咳き込む。 「ばあちゃん、寝ててよ。畑は俺がやるからさ」 「ああ、すまないね……」  夜顔は、目を細めた。多喜の喉元に、何やら黒い影のようなものが見えた気がしたのだ。何度か目をこすって見ても、確かにそこには影がある。 「のど,痛いの?」 「ああ。なんだかね、つっかえるような感じがして……よく分かったねぇ」 「ちょっと、いい」  夜顔はすっと多喜の喉の上に手をかざした。ここのところ、水国と修行をしていた術である。  気を掌に集中し、傷を癒すというものだ。  夜顔は目を閉じて、深呼吸をした。そして、ぐっと掌に意識を集中させる。 「よる……?」  夜顔の、閉じられた長い睫毛を見ながら、咲太はじっと祖母の様子を見ていた。 「あぁ……暖かいねぇ」 「え……!」  咲太は目を見張る。夜顔の掌から、ぼんやりと青白い光が見えたような気がしたのだ。気持ちよさそうに目を閉じてそう呟いた祖母の顔が、段々と生気を取り戻していくように見えた。  夜顔はすっと目を開く。喉元に見えていた黒い影が消えているのを確認すると、手を離す。 「う……」  不意に夜顔の身体がぐらりと傾いだ。咲太が慌ててそれを支える。 「よる!どうしたの!?」 「いや……まだ、あんまり上手にできなくて、力、使い果たしちゃうから……」  夜顔は汗を拭いながら、体力のなくなった身体を何とか起こす。そして、多喜の様子をうかがった。 「おばあちゃん、どう?」 「……不思議だね。なんともないよ。夜顔、一体何をしてくれたの?」 「今……先生と修行してるんだ。僕、こういう能力があるって、先生が見つけてくれたんだ」  疲れきった表情ながら、夜顔はにっこりと笑った。多喜は起き上がって、喉元を押さえる。 「とっても暖かくて、気持ちが良かったよ……ありがとう、夜顔」 「よる!すごいよ!」  咲太は喜んで、多喜に抱きついた。 「でも、もっと……力があればなぁ……」  夜顔はごろりと、その場に横になって天井を見上げた。  ――大きくなったら……会いにおいで……  突如、夜顔の脳裏にそんな言葉が浮かんだ。 「え……?」  ――誰の声?これ……誰に言われたんだっけ……?  夜顔はむくりと起き上がった。額を押さえて、その記憶を何とか辿ろうと試みる。  ずきん、と鳩尾の辺りが痛んだ。着物の合わせを開いてみると、気づいた時からそこにある痣が、微かに熱を持っていた。  ――この痣……何だっけ?  抜き去られる赤い石、そして、自分を見つめる琥珀色の瞳。  ――これ……誰?なに、この記憶……。 「よる?どうしたの?」  急に表情をなくして額を押さえている夜顔を、咲太と多喜は心配そうに覗きこんだ。  夜顔ははっとすると、ふるふると首を振った。 「何でもないよ。あ、おはぎ食べようよ」 「おう、そうだね!」  咲太はばたばたと茶の準備をし始め、多喜はそれを笑顔で見守っていた。そして、ふと夜顔を見る。 「夜顔、いつの間にこんな力を身に着けたの?」 「……うーん。最近だよ」 「でも、こんな力……、只者じゃないよ」 「え?……そうかな」  夜顔は、ふと力を暴走させて追い出されてきた今までのことを思い出した。そのたびに、藤之助にも迷惑をかけた。 「……このこと、あんまり人に言わないでくれる?」 「え?」 「先生に許しをもらわずに、この術を使ったらいけないんだ。本当は」 「そうかい。……先生には世話になってるしねぇ。分かった、内緒にしておこうね」 と、多喜は夜顔を安心させるように笑うと、ぽんぽんとその頭を撫でた。  夜顔はなおも浮かない表情で、土間から上がってくる咲太を見ていた。  何となく、嫌な予感がした。

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