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十四、知りたい
そんな宴の喧騒からは遠く離れた青葉の寺の一室で、千珠と夜顔は向い合って座っていた。
夜顔はもじもじと袴をいじりながら、ちらりと千珠を見上げた。千珠は藤之助からの書状を読んでいるところである。
記憶の彼方で見たその姿のまま、千珠は今でも美しいと思った。こんなにきれいな男の人がこの世にいるなんて、信じられないと思った。少なくとも、夜顔の住む里には一人もいない。
――都子さんが見たら、きっと真っ赤になっちゃうだろうな……と、夜顔はそんなことを考えた。
ふと目を上げた千珠の琥珀色の瞳が、夜顔の目と合う。夜顔がはっとして姿勢を正すと、千珠は微笑んだ。
「本当に、大きくなったな。夜顔」
「はい……ありがとうございます。僕……ずっとあなたに会いたくて……」
「そうか。覚えていてくれたんだな、俺との約束を」
「……藤之助に、ぼうきゃくじゅつというのをかけられていて、ずっと忘れていたんです。でも……友達のおばあちゃんの病を癒すときに力を使って……その時、見えたんです」
夜顔の拙い話し方に少し驚きながらも、千珠はしっかりとその言葉を受け止めた。夜顔はとつとつと続けた。
「あなたのその目が、見えたんです。あと、赤い石……」
「ああ、そうか……」
十年前の夜顔との戦いが蘇る。狂ったように暴れまわる夜顔の姿を。
今目の前に座る大人しい少年が、あの夜顔だと誰が思うだろうか。こんなにも人らしく育った夜顔を。
「上手に喋れるようになったんだな」
と、千珠が言うと、夜顔は嬉しそうに頬を染めて笑った。
「……はい。藤之助に教えてもらいました」
「そうか。藤之助も、息災か」
「そくさい?」
「元気にしているか?」
「うん……あ、はい。元気にしています」
十七という外見からはかけ離れた幼さの夜顔が可愛らしく、千珠は思わず笑った。夜顔は苦笑して俯いた。
「僕……里の同い年の皆とは、ちゃんと話が合わなくて。さく……咲太っていう友達がいるけど、彼は十二歳で」
「そうか、友だちもいるんだな。どんな子だ?」
「さくは、僕よりずっとしっかりしていて、いろいろ教えてくれるんだよ。だから僕は、さくに剣を教えてあげるんだ」
「そっか、お前は強いものな。いいじゃないか、友達とは支えあっていくもんだ」
「うん」
夜顔の笑顔に、千珠は胸が熱くなった。
泣きながら人を殺し、人から言葉をかけてもらえなかったがために言葉を解さなかった夜顔が、自分の楽しげな生活を語っているのだ。
「今の暮らしは、楽しいか?」
「うん、とても楽しいよ」
「藤之助と一緒で、幸せか?」
「うん、ずっと一緒にいるって約束したんだ。僕、幸せだよ」
千珠は立ち上がって夜顔の傍らに膝をつくと、夜顔をふわりと抱きしめた。
「……良かった。本当に。良かった」
「千珠さま?」
「よく会いに来てくれた。お前が幸せで、俺も嬉しい」
「はい」
夜顔の顔を改めて見る。綺麗に整った、愛らしい顔立ちだ。
黒目がちの大きな目の周りには、長い睫毛が影を落としている。すっきりと通った鼻梁と、形の良い唇は艷やかで、いかにも健康的だ。短く切ってある漆黒の髪はところどころくるりと跳ねて、柔らかそうなくせっ毛だ。
「千珠さま……僕の、小さい頃のことを知っているんですよね」
夜顔は少し言いにくそうに、そう尋ねた。
千珠の身体が、少しばかりこわばったように感じて、夜顔は少し不安になった。
「あの……藤之助は、あまり教えてくれなくて……でも、いつか話すからって、言ってはくれているんです。でも……何だかそれがとても恐ろしいことに感じるのです」
「恐ろしい、か」
「はい……。何でかな、藤之助がもったいぶって教えてくれないから、不安なのかもしれません」
「……お前の過去、か」
千珠は腕を組んで考え込んだ。藤之助が教え渋っていることを、千珠が伝えてもいいものか。
そして、真実を伝えた時に、夜顔が平常心を保っていられるとは考えにくい。心を揺らした夜顔を、正気に戻してやれるだろうか。
「教えて、くれませんか……」
「……」
千珠はじっと夜顔の不安げな瞳を見つめていたが、ふと目を伏せた。
「長旅で、疲れているだろう?今夜はもう休もう」
「……でも」
「語ろうと思えば、長い話になる。それに明日は大事な用事もあるんだ。だから……少し待っていてくれないか」
「うん……分かりました」
千珠の真摯な言葉を受けて、夜顔は素直に頷いた。千珠は微笑む。
その笑顔を見て、夜顔は軽く頬を染めた。
「千珠さま、おきれいですね。僕のいる里には、こんなにきれいな人はいません」
「そうか、褒めてくれるのか?お前も、いい男になったじゃないか」
「そうかな」
「そうだよ。きっと、もう少ししたらお前を好きだという女も出てくるだろう」
「そんな……でも、僕、子どもっぽいって言われるから……」
確かに、齢十七の夜顔は、座って黙っていれば細身のしっかりした体躯をした健康的な少年であり、若い娘ならば皆頬を赤くして彼を見上げるだろう。しかし、口を開くと夜顔は幼く、その外見との差に驚かれることは容易に予想がつく。
「……お前は心優しいから、大丈夫だ」
「うん、藤之助にね、人も獣も大切にしなさいって言われてるから」
「そうか」
千珠は目を細めて笑った。藤之助に、まっすぐに育ててもらっている夜顔を見て安堵するとともに、彼の過去をいかに伝えるかということを悩む。この笑顔を、曇らせたくはない。
でも……いつかは知らなくてはならないことに変わりはない。
自分がそれを、伝えるべきなのか……千珠は迷っていた。
心の中では迷いつつも、千珠は夜顔の里の話を聞きながら、和やかに山吹の振る舞う夕食を食べた。
笑い声の絶えない、穏やかな夜。
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