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三十、白蘭の戦い

 夜顔は、はっと顔を上げた。  泣きつかれて膝を抱え、俯いていた夜顔をそっとしておこうと、少し離れた場所で荷物を整理していた水国が、それに驚いたように反応する。 「どうした?」 「……珠緒。泣いてる」 「え?」 「血の匂い……血の匂いがする」 「なんじゃと?そんなものは……」  夜顔は立ち上がると、ぱっと障子を開いて外へ飛び出した。ざぁざぁと激しく降る雨の中、夜顔は鼻をひくつかせて辺りを見回した。  する……血の匂い。  聞こえる、珠緒の泣き声だ。 「どうした?夜顔」  縁側で雨をしのぎながら碁を打っていた舜海と佐為、そしてそのそばに控えている槐が怪訝な表情で、雨に打たれながら立っている夜顔を見た。 「濡れるやろ、そんなとこにおったら」 「……血の匂いです。珠緒の泣き声も」 「え?」  佐為がすぐに印を結び、この付近一帯に気を走らせる。舜海も立ち上がって草履をつっかけ、夜顔の側に立つ。  佐為が目を開き、険しい声で言った。 「馬……柊さんの子どもたちと珠緒が、馬で逃げてる……血は……忍の誰かのものだ」 「何やと」 「僕……行きます!!」  夜顔は駈け出した。槐も立ち上がると、夜顔の後を追って走りだした。 「舜海、城へ伝令を。僕も行く」 「分かった」  各々が散っていく。  雨はひどくなるばかりだ。    +    手綱を握りしめ、膝でしっかりと馬の胴にしがみつきながら、白蘭は走った。自分の腕の中にいる妹と珠緒を守るために、必死で馬を駆る。  盗賊に蹴られた腹が痛む。鐙にはつま先しか届かず、身体を支えるために膝を締めていたが、筋肉が限界なのか悲鳴を上げている。泣いている珠緒と、必死で珠緒を抱えている白露を庇うように背中から抱え込み、白蘭は涙をこらえて走り続けた。  もうここがどこなのか、分からない。けぶるような雨に怯えた馬の為すがままに走り続けたからだ。山は深くなるばかり、地面も泥濘んでおぼつかない。不安で仕方がない。  朝飛はどうなった?怪我をしてたら、どうしたらいい。自分が我儘を言ったせいで、こんなことになってしまったのだ。  噛み締めた唇から、つと血が流れる。  ――愚かだ。僕が愚かだったんだ。  どうしたらいい……。父上、母上、千珠さま……僕は、どうしたらいいんですか……? 「おう、ようやく見つけたぞ!」  木立の隙間から突然現れた男二人に、馬が驚いて前足を跳ね上げる。その拍子に、子どもたち三人は馬から転げ落ちてしまった。泥水を跳ねて逃げていく馬の姿が消えて行く。白蘭は目を見開いて、絶望的な状況に呆然とした。 「……道に迷ったんだろ?やれやれ、こんな子どもたちを残して死んじまうとは、あの男も可哀想だねぇ」 「死んだ……?朝飛様が……!?」 「あぁ、今頃頭にとどめ刺されてお陀仏だ」 と、意地の悪い笑みを浮かべ、盗賊が背中で白露と珠緒を庇う白蘭の前にしゃがみ込んだ。笑ったその口には、ほとんど歯がない。 「そんな……嘘や……!!」 「嘘じゃねぇよ。さて、お前らはきれいにして売り飛ばしてやるから、安心しな」 「きゃぁ!」  もう一人のひょろりとした男に腕を掴まれた白露が悲鳴を上げる。白蘭は刀を抜き、その男の手を振り払った。 「触るな!!」 「威勢はいいな、餓鬼。ほう、女童の方も、なかなか可愛らしい顔をしているねぇ。このちびっこいのと一緒に売り飛ばしゃ、かなりの金になる」 「その前に、ちょっと遊んでやってもいいかもな」  歯のない男が、ニヤリと笑った。白蘭はぞっとして、妹と珠緒の前に両腕を広げ、きっと男を睨みつけた。 「そんなことはさせへんぞ!!絶対に!!」 「吠えろ吠えろ。お前みたいな餓鬼に、何ができる」 「触るな!!」  尚も白露と珠緒に伸びてくる腕に、白蘭は忍刀を両手で握りしめて斬りつけた。血が迸り、男が腕を押さえて怯む。飛び散った血が珠緒の頬に付着した。珠緒は不思議そうに、その赤い液体を指に掬って見つめている。 「おいおい、何切られてんだよ」 と、のっぽの男が歯のない男を馬鹿にしたように笑った。歯のない男は、憎々しげに白蘭を見下ろして腰から太刀を抜く。 「邪魔だな、お前も。一人くらい殺っちまってもいいよな」 「ああ、こんな上玉二人連れてくんだ、一人くらいいいだろ」 「兄様……」 「白露、離れるなよ。珠緒をしっかり抱いておくんや」 「はい……」  白蘭は立ち上がり、ずぶ濡れになって重たい頭巾を脱ぎ捨てた。長い前髪が、ぱらりと白蘭の額に落ちる。 「……殺してやる」 「はは、餓鬼がいっちょまえに」 と、盗賊二人はげらげらと笑い、太刀をすっと白蘭の顔の前に近づけた。 「妹にも珠緒にも、絶対触れさせへん!!お前らはここで殺す!!」  白蘭が吠えた。そして次の瞬間、白蘭の刃が歯のない男の太ももに突き立つ。俊敏な白蘭の動きについていけず、盗賊たちは一瞬、何が起こったのか理解できなかった。 「うわ、ああああ!」 「この餓鬼!」  のっぽの太刀を受け止めた拍子に、白蘭は背後にそびえていた大樹に背中を強か打ち付けた。大木と盗賊の刃に挟まれて、白蘭はぎらぎらと殺意のこもった目でのっぽの男を睨みつける。男の目が、一瞬たじろいだ。 「殺してやる!……殺す!!殺す……!!!」

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