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To be with you -後編-

「…なんやねんな、あたしは惚気られに来たんか?」  盛大にため息をつきながらの石田母の言葉に、はっとしたように二人は体を離した。  完璧に周りなんか見えていませんでした、と言わんばかりの二人の様子に、呆れ返って苦笑するしかない石田母は、隣の椅子に置いていた手荷物をまとめ、おもむろに立ち上がる。 「ほなおいとましますわ」  唐突に帰りを宣言して玄関に向かおうとする石田母に、驚いて二人も腰を上げた。 「え、帰るん?」 「そら帰るわよ、いつまでもここにおったかてしょうがないでしょう」 「でももう十時が来ますよ、今から大阪に?」 「それはさすがにせぇへん、一泊どっか泊まって、明日東京で遊んでから帰りますわ」 「そんなん、よそ泊まらんかてうちにおったらええやん」 「あんたなぁ、あたしにどこに寝ぇ言うんよ。それに同棲中の息子んとこに泊めてもらうほど野暮やありません」  てきぱきと言葉に言葉を返して、あっという間に石田母は玄関で靴を履いてしまう。そして送りに出るべきかと迷っている秀明を振り返ると、目を伏せ、深く頭を下げた。 「…ごめんね、佐野さん。認めんて、言いに来たわけやなかったんよ」  それまでとは打って変わった柔和な表情で、石田母は秀明に微笑みかけた。 「淳がそれほど好きな相手がどんな人かを見て、その人がどんなつもりで淳とつき合うてんのか、聞いてみたかったんや。母親の老婆心を許してや」 「お母さん…」 「ふふ。お母さん呼ばれるんも、息子が増えたみたいでええなぁ」  先ほどその呼び名を突っぱねた自分の照れを隠すように、石田母は笑った。 「あんたがあんたなりに、ちゃんと淳と向き合うてくれてんのはようわかったよ。淳が本気なんもようわかった。あとはあんたたち二人で、先のことも考えてやっていきなさい」  それが母の承認の言葉だと悟って、石田は神妙に頷いた。 「…ありがとう」  改まった声を聞かせた石田の頬を、母はさらりと撫でる。 「大人みたいな口きくんやないの。ちゃんとたまにはうちにも顔出すんよ。お父さんも理沙も、待ってんねやからね。今度暇があったら、二人で帰っておいで」 「うん」  歳の離れた妹の名を聞けば、俄かに故郷への懐かしさが湧いてくる。頷いた石田の肩を叩き、石田母はもう一度、秀明に笑いかけた。 「ほなね」  短い別れの言葉の後、あっけなく石田母の姿は閉じられた玄関の扉の向こうへ消えた。  リビングに戻り、そこにあった静寂に、二人は「台風一過」と顔を見合わせた。  入浴後、石田は頭にタオルをかぶったまま、秀明に教わったロングカクテルをマドラーでかき混ぜながら、ソファーの上で膝を抱えてテレビの方を向いている秀明を見やった。 「ん」  グラスを秀明の前のローテーブルに載せると、案の定秀明は画面など見ていなかったのか、ぼんやりとした視線を石田に向けた。 「…あ、ありがと」 「何ぼーっとしてんの」  隣に座った石田が秀明の髪に触れると、先に風呂を上がったはずの秀明の髪はまだ濡れたままだった。 「頭、ちゃんと乾かしや」  自分がかぶっていた湿ったタオルを秀明の頭にのせると、石田は上からがしがしと髪を拭く。ぐらぐらと揺れながら、秀明はタオルの下でポツリと、「ごめん」と呟いた。 「何がや?」  秀明がこんな風に落ち込むのは石田にはわかっていたことで、既に慰めの言葉を用意しながら石田は問うた。 「…なんか、俺情けない。淳のこと任せとけって、お母さんを安心もさせられなくて」 「できもせん約束するよりええやんか。秀明がちゃんと正直に言う奴やて、わかったからおかんも納得して帰ってんで?」 「そうだけど…」  一人で勝手に落ち込みを深めていく秀明を見たくはなくて、石田はタオルを外して秀明の頬に自分の頬で触れる。 「あんな。お前がどんな風に思ってても、俺はお前が好きなんやで。お前が俺の好きな人のことを悪く言うのは、俺もつらい」  そう教え、石田は何か言いたげな秀明の唇を塞いだ。  触れるだけだったキスはすぐに深くなり、一度もグラスに伸ばされることのなかった秀明の手は石田の腰を抱き、いつの間にか細い体をソファに押しつけていた。 「…抱きたい」  熱っぽい声に、「ここで?」と石田は場所がソファであることへの不満をこぼしてみるが、秀明の手がパジャマの裾をくぐって肌にじかに触れ、そんな些細な異議は通りそうもないと苦笑する。 「ん、ええよ」  石田が背に腕を回すと、秀明はソファの肘掛を枕にするように横たえた石田の喉元にくちびるを落とした。  右手が肌をまさぐり、左手が器用にパジャマのボタンを開けていく。つけっぱなしのお笑い番組の下品な冗談に、煽られて石田の肌も熱を上げる。 「……あ」  下肢に触れられながら胸の突起を口に含まれて、困惑したように石田が声を上げる。逃げようとして体を捩ったところを、背中から捕まえて、秀明は石田のズボンを下着ごと取り去った。 「――やっ! イヤ、やめっ…」  そして秀明がためらいもなく石田の後孔に舌を這わせると、弾かれたように石田は足掻いた。いくら入浴後とはいえ、場所が場所なだけに舌での愛撫には酷く抵抗感がある。 「やだ…やぁ……」  けれど当然愛撫には快感が伴い、拒絶する石田の言葉も徐々に蕩けてゆく。  舌と指とで十分に解した後、前に手をやると、石田自身もきつく張りつめていた。 「挿れていい?」  背を上って耳元に囁くと、それだけで感じたように石田が背を撓ませて震える。秀明も着衣を解き、ソファの背もたれと肘掛に縋るようにうつ伏せている石田の腰を抱えた。 「ごめ……今日、あんまり優しくできないかも……」  切迫した声が断ると、石田は肩越しに秀明を振り返り、小さく頷いた。 「…っ、あぁっ……」  怒張を身の内に受け入れながら、思わず飛び出しかけた叫びに石田が手の甲を噛む。撓んだその背骨に口づけながら、石田の腹を抱いた秀明は深く突き上げた。  確かに、いつもと比べると余裕のない秀明の動きは、多少の苦痛を石田に強いる。けれど、優しくできないかもしれないと言いながらもそれは十分に石田の体を思いやったもので、決して傷つけたりはしなかった。  やがて石田の体が抽挿に慣れると、見知った疼きがどうしようもなく石田の感覚を追い上げる。 「あ、あ、あ」  突き上げられるたびに体から押し出されるような喘ぎが、徐々に切迫し、ソファのカバーを握った手を秀明の手が包む。 「ん…イク」  噛み締めた歯の間から絞り出すような秀明の声が限界を伝え、一際大きな律動が同じ波へ石田をさらおうとする。それに抗うすべもなく、一瞬目の前が白光したかと思うと、次の瞬間に全身を痙攣と鳥肌が襲った。  ソファに折り重なったまま、二人ともしばらくは息が整わない。  けれど遂情の余韻も覚めやらぬうちに、秀明が上体を起こした。石田の精を受け止めたてのひらをティッシュで雑に拭くと、繋がったまま石田の体を仰向けに返した。 「やぁっ!」  繋がったそこが捩れて、石田が悲鳴を上げる。しかしそれを聞き入れる余裕もないかのように、再び秀明は律動を始めた。 「ごめん…全然、冷めない……熱が」  自分でもその浮かされるような熱のやり場に困ったように、足りない秀明は石田の奥を目指す。石田はそこに、自分を手に入れようとしてしきれない秀明の焦りと不安を感じて、ともすれば飛びそうになる意識の尾を必死で握り締めた。  亜弓と中村の関係に、憧れながらも、ああはなれない自分たちを秀明は知っている。けれどなれないながらも、自分と石田との間に確かにあるはずの絆を信じて、これからも共に在ることを秀明は望んできた。  しかし今日の石田母の来訪を機に、改めて気づかされたことがある。それはやはり、自分たちの間には何の保証もないということ。  相手と一緒にいるために、互いに努力をしなければ、簡単に崩れてしまうかもしれない関係。今日来ていたのが石田の母ではなく、石田の新しい恋人だったとしたら、自分の怠慢で石田を失っていたのかもしれないのだと思えば背筋が凍る。  けれど秀明には、自分が石田の人生に責任を負えるほどの人間であるとは思えない。我ながら情けない自分への、やりきれなさと焦燥。  そんな秀明の思いを痛いほどに感じながら石田は、さっき自分が言った言葉の意味が、思うようには秀明に伝わっていないのだと知る。  石田は、秀明が自分を幸せにしてくれるように、自分も秀明を幸せにしたいと思っている。しかし秀明は、自分に誰かを幸せにできるなんて自信は持てないし、自分が誰かから幸せにしてもらえるなんてことも、思いもつかない。  そういった秀明の考え方を、石田は否定しようとは思わない。それは秀明の育ってきた環境が、秀明の愛する力を、愛される価値を、認めてやらなかったというだけのことで。  だからこそ、自分だけはいつまでも秀明の傍にいようと、情事の後隣で眠る秀明の寝顔を見つめながら、石田は思った。  誰が秀明を否定しても、秀明自身が諦めたとしても、絶対に自分は秀明を諦めない。傍にいて、彼の力を、価値を、どんな時も肯定してやれる存在でありたい。  それが自分たちの間にある、亜弓と中村とは違う、絆のあり方なのだと。  そして、秀明はちゃんと自分を幸せにできているのだと。  気づき、いつかそれを事実として秀明が受け入れられるようになることを、願って石田は疲れた瞼を閉じた。 <END>

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