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VACATION 第3話
夕方になって秀明と石田が帰ってくると、四人は庭に出て、買い出した食材でバーベキューの支度を始めた。
男四人、石田と中村が肉の取り合いをしながら、楽しい食事の時間はすぐに終わってしまう。
腹が満たされれば次は風呂だと、慌しく駆けていく石田を負けじと亜弓が追いかけ、広いリビングには中村と秀明が残された。
「佐野くん、きみお風呂は?」
「あー、俺はもうちょっと胃を休めてから入ります」
「じゃあ、ちょっと飲まない?」
初めからその予定だったのだろう中村は、棚から取り出した黒ボトルのブランデーを、いたずらっぽく掲げて見せた。
ソファに腰掛けて向かい合い、ローテーブル上の二つのグラスを琥珀色の液体が満たしていく。それを小さく触れ合わせ、香りを上らせてから口に含むと、秀明が俄かに目を瞠った。
「うわ、やば、うま!」
「ふふふ。でしょ」
得意げに笑う中村の手元からボトルを寄せて、秀明はラベルを覗き込む。
「これ、高いんじゃないですか?」
「んー? まあそれはそこそこじゃない?」
値段については誇るつもりはないらしく、惜しげもなく中村はグラスの底を上げた。
「それにしても悪かったね、こんなところにまでつき合わせちゃって」
「あ、ソレ」
苦笑した中村に、秀明はグラスを置く。
「さっきも淳と話してたんですけど、なんで俺ら誘ったんですか? 二人きりの方がよかったんじゃないかと思うんですけど、何かあったんですか?」
問われ、中村もグラスを置いて肩を竦めた。
「恥ずかしかったんだって」
「は?」
「籍を入れてから初めての旅行で、二人きりで来るのが恥ずかしかったんだってさ」
自分たちが誘われた理由の真相を知って、唖然と口を開けて秀明は固まった。
「…どんだけシャイなんですか、この歳になって……」
「まったくだよ」
憮然とした表情を作って、中村は自分と秀明のグラスにブランデーを注ぎ足した。けれどすぐに、表情を和ませる。
「でも、きみたちが来てくれてよかった気もしてる。籍を入れたせいで余計に、僕らの世界は二人だけの空間へ狭まってきてる感じがするし。閉塞的な関係の中で、お互いしか見えなくなるのは怖いことだからね。それに、客観的にどう見えるのか、きみに訊いてみたかったんだ」
「俺に? 何をですか?」
自分の顔を指さして首を傾げた秀明に、中村はグラスを手で包み、目を伏せた。
「……きみの目に、亜弓はちゃんと幸せでいる?」
静かな問いに、秀明の喉がブランデーを飲み下す音が妙に響く。
「籍を入れることが、全てを解決したわけじゃない」
自分の過ちを探すように、中村はグラスの中の波紋を追う。それで亜弓を救えると安直に信じた自分を悔いるように。
「亜弓は、今でもまだ虐待のフラッシュバックや悪夢に苦しんでる。カウンセリングも、月に何度かは継続的に通ってるみたいだ。でも、亜弓は絶対にそのことを僕に言おうとはしない。これからもきっと言わないんだろう。自分の不具合の原因が僕に帰着することを案じて」
やりきれなく語る中村を、秀明は黙って見つめた。
「僕が頼りないのが悪いんだってことはわかってる。信頼を得られないのは、あそこまで亜弓を不安にさせた僕の責任だ。でも亜弓が僕に何も頼ろうとせずに幸せそうな顔ばかりを装っていると、その裏に何が潜んでいるのかも見抜けずに、僕は亜弓の幸せを信じ込んでしまいそうになる」
自分の目に映る亜弓の幸いを信じていいものかと惑う瞳は、他人の視点の客観性を求めて縋る。
「僕は、亜弓をちゃんと幸せにできているんだろうか」
自分の抱いているものと同じ類の不安を晒されて、中村でさえ抱く不安なのだと知れば秀明の心も多少凪ぐ。
けれど同じだからこそすぐに肯定してやることは月並みな慰めに過ぎないように思えてできず、惑っているうちにも中村は直視してしまった闇へとどんどん引きずられていってしまう。
「亜弓が僕のことを、自分を置いても第一に考えようとするとき、僕はわからなくなる。僕が何をした? 亜弓がそんなに想ってくれるほど、僕には何ができた? 養子縁組も、結局亜弓の主体性をただ奪ってしまっただけのような気がして」
「中村さん」
落ちていく中村は、秀明が最良の形と憧れたものをさえ否定しようとして、思わず秀明は遮った。
「…それはだから、亜弓も男なんだってことじゃないのかなぁ」
これ以上深刻にはならないよう、敢えてのほほんとした声で秀明は言った。
「――え?」
「亜弓は男として、中村さんのパートナーとして、自分のことは自分でなんとかしようって、がんばってるところなんじゃないのかなぁ。自分自身の問題まで中村さんの力を借りて解決したんじゃ、それこそ亜弓の主体性がないってことじゃない。だから中村さんは、亜弓ががんばってるのを知っててあげて、それをちゃんと見守っててあげれば、それでいいんじゃないの?」
秀明の言葉に、亜弓が自分に何も相談してきてくれないことを気に病んでばかりいた中村が、鱗の落ちた目を見開く。
「亜弓も、中村さんの隣にいるに相応しい自分であろうと、がんばってるんだよ」
何も間違ってはいない、悔いることはないと、今の関係を肯定されて中村の肩から力が抜ける。
「そうか……そうなのかな」
ようやく安堵の笑みが口元に浮かび、気恥ずかしそうに中村がグラスを呷った。
そんな姿を見て、いつの間にかほろ酔い加減になっていたのか、妙にふわふわした頭を秀明が頬杖で支える。
(もしこの人が俺の客にいたとしたら、俺、売り買いの関係も顧みずに恋しちゃってたかもなぁ……)
素面なら考えつきもしなかったはずの秀明の思惑には全く気づかず、中村は秀明にグラスを勧めた。
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