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VACATION 第6話
「佐野くんは大丈夫だった?」
風呂から上がった中村の声に、ソファでぼんやりしていた亜弓が顔を上げた。
「…あ、はい、大丈夫だと思います。なんか石田にすごい甘えてましたけど」
「そっかぁ、佐野くんも甘えたりするんだ」
「けっこう奴は甘えたな男だと思いますよ」
そうなんだ、とクスクス笑いながら、中村は首にかけていたタオルを持ち上げて濡れた髪を拭く。その姿に、ぼんやりと亜弓は見入ってしまった。
「…どうしたの?」
「えっ」
亜弓の視線に気づいた中村ににやりと笑まれ、濡れ髪の彼の姿に軽い欲情を覚えた自分を知られてしまうような気がして、とっさに亜弓は視線を逸らす。
「いえ、べつに」
けれど添えた言葉は却って言い訳っぽく響き、隣に座った中村が淫靡にうなじをくすぐるのに全てを見抜かれたことを悟り、観念して亜弓は顔を上げた。
「ん…」
正面から優しく口づけられ、割られた唇を丹念に舌でなぞられる。上あごを舌先で舐めとられると、どうしようもない疼きが走って亜弓は背を反らせた。
決して強引でも乱暴でもない口づけに全てを吸い取られたような気になって、ぐったりと中村に腕を寄りかからせた亜弓を、ちゅっと名残惜しく音を立てて解放する。
「僕らも上がろうか」
欲情に濡れた視線に見つめられ、思わず亜弓は頬に血を上らせ、中村の目を両手で塞いだ。
「ちょっと、何?」
「だって……中村さん、絶対エロいこと考えてる」
だから照れるのは中村のせいなのだと、責任転嫁した亜弓の目隠しの手を取り払い、そのままソファから引き立たせた。
「そりゃ考えますよ、亜弓の期待にも応えなきゃだし」
「期待って…」
さらに顔を赤くした亜弓はしかし、左の階段を上がる中村の手を、拒むことはしなかった。
けれど階段の中腹までを上がったとき、二人はぴたりと足を止め、顔を見合わせた。
「……っ――」
家の中が静かなために、どうしても微かに漏れ聞こえてしまった、甘い悲鳴。
「…この声って」
「秀明…ですね」
「そうか…あのカップルにはそれが可能なのか…」
驚愕に二人が目を瞠る間にも、吹き抜けの向こう側から、微かな息遣いが伝わってくる。
「ちょっと…気がそがれちゃったね」
「ええ…」
友人カップルの情事を盗み聞いた後に、煽られてじゃあ自分たちも、と勢い込むほどの若さはない二人だった。
「部屋のドア閉めちゃえば聞こえないんだろうけど。ちょっと散歩にでも出てみる?」
「はい」
提案に、嬉しそうに亜弓はついてくる。
中村は左手を、亜弓は右手を。つないだ中村の薬指を、亜弓の右手がいとおしげに触れた。その亜弓の左手にも、同じプラチナが輝いているのを中村は知っている。
外に出ると、肌寒いほどの夜気が二人を包んだ。肩を縮めて腕を抱いた亜弓を、さりげなく中村が抱き寄せる。
「平気?」
「はい」
風呂上りで温まった中村の肌は、しっとりと亜弓をぬくもらせた。
建物の裏手に出て、外灯の光がうっすらとしか届かない芝の丘に来ると、不意に亜弓が中村の腕を解いてすいと先へ歩み出した。
「うわぁ…すごい星!」
「亜弓、転ばないようにね」
首が痛くならないかと思うほどじっと空を仰いで突っ立っている亜弓の傍らに、中村は腰を降ろした。
「星座とか、もしかして詳しいの?」
「ぜんっぜん! わかんないですけど、これだけいっぱい見えると嬉しくなっちゃいますよね。なんか…」
仰向いたまま、亜弓は中村から遠ざかるように足を踏み出す。
「……吸い込まれちゃいそう」
飛び立ちそうに両手を少し広げて、亜弓は言った。
その呟きに、中村は唐突な焦燥に襲われた。
「わっ!?」
驚いた声に、気づけば中村は亜弓の手を引き、バランスを崩して倒れこんできた痩身をきつく抱きしめていた。
「中村さん…?」
どうかしたのかと、不思議そうな顔が腕の中で傾ぐ。
「あ…ああ、ごめん」
突然の行動の理由を問われても、中村には答えられない。
闇に溶けて、亜弓が消えてしまいそうに見えたなどとは、言えない。
「中村さん、ここ、外…」
控えめな抗議が上がる。謝って、抱いた亜弓を解放しようと思っていたのに、意に反して腕は亜弓の体を芝に横たえていた。
「いやだ?」
「…いやじゃ、ないですけど…」
初めて屋外で行為に及ぶことへの躊躇いを見せて、けれど亜弓は、中村の腕にそっと指を絡めた。
頬に、首筋にくちびるを落としながら、上着をたくし上げて漫然と触れると、亜弓が頤を上げて伸びた髪を乱す。鼻にかかったような喘ぎが漏れるのを合図に下肢に触れると、そこは十分に興奮を示していた。
「あ…あ」
肌に触れる芝の感触に、堪えきれず声があがる。
けれどそこが昼間石田と秀明が遊んでいた庭で、その歓声が窓を通して聞こえてきたことを思い出して、自分の嬌声が彼らに届くことを恐れて亜弓はくちびるを噛んだ。
「亜弓、誰も来ないよ」
そんな亜弓のくちびるを中村の指が割り、口腔に含ませる。
「あの二人も、聞いてないって」
「あ、一臣…さ…」
いやいやをするようにゆるく首を振る亜弓の唾液を指に絡ませて、乳首を吸いながら中村は亜弓の後孔に触れた。
「あ、ん、んん…」
小さな、掠れた声で亜弓がいつも以上の興奮を伝える。いつもと違う環境、しかも屋外という状況が、常以上に亜弓を煽っていた。
「すごい…亜弓、もうこんな」
指を増やしてひくつく内側を刺激しながら、中村は挿入の準備を整えた。
「は…やく、一臣さん、してっ…」
いつもは絶対にもらえないねだるような声に、中村の理性も焼き切れそうになる。
求めてもらえて、初めて払拭できる不安がある。今亜弓に幸せかと問えば、間違いなく亜弓は笑顔を浮かべて幸せだと頷くのだろう。だがそれでも、亜弓の儚さは変わらない。少し目を離した隙にこの幸福もろとも消えてしまうのではないかと、そんな風に思わせる空気は未だ備えたままだ。
「亜弓、愛してるよ…」
お決まりのような、けれど大切な言葉を中村は繰り返した。
亜弓が自分の存在を求めつづけてくれる限り、自分も亜弓を愛しつづけることができる。しかしいつか、この手は自分から離れていくのではないかという気も、漠然とする。
――いつ、亜弓は僕から離れてしまうのだろう。
亜弓から伝播した不安を胸の端に沈めて、中村は深く亜弓を抱いた。
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