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「ですから殿下、わたしは妃の一人というだけですから、このような部屋は分不相応だと申し上げているのです」 「うーん、困ったな。わたしの伴侶はルナだけだし、王族としては決して贅沢なほうではないのだけどね」  王城の中にある王太子宮で暮らすことになったわたしは、「ここがルナの部屋だよ」と案内された豪華な部屋に呆然とした。わたしにも高価だとわかる美しい調度品にも呆気に取られたけれど、なによりそこが“正妃の部屋”だということに驚いたのだ。  たしかにわたしは王太子妃の一人にはなるけれど、王太子宮には二番目以降の妃、つまり第二夫人以降に与えられる部屋もある。そういう部屋の中には隔離できる場所もあると聞いていたし、男であるわたしはほかのお妃様たちと顔を合わせることはできないだろうから、てっきりそういう部屋に住むのだと思っていた。 (それなのに、まさか正妃の部屋に案内されるとは……)  促されるままに座ったソファでさえ、とんでもなく高価なのだろうとわかるほどの座り心地だ。 「婚約式を終えて一月(ひとつき)が経とうというのに、ルナはなかなか慣れないね。まぁそういうところも愛らしいのだけれど」 「……殿下、あの、そういうことをおっしゃるのは、おやめください」 「どうして? 本当のことを言っているのに?」  そんなことをおっしゃりながら、隣に座った殿下の指がわたしの頬を撫でる。  これが二人しかいない屋敷の部屋でのことなら、まだ恥ずかしいと思うだけで済んだだろう。しかしここは王城で、少し離れたところには殿下をお守りする近衛兵が二人、それに侍女たちが数人、お茶を用意したり窓を開けたりと音もなく動き回っているのだ。 (こんな人目のあることろで……)  正式な婚約者となったのだから、わたしも自分の立場はきちんと認識している。環境が変わっても、何かしら予測不能な事態が起きたとしても、努めて冷静でいようと心がけるようにもなった。つまらない人間のわたしでも、せめてできることはやろう、そう決心もした。  それでも、殿下のこういうお言葉は恥ずかしくて慣れることがない。こんな気持ちはかつての婚約者であったハルトウィード殿下に抱いたことはなく、こういうとき婚約者としてどう振る舞えばいいのかわからず悩んでしまう。 (そもそもハルトウィード殿下からは、こういう言葉を頂戴したこともなかったけど……)  こうして頬に触られることもなかった。それ以前に手を繋いだことすらない。  ところがウィラクリフ殿下は正式に婚約してからというもの、あちこちに触れるようになった。頭や頬、手の甲、それに最近は服越しに肩や背中を撫でられることもあり、そのたびに緊張してしまう。  それに「愛らしい」だとか「いい子だ」といった言葉をかけられることも多く、慣れない表現に羞恥心ばかりが大きくなる。 (何を言われても恥ずかしいなんて思うことは、これまでなかったのに……)  そもそも、そういった言葉は父上にしか言われたことがなかった。それも幼い頃のことだから羞恥心を抱いた記憶もない。  こうしたわたしの微妙な心の変化を、父上はすぐに見抜いたようだった。恥ずかしがるわたしを見た父上に「よい顔をするようになった」と喜ばれることもあった。  わたしのほうも、いつも心配そうな顔をしていた父上の目が随分と穏やかになったことには気づいていた。母上が生きていた頃のように健やかになったと、執事のジルバートンも嬉しそうにしていた。  王太子宮へ引っ越すことになったわたしに、「これでようやく安心できる」と笑った父上の顔を思い出すたびに、わずかな寂しさと大きな安堵感を覚える。 「何度も言うようだけれど、わたしの伴侶はルナだけだ。ここにルナが住んでくれないと、この部屋はずっと空き部屋になってしまう」 「殿下……」 「それに、わたしはハルトのように心変わりなどしない。わたしの正妃の部屋は未来永劫きみのものだ」 「あの、ハルトウィード殿下のことはもうよいのです。殿下が悪いのではなく、わたしがつまらない人間だったせいもあったかと思いますし……」  隣から、やや大きなため息が聞こえてきた。 「きみは決してつまらなくない。わたしがありのままの姿で話ができるのはきみだけだし、こんなに美しいのに謙虚で努力家な人も見たことがない。そのうえ愛らしいなんて、わたしはすっかりルナに夢中なんだよ?」 「……殿下、ですから、そういうことをおしゃっては……人目もありますから」 「どうして? 思っていることを正直に口にしているだけだというのに?」  殿下の声が少しおどけているように聞こえる。 (からかっていらっしゃる、のだろうか……)  殿下が時に子どものような悪戯をされる方だということは、婚約式を終えてから知ったことだ。 「それに、心変わりしないというのは本心だよ。これから先、わたしの伴侶はルナだけだ」  先ほどとは違う声色と優しいながらも真剣な眼差しに、思わず少し俯いてしまった。  殿下にここまでおっしゃっていただけるのは、世のご令嬢方なら飛び上がるほど喜ぶに違いない。それなのにわたしの胸には、どこか信じ切れないような複雑な気持ちがわき上がっていた。 (……先ほど、ハルトウィード殿下にお目にかかったから……いや、違う)  ハルトウィード殿下に対しては、婚約破棄される前から特別な感情は抱いていなかった。それなのに胸がツキンとしたのは、隣にお妃様がいらっしゃったからだろうか。  お腹周りが少しゆったりしたドレスを身につけたお妃様は、ひと言で言うなら少女のように可憐な方だった。表情も話し方も感情豊かで、なにもかもがわたしとは正反対だった。 (……違う、そうじゃない)  ハルトウィード殿下とお妃様が寄り添う姿には祝福の気持ちこそあれ、妬むような気持ちは一切ない。けれど、お妃様がウィラクリフ殿下を見たときの表情にはドキッとさせられた。 (何か言いたそうな顔をしていらした、……と思う)  これまで家族以外で親しくする人がいなかったからか、他人の感情の機微に疎いことは自分でもわかっている。元々他人が自分に向ける感情に興味がなく、他人に対して何か思うこともほとんどなかった。  そんなわたしでも、お妃様がウィラクリフ殿下を見る表情の違いには気がついた。 (殿下とは、お知り合いだったのだろうな……)  ハルトウィード殿下と結ばれるようなご令嬢なら、ウィラクリフ殿下とも顔見知りだったのだろう。ウィラクリフ殿下はいつもと変わりないご様子だったけれど、お妃様のほうは最後までチラチラと殿下を見ていたような気がする。 「疲れたかな?」 「え……?」  声をかけられ、ハッとした。 「心ここにあらずといった顔をしている。……やはり、ハルトと会ったのがいけなかったようだね。きみが気にしていないと言うのを真に受けすぎた。もっと気を配るべきだったな。すまない」 「殿下、謝るのはおやめください。殿下は王太子なのですから、そのように謝られては……」 「きみはわたしの伴侶なのだよ。何か不快なことをしたのであれば謝るのは当然だし、伴侶の様子に気を配るのは当然のことだ」 「殿下……」 「それに今日からはここがきみの家だ。我が伴侶には快適に過ごしてほしいと思っている。何か困ったことがあれば、メリアンに言うといい」  殿下の背後にいた侍女が、すっとお辞儀をした。「メリアンは優秀な侍女だから、言えば大抵のことはやってくれるはずだよ」と殿下の言葉が続く。  そう、今日からこの王太子宮がわたしの住む場所だ。  いよいよ婚礼間近となった王太子の婚約者が、いつまでも市中の小さな屋敷に住んでいるのは好ましくない。警備の面だけでなく、外聞という点でもよくなかった。父上もそのことをたいそう心配していたし、そういうこともあっての転居で、もちろんわたしも納得している。 「メリアンと申します、妃殿下」 「あの、よろしく、お願いします……」 (妃殿下……)  たしかにそう呼ばれる立場かもしれないけれど、男としてはさすがに抵抗がある。 (名前で呼んでくれるように頼んでみよう)  聞き慣れない敬称に戸惑うわたしに、わたしより三十歳以上年上だというメリアンはにこりと微笑んでくれた。  ・・・・  王太子宮でのわたしの一日は、メリアンに起こされて部屋で朝食を取ることから始まる。その後、日中はリードベル教授の授業を受けたり仕立屋の夫人が来たりし、予定がないときは本を読んで過ごすことがほとんどだった。  まだ婚約者の立場とはいえ、本来なら王族としてやるべきことがあるはずだ。しかし殿下は、婚礼式が終わるまで何もする必要はないとおっしゃられた。 「気を遣ってくださっているのだろうな……」  王族の仕事は行儀作法や書物を学んだだけではできない。もしかしたら、いまのわたしでは役に立たないのかもしれない。 「……もっと学ばないと」  表立って何かできることはないだろう。それならせめて、それ以外のことで役に立てるようにならなければと改めて決意する。  夕方の入浴では、キルトと言う侍従見習いの青年が手伝ってくれることになった。本当は手伝い自体必要なかったけれど、ここは王太子宮、我が儘を言うわけにはいかない。メリアンに手伝ってもらうのは気が引けて仕方がなかったから、キルトの存在はありがたかった。  わたしより二歳年上のキルトの実家は騎士の家柄だそうで、ウィラクリフ殿下の近衛兵に兄二人がいるのだと教えてもらった。上の兄は近々配置換えになるそうだけれど、下の兄は引き続き殿下の近衛兵だということだから、そのうち顔を合わせることがあるかもしれない。  ほかにも世話をしてくれる侍女や従僕が数人いるけれど、メリアンやキルト以外とはほとんど話すことがない。彼らは存在を感じさせることなく部屋のことをしてくれるから、こういう環境に慣れないわたしには本当にありがたかった。 (きっと殿下が配慮してくださったのだろうな)  どこまでも優しい殿下の気遣いに胸がふわりと温かくなる。そんなことを思いながら本から視線を上げると、ちょうどドアを叩く音がしてキルトが入ってくるところだった。 「それは?」  キルトの手には綺麗な模様の箱があった。ご令嬢が好みそうな色合いだなと思って訊ねると、「ベアータ妃殿下からなんですが……」と珍しく口籠る。  ハルトウィード殿下のお妃様であるベアータ様には、到着した日にご挨拶して以来お会いしていない。 「ベアータ様から……?」  これまで殿下のお母上でいらっしゃる王妃様からは様々な物を賜ったけれど、ベアータ様からは初めてだ。  ウィラクリフ殿下には「母上からの贈り物は役目だと思って受け取ってもらえるかな?」と言われていたので、恐れ多いと思いながらもありがたく頂戴している。  なんでも王妃様は母上をとても可愛がってくださっていたそうで、母上に瓜二つのわたしに親しみを覚えていらっしゃるのだという。初めてお目にかかったときには突然泣き出されたりもして、あのときはどうしてよいのかわからずうろたえてしまった。  贈り物については、ほかにも「ハルトからの贈り物は決して受け取ってはいけないよ」と注意されている。 「兄弟であっても王族だからね、よからぬ噂が立っても困る」  殿下のお言葉に、もっともなことだと納得した。そもそもハルトウィード殿下のほうから婚約を破棄したのだから、わたしに何か贈り物をということはないだろうとも思っていた。  では、ハルトウィード殿下のお妃様からの贈り物はどうすべきだろうか。自分の立場でお断りするのは気が引けるし、殿下からは何も伺っていない。一旦受け取ってから殿下にお尋ねし、どうするか決めたほうがいいだろうか。  そんなことを考えているとメリアンが戻ってきた。部屋の入口に立ったままのキルトを見たメリアンの視線が、すぐさま手元の箱へと向けられる。 「キルト、それはどなたからですか?」 「ベアータ妃殿下からなんですけど……」  キルトの返事に、メリアンの目が少し厳しくなったような気がした。 「こちらはわたしくしがお預かりいたします」 「ですよね、あぁ、すいません」  いつもより硬い声のメリアンにキルトが謝っている。 「メリアン、それは……」 「エルニース様はお気になさいませんように。後ほどわたくしから殿下にお伺いしますので」 「あぁうん、それはいいんだけど……。もしかして、ベアータ様が何かおっしゃっていたんじゃないかと思って……」 「いいえ、何も伺っておりませんよ」 (そうかな……。本当は何かあるんじゃないかな)  以前のわたしなら、二人のやり取りに何も思わなかっただろう。しかし、いまのわたしは以前とは違う。父上が「あれほど周囲に興味を持たなかったルナが!」と涙ぐむくらいには、周囲に目を向けるようになった。  だから、メリアンとキルトの様子がいつもと違うことにも気づいた。それにはおそらく、ベアータ様からの贈り物が関係している。 「もし何かおっしゃっているのなら、隠さないで教えてほしいんだ」 「何もございません」 「そうですよ、この城でエルニース様を知っている人は皆、エルニース様のことが大好きですからね! それにウィラクリフ殿下がこれほどぞっこんな方はエルニース様だけですし、それは皆が知っていることです。まぁ、だからベアータ妃殿下が気にされて……」 「キルト!」 「あー……っと、これ、あっちに持って行きますね」  そう言って箱を持ったキルトが部屋を出て行った。キルトの言葉を遮ったメリアンはいつもと変わらない様子に見えるけれど、それがかえって何か隠しているように思えて仕方ない。  どうしても気になったわたしは、夕食後、ベアータ様から贈り物があったことを殿下にお伝えした。 「メリアンから聞いているよ。中身はご令嬢のあいだで流行っているお菓子だったようだけど、きみは甘いものがそれほど得意じゃないだろう? わたしのほうからベアータ殿にはお礼を伝えておいたから、気にしなくていいよ」 「そうでしたか。それで、そのお菓子は……」  お菓子の行方を尋ねると、殿下がふわりと微笑まれた。 「ルナ、これからも受け取ってよいのは母上からの贈り物だけだからね。ハルトのはもちろん、ベアータ殿からのも受け取らなくていい。ほかの貴族からのはもってのほかだ。贈り物を安易に受け取ってしまっては、いらぬ誤解や政争を招きかねない」 「はい」  王太子妃ともなれば、そういったことにも気を使わなければいけないとリードベル教授にも教わっている。 (本当は、こういう贈り物も自分で対処すべきなんだろうけど……)  忙しい殿下の手を煩わせているのではないかと心配になる。ただでさえ最初の妃が男だということで、殿下には苦労や心配をおかけしているはずだ。それに、ベアータ様のことは初対面のときから気になっていた。 「殿下、お尋ねしたいことがあるのですが……」 「うん? なんだい?」  伺ってよいものか一瞬悩んだものの、殿下の優しい声に後押しされ訊ねることにした。 「ベアータ様とは、……以前から、顔見知りだったのでしょうか?」 「あぁ、キルトが何やら余計なことを口にしたとは聞いたけれど」  気になったのはキルトの言葉があったからじゃない。そう思い、慌てて「そうではないのです」と訂正する。 「あの……、初めてお会いしたときに、ベアータ様が殿下をじっと見ていらっしゃったので、以前からお知り合いだったのではと思ったのです」 「きみは、周囲のことによく目を配るようになったんだね。それはいいことだけど、あまり頑張りすぎては疲れてしまうよ?」  殿下の眉尻がわずかに下がり、わたしを心配してくださっているのがよくわかった。このくらいのことでは疲れたりしないけれど……と思うものの、労るように手の甲を撫でられると胸がくすぐったくなる。 「まぁ、隠していても仕方のないことだ。それに、誰かから事実ではないことを聞いて誤解されるのもよくない」 「殿下?」 「ベアータ殿はね、以前わたしの妃候補の一人だったんだ」 「妃候補」という言葉にドキッとした。 (……いや、驚くことじゃないか)  王太子である殿下には、きっと幼い頃から多くのお妃候補がいたはずだ。わかっていることなのに、いまさらどうして驚いてしまったのだろう。 「妃候補といっても、周囲があれこれ考えて勝手に決めたことだ。わたしはそういうことに嫌気がさして、父上には早いうちから結婚相手は自分で決めると宣言していた。だから候補と言われても何も思うことはなかった。それにわたしは、十二歳のときにはもうルナに結婚を申し込んでいたしね?」 「殿下、そのお話はもう……」 「ふふ、そうして照れるところも愛らしい」  手の甲を撫でていた殿下の指が横髪を梳くように動いたあと、その髪の毛を耳にかけてくださった。  以前は耳を半分隠すほどだったわたしの黒髪は、いまや顎が隠れるくらいにまで伸びている。これは殿下に「きみの黒髪はとても美しい」と褒めていただいたからで、それでも後ろを短くしているのは「ルナのうなじはとても綺麗だね」と、やはり褒めていただいたからだ。 「ベアータ殿は華やかなことが好きでね。しかし、わたしはあまり華美なものを好まない。質にはこだわるけれど、派手なだけの見た目は好きじゃないんだ。その点ハルトは見た目も派手だし、本人も華美なものを好む。それでハルトに惹かれたんだろうね。それに、わたしは案外つまらない男なんだ」  最後の言葉に、思わず「そんなことはありません!」と強い口調で否定してしまった。 「殿下はとてもお優しいですし、現にわたしはとてもよくしていただいています。つまらないなんて、そんなことは決してありません」 「そう言ってくれるのはルナだけだ。それに、きっとわたしはひどい男でもある」 「殿下……」  殿下をひどい男だなんて言う人は絶対にいない。こんなに優しくて優秀で、それにご令嬢方だけでなく男性たちからも憧れの的だと聞いている。そんな殿下をお慕いする女性は、……もしかしたら男性も、きっと多いだろう。 (そうだ、殿下をお慕いしない人はいない。だから、何か言いたそうなベアータ様の様子が気になったんだ……) 「結果としてわたしはベアータ殿に振られたのだよ。そんなわたしが本当に妃を迎えられるのかと、ベアータ殿は心配したのだろうね。だからルナを気遣ってお菓子を届けたのだろう。……わたしはこんな情けない男だけれど、それでもいいかい?」 「駄目だと言われたら困るけどね」と力なく笑っていらっしゃる殿下に、胸が締めつけられるような思いがした。  殿下は情けない男なんかじゃない。つまらないわたしを、つまらなくないとおっしゃってくださった。おかげでわたしは父上が喜ぶほど変わることができた。  そんな殿下のことを嫌う人なんているはずがない――わたしだって、そうだ。 「殿下は情けない男なんかじゃありません。わたしにはもったいないお方です」 「……ありがとう」  抱き寄せられた殿下の胸はとても温かく、ホッとする。そっと目を閉じれば、いつも殿下が身に纏っていらっしゃるいい香りが鼻孔をくすぐった。 「ハルトに傷つけられたきみに謝りたいと、元気づけたいと思っていた。ところが出会ってすぐに、十二歳の頃の自分に戻っていた。あの頃抱いた気持ちをすぐさま思い出したよ。そのくらい、きみに惹かれたんだ。わたしのほうこそ、もったいない人だと思っている」 「殿下……、それこそもったいないお言葉です」  トクントクンと殿下の胸の音が聞こえる。それよりも、わたしの胸の音のほうが少し早い。  どうしてだろう……。ううん、これは間違いなく……。 「……ハルトが愚弟で本当によかった」  自分の感情に思いを馳せていたからか、殿下のつぶやきを聞き取ることができなかった。 「殿下……?」 「さぁ、もう夜も遅い。そろそろ寝たほうがいい」  腕を解かれ、わずかに離れてしまった隙間を寂しく感じていたわたしの頬に、殿下がチュッと小さな音を立てておやすみのキスをくださった。

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