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 この日、わたしは国王陛下の第三夫人からお茶に誘われていた。ウィラクリフ殿下に「第三夫人はよい人だから会っても大丈夫だよ」と許可をいただき、緊張しながらもメリアンと一緒に王城の中の広々とした庭へ向かう。  本来ならわたしが第三夫人の部屋にお伺いすべきなのだろうけれど、いくら王太子妃になるとはいえ男のわたしが陛下の後宮へ立ち入ることは許されない。そこで夫人のお気に入りだという庭でお会いすることになったのだ。 「まぁ! お噂どおり、いいえ、それ以上に美しい殿方ですこと!」  手を叩きながら興奮している様子の夫人は「わたくしのことはリラとお呼びくださいね」とおっしゃりながら、熱心にわたしの顔を見ている。 「こんな美しい方に息子の親になっていただけるなんて、とっても素敵なことだわ」  リラ様が生んだ王子はウィラクリフ殿下の養子となるため、わたしにとっては義理の息子になる予定だ。まだ乳飲み子の王子は名をリドニス様とおっしゃり、三歳まではリラ様の元で育てられることが決まっている。 「……本当によろしいのですか?」 「リドニスのことかしら?」 「はい。ウィラクリフ殿下の養子になられるということは……その、引き離されるということですし、お寂しくありませんか?」  これは殿下から養子のことを伺って以来、ずっと気になっていたことだ。  五歳で母上を失ったわたしは、しばらく母上がいないことが寂しくて仕方なかった。そのぶん父上や執事のジルバートンをはじめ、屋敷にいた侍女や従僕たちが温かく見守ってくれてはいたけれど、やはり母上がいないという寂しさを埋めることはできなかった。幼い王子殿下にそうした思いをさせるのではないかと心配だった。  もしわたしが女性だったなら、まだ少しは母の温もりというものを王子殿下に与えて差し上げることができたかもしれない。けれどわたしはどこからどう見ても男で母親にはなれない。  それに生まれた我が子を手元で育てられないというのは、母としてつらいのではとも思っていた。 「王太子殿下からお伺いしていたとおり、エルニース様はお美しいだけでなくお優しい方ですわね」 「いえ、そのようなことは……。それに、昔からつまらない人間だと言われてきました」  学舎に通っていた頃、わたしのことをそう話している人たちを見かけたことがある。あのときは「そうかもしれないな」と思っただけだったけれど、いまはどうだろうか。殿下のためにも変わりたいと願ってはいるものの、そう簡単に変われないことは十分わかっている。 (それでも、できれば変わりたい)  殿下のために変わりたいと思うようになった。 「まぁ! それは周りの方々に見る目がなかったのね。あのウィラクリフ殿下が妃にと熱心に通われた方ですもの、もっと自信をお持ちになって」  殿下のことを言われると、どうにも否定しがたくなる。本当に変わったのならうれしいけれど……そう思いながらリラ様を見た。 「エルニース様は、わたくしから息子を取り上げてしまうように感じて気が咎めるのでしょう?」 「そう……ですね。わたしが殿下と婚約することがなければ、こんなことにならなかったのではと思っています」 「ほら、やっぱりお優しいですわ」  そんなことはない。優しいというのであれば殿下や、こうして話を聞いてくださるリラ様のほうがよほど優しい。 「これはお恥ずかしい話なのだけれど……」  リラ様の声が少し小さくなった。 「わたくしの生家は、それはもうとても貧乏でしたの。家柄はとても古いんですけれど、先代が浪費家で家の中は火の車でしたわ。母どころかわたくしのドレスも売らなければいけないくらいで、それはもうひどいものでしたの」 「わたしの家も似たり寄ったりです」 「エルニース様のところは本の収集でしょう? わたくしの祖父は愛妾につぎ込んでいましたの。あぁもう、本当に男というのは情けないものですわ」 「……それは、なんと申し上げてよいか……」  わたしが返答に困っていると、リラ様が「ふふっ」とお笑いになった。 「そんなお祖父さまも亡くなりましたけれど、残されたわたくしたちは本当に困っていましたの。それでわたくし、思い切って陛下の後宮に入れないか考えたのですわ」 「それはまた、」 「卑しい考えだと思われまして?」 「いえ、そんなことは……」 「あら、わたくしはそう思っていますわ。お金のために陛下のご寵愛を狙うだなんて、貴族令嬢がすることじゃありませんもの」  リラ様はあっけらかんと笑っていらっしゃるけれど、どう反応してよいのか正直困ってしまう。 「それでいろいろと伝手を当たっていたのですけれど、最後に手助けしてくださったのがウィラクリフ殿下でしたの。お母上でいらっしゃる王妃様にもお話してくださって、陛下も説得してくださって。そのおかげでこうして第三夫人になることができましたし、生家も無事に持ち直しましたわ。さらに息子まで授かって未来も安泰というわけですの」  そうおっしゃりながらコロコロと笑う姿に、わたしはただ瞬きをすることしかできなかった。  ここまで開けっ広げにお話になるということは、リラ様は裏表のない方なのだろう。王子を授かったというのに、権力には興味がないこともなんとなくわかった。そういう方だから、殿下は「会っても大丈夫な人」とおっしゃったに違いない。 (殿下の配慮には本当に頭が下がるばかりだ)  貴族同士の腹の探り合いすらわからないわたしを殿下が心配してくださっていることには気づいていた。誰と会ってよいか事前に確認していることも知っている。それもこれも、すべては社交界すら出ていないわたしのためだ。 「三番目の王子である我が子が未来の王太子になるなんて、想像すらしていませんでしたのよ? きっとわたくしの手元にいたのであれば平凡な、それでいて誰にも求められることのない人生を歩むことになっていましたわ」 「そんなことは、」 「いいえ、それが王族に生まれた者の運命なのです。だからこそわたくしの子でいるよりもウィラクリフ殿下の養子となって王太子になるほうが、あの子にとってはよいことだと思っています。力のない母を持つ王子では、この先何があってもおかしくないのですから」 (あぁ、そういうことか)  リラ様はリラ様なりに王子殿下を守ろうとしていらっしゃるのだ。それをウィラクリフ殿下もご存じで、それならばと養子にすることをお考えになったのだろう。 (殿下もリラ様も、本当に優しくていらっしゃる)  しみじみとそう思っていたら、リラ様が「それに!」と少し大きな声を出された。 「美しい方というのは本当に眼福ですわ。ウィラクリフ殿下は殿方らしいお美しさですし、エルニース様は女神様かと思うほどの美貌でしょう? お二人が並ぶお姿は、それはもうとてつもなく麗しい光景で、うっとりしてしまいますわ」 「あの……」 「リドニスは、王妃様がおっしゃるには小さい頃のウィラクリフ殿下にそっくりだそうですの。ということは、成長すれば美しい王子になるに違いありませんわ。見目麗しいお二人に美しい王子のご家族だなんて、最高に麗しい光景だと思いませんこと?」  両手を胸の前で組みながら、キラキラとした眼差しでリラ様がわたしを見ていらっしゃる。同意を待っているのだろうということはわかったけれど、さすがに「はい」と頷くことはできなかった。 「あの、たしかに殿下は美しい方だと思いますけど、わたしはそのようなことは……」 「まぁ、殿下がおっしゃったとおり、ご自分の評価が低くていらっしゃるのね。でも、それはいけませんわ」  自分の評価が低いと思ったことはなかったけれど、そうなのだろうか。 「わたくし、お金持ちの結婚相手を探して結構な数のパーティに行っておりましたけれど、こんなに美しい方はお見かけしたことありませんもの。あのウィラクリフ殿下が骨抜きになられたのも納得の美しさですわ」 「骨抜き……それはさすがに言い過ぎかと……。それにわたしなどより、そうだ、ハルトウィード殿下のほうがよほど美しいと思います」  わたしの言葉に一瞬真顔になられたリラ様が、にこりと微笑まれた。 「そうですわね。さすがご兄弟だけあって見た目は似ていらっしゃいますし、お二人とも大変な美丈夫だと思いますわ。けれど、ハルトウィード殿下は物語の中の王子様といった感じかしら」 「物語の中の王子様……?」  リラ様の碧眼が、じっとわたしに注がれる。 「エルニース様のように飛び抜けて美しく学問に秀でていらっしゃる方ならまだしも、ただ美しいお姿というだけでは物語の登場人物と変わりませんわ。だからハルトウィード殿下は余所見をしてエルニース様を手放す道筋を歩むことになられたのでしょうね。もっとも、ウィラクリフ殿下に勝てる方はいらっしゃらないでしょうから、遅かれ早かれ同じ結果になったでしょうけれど」 「それは、どういう意味でしょうか……?」 「エルニース様は、ウィラクリフ殿下にとてつもなく愛されておいでだということですわ」  リラ様が深い笑みを浮かべていらっしゃる。その表情にわたしは何も言うことができなくなった。  最後のほうはよくわからなくなってしまったけれど、リラ様が殿下のおっしゃったとおり良い方だということはわかった。この方となら幼い王子殿下を介してうまくお付き合いできるだろう。重く感じていたことが、ひとつ解消された気がした。  王太子宮での生活は順調だった。お妃教育も終盤を迎え、段々と緊張が高まっていく。「いよいよだ」と覚悟を決める中、ついに婚礼式直前になった。 「いよいよ明日ですね」  キルトが手にする柔らかな布が、ふわふわな泡を伸ばすように背中を擦っている。いつもより泡がたっぷりなのも、いつもより念入りに体を磨かれるのも明日が婚礼式当日だからだろう。  そう、明日わたしはウィラクリフ殿下と結婚し、正式な王太子妃となる。 「少し目を瞑っていてくださいね。今日は髪の毛にも特別なものを使いますから」  体の泡を流したあと、薄手ながら肌触りのよい布を体にかけられる。そうして柔らかい背もたれに首を乗せるように頭を傾けた。目を瞑ると髪を濡らされ、花の香りがする液体を垂らされる。  まるでどこぞのご令嬢みたいだなと思いつつも、王太子妃になるのだから当然かとも思った。きっとこういうことに男も女も関係ないのだろう。 「ようやくこういう入浴にも慣れたご様子ですね」 「慣れたというより、諦めたって感じかな」 「あはは! 最初はそりゃもう大変でしたからねー」  笑いながらもキルトの手は優しく頭を洗い、絡まないようにと髪の毛を丁寧に梳いてくれる。大柄な体格からは想像できない細やかさに、見習いとは言えさすが王族に仕える侍従見習いだと感心した。 (といっても、こういう経験はわたしも初めてだけれど)  わたしの家は底辺の貴族ということもあり、入浴を侍女や従僕に手伝ってもらうことはなかった。貴族というものが身の回りの世話を専属の者たちに任せることは知っている。しかし我が家にはそういった習慣がなく、嫁いできた母上の世話は連れて来た侍女がしていたらしい。  学舎に通い始めた十歳の頃から身の回りのことは何でも自分でしていたわたしにとって、入浴の世話だけは遠慮したかった。我が儘はいけないとわかっていたけれど、はじめの頃はキルトを困らせるほど拒絶してしまったのはいまでも申し訳なく思っている。 「こういう経験がなかったとは言え、キルトには申し訳ないことをしたと思ってる」  世話をすることがキルトの仕事であり命じられたことなのに、随分と手を煩わせたに違いない。 「いいえ。ウィラクリフ殿下からも『最初は戸惑うだろうから』と伺っていましたから大丈夫ですよー」 「そう言ってもらえるとありがたいけど……。これがメリアンだったら、いまでも拒絶していたと思う」  女性に入浴の世話をされるのは、想像するだけで耐えられそうにない。 「あー、それはなかったと思いますよ」 「どうして?」 「エルニース様が女性相手はより恥ずかしがると、殿下もわかっていらっしゃったみたいですからね」  わたしが恥ずかしがることまで殿下は予想されていたということか。 (わたしのことで、殿下がご存知ないことはないんじゃないかな)  つい、そんなことを思ってしまった。 「ま、俺が選ばれたのだって、兄たちが殿下の近衛兵で身元がしっかりしているからでしょうけど。それでも正直助かったんです」 「え?」 「代々近衛兵を輩出する家柄だっていうことで、とにかく騎士になれって両親がうるさかったんですよね。でも俺、昔から剣とか好きじゃなかったんですよねー。それに近衛兵はガッチガチの規則に縛られるって聞いていたし。俺こんなですから、怒られてばっかりだったと思うんです」  たしかに王族の侍従見習いにしては珍しいくらい、言葉遣いも仕草もくだけているように思う。 「わたしはキルトでよかったと思ってる。ほら、わたしも普通の貴族とはちょっと違っているから」 「あはは、そうですねー。あ、悪い意味じゃないですよ? すっごい美人なのに全然傲ったところがないなんて、本……っ当に珍しいですからねー」 「……ええと、美人というのはちょっと」 「はいはい、謙遜しないでください。でもお会いして、殿下が侍女や従僕を選ぶのにすごく時間をかけた理由がよーくわかりました。メリアン様は殿下が幼い頃から仕えていたから選ばれて当然として、こうして入浴をお手伝いする従僕を選ぶには相当注意が必要だったでしょうからね」 「わたしが拒絶すること、殿下にはおわかりだったんだろうな」 「それもあるでしょうけど、ほら、万が一間違いでも起きたら大変なことになりますから」 「間違い?」 「エルニース様ほどの美貌だと、どんな男もコロッといくでしょうからねー。ま、その点俺は旦那様一筋ですし生粋の受け身なんで、エルニース様がどれだけ美人でもそういう気にはなりませんから」 「え……?」  キルトの言葉を聞いたわたしの頭上に、たくさんの疑問符が浮かだ。いろいろ確認したいことはあったけれど、「旦那様一筋」という言葉が強烈すぎてほかはすべて吹き飛んでしまう。髪の泡を流し終え、上半身を起こしたわたしは振り返りながらキルトに問いかけた。 「もしかしてキルト、結婚してる……?」  驚いているわたしに、手の泡を洗い流しながらキルトが「してますよー」と答えた。 「エルニース様が王太子宮にいらっしゃる少し前ですけどね。旦那様とは三年くらい前から正式に付き合ってたんです。兄たちもそのことは知っていたんで殿下にも伝わっていたんでしょうね。旦那様はハルトウィード殿下の近衛兵をしてますし、今回ウィラクリフ殿下からお声がかかったときには、やっぱり来たかって思いましたよ」 「旦那様ってことは、男性ってことだよね?」 「はい、男性です。でもって七歳上の幼馴染みで、以前からハルトウィード殿下の近衛兵をしてます」 「……待って、ハルトウィード殿下の近衛兵って、もしかして会ったことがある?」 「エルニース様のお屋敷にも行ったことがあるって聞いてますよ?」 「え?」  そんな身近に繋がりがあったなんて驚いた。 「以前から随分と心配されていたみたいですから、念のための監視役だったんでしょうけどねー。旦那様は兄たちとも仲がいいし、昔も似たような任務に就いていたって話してましたし、適任でしょうね」 「え? 監視役って、」 「兄たちや旦那様のこともあって、エルニース様の侍従として俺にお声がかかったんだと思います。ほら、この体格ならちょっとした壁にもなりますし、騎士にはなりませんでしたけど一応護衛っぽいことはできますし」 「うん、キルトにはいろいろよくしてもらってるけど、それより監視とか適任って……」 「よーし、すっかりきれいになりましたね! はい、こちらに来てください。さっと拭ってしまいますから」  尋ねたいことがまだあるのに、キルトに忙しなく促されて話を続けられなくなる。 「あ! これからも男同士のことで困ったことがありましたら遠慮なく訊いてくださいね? 俺、旦那様とは結構長いんで、行為のこととかいろいろ詳しいですから」 「え? ……あ、ええと……うん」  キルトの言葉で、一瞬にして顔が火照るのがわかった。 (そうだよな。正式に王太子妃になったら、そういうことも……するんだよな……)  お妃教育ではいろいろ学んだけれど、結局最後まで閨の授業はないままだった。せめてそういったことの指南書などあれば目を通しておきたいと思っていたけれど、誰にも訊くことができないままになってしまっている。 「大丈夫ですよ、そんなに緊張されなくても」  よほどわたしが不安な顔をしているからか、キルトがニコニコ笑いながら元気づけてくれた。 「殿下はエルニース様を本当に大事にされていますし、無茶なことはされないと断言できます。まぁ本当なら張り型とか使っていろいろ慣らしておいたほうがいいんでしょうけど、殿下がお許しにならなかったでしょうから仕方ありません」 「張り型、」  随分前に、とある本で図柄を見たことがある。あのときはギョッとしたけれど、まさかあれを使うということだろうか。 「あはは、本当に大丈夫ですって! ほら、事前準備はできるようになったじゃないですか!」  事前準備と言われて、またもや頬がカッと熱くなった。たしかにできるようにはなったけれど、あれだけでも恥ずかしいやら困惑するやらでいまだに慣れたとは言いがたい。 「たしかにそうだけど……」 「大丈夫ですよ。殿下は誰よりもエルニース様のことを想っていらっしゃいます。それこそあちこちに監視をつけたり人を使ったりしてきたくらいですからね。殿下は、エルニース様のためなら何でもされるんです。だからベアータ妃殿下もハルトウィード殿下に心変わりされたんでしょうし」 「え……?」 「さぁ髪の毛までしっかり拭い終わりましたよ! あとはメリアン様がきっちり仕上げてくださいますからね! さぁさぁ寝室へ向かいますよー」 「あの、キルト、いまの話……」 「さぁお早く夜着に手を通してください! ここで湯冷めでもしたら大変ですからね!」  大きな体格に似合わずテキパキと細やかに動くキルトに促され、言葉をかける間もなく夜着を着せられた。そのまま手を引かれるように寝室に戻ると、肌や髪の手入れをするためにメリアンが待ち構えている。 「今日はいつも以上に丁寧に磨きましたよー」 「キルト、さっきの話だけど、」 「おっと、俺はこれで失礼します」 「あ、キルト、」  メリアンに睨まれたからか、キルトが寝室を出て行ってしまった。訊ねたいことがたくさんあったのにと思いながら、メリアンの手を止めてまで追いかけることはできない。  寝る前、こうして毎晩メリアンが肌の手入れをしてくれる。椅子に座ると、すっかり嗅ぎ慣れた花の香りが漂った。今夜は婚礼式前夜だからかいつも以上に丁寧に、足の指の間までよい香りの香油を塗ってくれる。  はじめの頃は、こうした手入れをされることに大きな抵抗を感じていた。男の自分が女性のように扱われることに困惑したからだ。けれど「いい香りがするね」と殿下に褒めていただいて以来、いまでは手入れされるのが少しだけ楽しい。 「メリアン、いつもありがとう」 「どうされました?」 「キルトに聞いたんだけど、わたしに仕えるのは何だか大変そうだなと思って……」  メリアンは、わたしの世話をしてくれる侍女や従僕たちをまとめてくれる侍女頭のような存在だ。侍女や従僕を選ぶときにはメリアンも関わっていたのだろうし、苦労をかけたに違いない。 「侍女たちを選ぶのに時間がかかったと聞いたから」 「またあの子は余計なことを申したのですね」  呆れたようなメリアンの声に、慌てて「わたしがいろいろ聞いたんだ」と訂正する。 「わたくしは昔からウィラクリフ殿下に仕えておりますから、妃殿下となられるエルニース様にお仕えできることは身に余る光栄だと思っております」 「でも、わたしは男だし……」 「エルニース様は殿下が長年想われてきたお相手なのですよ。性別などお気になさらず、自信をお持ちくださいませ」 「長年って……もしかして、昔のこと知ってる?」  幼い頃に結婚の申し込みをしたことは誰も知らないと殿下はおっしゃっていた。でも、昔から仕えているなら知っているのかもしれない。そう思いながらメリアンの顔を見る。 「はい。お聞きしたわけではございませんが存じ上げております。初めてエルニース様にお会いになられたときから、それはもう夢中になっておいででしたから」 「そう、なんだ」  夢中と言われるとなんだか気恥ずかしい。あれほど優秀な殿下が夢中になってくださるほどの価値が、はたして自分にあるのかと少しばかり不安にもなった。 「エルニース様にお会いすることが叶わなくなり、それからすぐに大変な事故に遭われたと聞いて、殿下は大層心配されておいででした。それが無事こうしてエルニース様とご結婚されることになって心から安堵しております」  心底ホッとしているようなメリアンの雰囲気に、それだけ殿下のことを大切に思っているのだということがよくわかった。本当ならもっと早くに妃殿下を迎えていてもおかしくないのだから、ずっと心配していたのだろう。 「本当にわたしでよかったんだろうか」 「エルニース様はとても努力しておいでです。殿下も大層褒めておいででしたし、リードベル教授も感心されておいでですよ」  メリアンの言葉に、キルトのときとは違った意味で顔が熱くなった。母上が生きていたらこんなふうに言ってもらえたんだろうか……そんな想像さえしてしまう。 「ウィラクリフ殿下は、よき王太子であろうと努力していらっしゃいました。僭越ながらその努力が実り、民から慕われるご立派な王太子殿下になられたと思っております。そのお方に見初められたのですから自信をお持ちくださいませ」 「だからこそ、わたしにはもったいないお方だと思うことが多くて」  力なくそう答えると、腕の手入れをしていたメリアンの手が止まった。 「殿下がもっとも努力され、気を配られたのはエルニース様のことで間違いございません」 「わたしのこと……?」 「どうぞ、殿下と末長く一緒にお過ごしくださいませ。それがエルニース様にとって、ひいてはこの国にとって最良のことでございます」  どういう意味か尋ねようとしたわたしの頬に、メリアンの小振りな手のひらが触れた。そうして花の香りの液体をゆっくりと塗ってくれる。こうして顔の手入れをされることにもすっかり慣れてきた。絶妙な力加減に目を閉じ、ほうっと息を吐いた。  そのまま全身をくまなく手入れされたわたしは、ベッドに入るとともに急速に訪れた眠気に勝てず、あっという間に眠ってしまった。それも事前に眠れないのではと心配した殿下が安眠の薬をメリアンに渡していたからだと知ったのは、翌朝すっきりと目覚めてからだった。

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