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 蜜月最後の三日間は、ほとんどをベッドの中で過ごすことになってしまった。どうにか起き上がろうと努力はしたものの、腰から下にうまく力が入らない。殿下にもおとなしく寝ているようにと言われてしまった。そうして日中のほとんどを寝て過ごしたあと、夜になれば殿下の熱を迎え入れる。  結局、最後の日まで殿下を受け入れ続けた。そうして翌日動けなくなることをくり返してしまった。 (もっと体を鍛えるべきだろうか)  王太子宮に来てからも王城内を散歩したりはしてきたけれど、それでは足りないのかもしれない。そうでなければ、いくら蜜月とはいえ三日間も起き上がれないなんてことはなかったはずだ。  そもそも世のご令嬢方だって結婚すれば蜜月を過ごすわけで、何日も起き上がれなくなるという話は聞いたことがない。ということは、やはりわたしの体力の問題に違いない。  乗馬……は無理だとしても、ほかに何か体力をつける方法を見つけなくてはとあれこれ考える。そうでもしなければ、あのような夜をこれからも過ごすことは――。 (っ!)  殿下との夜を思い出し、不意に体の奥がぞくりと痺れるような感覚に襲われた。カァッと全身が熱くなり、お腹の奥がジンと熱を持ち始める。思わず下腹部を右手で押さえながら、こんな昼日中に思い出すことではなかったと軽く頭を振った。 「エルニースさま」  不意に名前を呼ばれて頭を上げた。王太子宮に続く外廊下に人影はなく、では後ろだろうかと振り返ると、王城の中庭に続く石畳を歩くベアータ様の姿が目に入る。 「ご機嫌よう、エルニースさま」 「ご無沙汰しております、ベアータ様。あの、そのように急がれなくても、」  随分と大きくなったお腹を抱えながら、ベアータ様が早歩きのような速度で近づいてくる。心配した侍女たちも手を差し伸べ止まるように口にしているけれど、ベアータ様は気にするどころか「下がっていなさい」と侍女たちを押しとどめ、結局早歩きのまま目の前にいらっしゃった。 「そのように急ぎ足で歩かれては危ないのではありませんか?」 「まぁ、エルニースさままでそんなことを。あたくし、こう見えても乗馬は得意ですし足腰は鍛えていますのよ」  わずかに頬を膨らませる姿は少女のようで、思わず微笑んでしまった。 (いや、たしかに少女でいらっしゃるのだ)  ベアータ様は先日十七歳になられたばかりだと聞いた。とうことは、わたしより一つ下ということになる。 (そういう部分も騒ぎの原因だったのだろうな)  婚約していないどころか、お相手がまだ成人していないとなれば大問題になる。そのことで国王陛下は随分と悩まれ、ハルトウィード殿下に雷を落とされたと聞いた。それにベアータ様は王太子妃候補でいらっしゃった。王家に連なる高貴な家柄のご令嬢であり、妊娠発覚後はよくない噂が随分と流れていたらしい。  一連のことでますます心を痛めた陛下をお慰めし、ハルトウィード殿下との仲を取り持ったのがウィラクリフ殿下だったのだとキルトが教えてくれた。 (本当に殿下は優しくていらっしゃる) 「やっぱり、お人形のように美しくていらっしゃるのね」  聞こえてきた言葉に、不敬にならないようにと気をつけながらベアータ様を見る。ベアータ様の赤みを帯びた茶色の目は、まるで観察するようにわたしを見つめていた。 「人形のようでしょうか」 「えぇ。あたくし、異国から取り寄せたお人形をたくさん持っているの。でもエルニースさまほど美しいお人形は見たことないから、お人形よりも美しいってことだわ」 「そう、でしょうか」  どう返事をすればよいか戸惑うわたしとは違い、ベアータ様はキラキラした目でわたしを見ていらっしゃる。それほど珍しい顔をしているだろうかと思いつつ、ベアータ様の気が済むまでと思い静かに視線を受け止めた。少しの間じっとしていると、不意に「ほぅ」と小さなため息が聞こえてくる。 「ベアータ様?」 「やっぱり王太子殿下は美しいお顔がお好きだったのかしら」 「ウィラクリフ殿下がですか?」 「えぇ、そうよ。だって王太子妃候補の中に、エルニースさまほど美しいお顔の人はいなかったもの」  今度も何と返事をすればよいのか困ってしまう。 「昔から乳母が『女性は一も二も美しくなくてはいけません』って嫌になるくらい言っていたの。小さい頃からお手入れは欠かさなかったし、お母さまが異国から取り寄せてくださった香油もお化粧品もたっぷり使っていたのよ。だからお父さまが願っていたとおり王太子妃候補になれたと思っていたのに、全然ダメだったわ」 「それは……」 「エルニースさまみたいな美しいお顔には、誰も敵いっこないわね」  綺麗に整えられた眉をしかめている表情は、十七歳とは思えないほど幼く可愛らしい。 (とはいえ、どうお答えしたらいいのか)  そもそも、どういう話かよくわからない。困惑するわたしにベアータ様がにこりと微笑んだ。 「でもハルトウィードさまのお妃になれたから、それはもういいの。お父さまもお母さまも、とても喜んでくださっているわ」 「それは、あの、よかったですね」 「えぇ、ありがとう。それもこれも、王太子殿下がハルトウィードさまに会わせてくださったからね」 「え……?」 「王太子殿下と違ってハルトウィードさまはお菓子がお好きで、綺麗なドレスも宝石も大好きなの。あたくしも大好きだから、お話していてとても楽しいわ」  そういえば以前、ウィラクリフ殿下が「ベアータ殿は華やかなことが好きでね」とおっしゃっていたのを思い出した。ハルトウィード殿下も華美なものを好まれるとおっしゃっていたけれど、賜り物を見るたびにわたしもそう感じていた。 「それにハルトウィードさまはお芝居も音楽もお好きなの。そうそう、いつだったか王立劇場に有名な歌姫が来ているからって連れて行ってくださったこともあったわ。でも王太子殿下は、そういうことはあまりお好きではなかったみたいね。あたくし、それがちょっと残念だったの。だって王太子殿下のお顔は大好きだったけれど、お話はあまり楽しくなかったんですもの」  ベアータ様の話に違和感を感じた。わたしが知る限り、ウィラクリフ殿下は演劇や音楽など芸術にも造詣が深い。芸術に関する本にも詳しく、貴重な本を見せていただいたこともあった。  それに何度か歌い手や奏者を王太子宮にお呼びになり、小さな演奏会を楽しんだこともある。あのときはなんという贅沢だろうと驚いたけれど、わたしが馬車で劇場まで行くことができないための配慮だとわかり心から感謝もした。 「あたくし、ハルトウィードさまのお妃になれてとっても嬉しいわ。ねぇ、エルニースさまはお幸せ? 退屈していらっしゃらない?」  違和感を抱きつつも、もしかしたらベアータ様はウィラクリフ殿下のことをよくご存じないだけかもしれないと思い直す。なにせ王太子妃候補は十人以上いらっしゃったと聞いているし、お一人ずつとじっくり過ごす時間はなかっただろう。 「いいえ、毎日楽しく過ごさせていただいています」 「そう、それならよかった!」  ベアータ様が、にこりと笑いながら無邪気な様子でパチンと手を叩かれた。 「もしかして退屈していらっしゃるんじゃないかと思って、お菓子をお贈りしたの。でも、お幸せならよかった。ほら、先に妃殿下になったあたくしはお姉さまのようなものでしょう? あとからいらっしゃるお妃には優しくしなさいって、お母さまにも言われていたの。でもハルトウィードさまが怖いお顔で贈り物はダメだとおっしゃったから、もうお贈りできなくなってしまったわ。残念」  なるほど、先日届いたお菓子はそういうことだったのか。ベアータ様が頬を赤くしながら一生懸命お話になる姿はなんとも可愛らしく、もし妹がいたらこんな感じだろうかと微笑ましくなった。そう思いながら話を聞いていたわたしを見るベアータ様が、再び「ほぅ」とため息をつく。 「なんて美しいお顔なの。やっぱり王太子殿下は美しいお顔がお好きだったのね。あたくしもエルニースさまのお顔、好きよ」  柔らかな金髪を揺らして笑うベアータ様は、とても幸せそうに見えた。もしかしてウィラクリフ殿下に思うところがあるのではと考えたこともあったけれど、ハルトウィード殿下と仲睦まじくされているようで胸をなで下ろす。 「ベアータ様、こちらにおいででしたか。殿下がお探ししていますよ」  少し離れたところから男性の声が聞こえてきた。視線を向けると、大柄な近衛兵が近づいてくるところだった。 「あら、ハリス。あ! そうだったわ、今日は新しいドレスが届くのだったわ! エルニースさま、ご機嫌よう」 「あ、そのように急いでは……」 「ベアータ様、そのように足早に歩かれては万が一ということもあります。さぁ侍女の手を取って、落ち着いてお歩きを」 「もうっ、わかっているわ。ハリスったら、まるでお兄さまみたいねっ」  頬をぷぅっと膨らませたベアータ様は、それでも現れた近衛兵の言うことには従うようで、控えていた侍女に手を引かれてゆっくりと王城のほうへと歩いて行った。 「ベアータ様のお相手をしていただき、ありがとうございます」  ベアータ様付きの近衛兵だろうか。慌てて「大したことはしていませんから」と答えると、人懐っこい笑みを向けられた。 (あれ……この人、どこかで……) 「それに、我が伴侶も随分とお世話になっているようで、ありがたく思っています」 「伴侶……? ……あ!」  胸元の飾りの色から、目の前の近衛兵がハルトウィード殿下付きだとわかった。そのような人物の伴侶で身近にいる人物といえば、心当たりは一人しかいない。 「もしかして、キルトの伴侶の……」 「はい。申し遅れました、ハリスと申します」 「わたしのほうこそ、キルトにはとてもよくしてもらっています」 「規格外の侍従見習いを褒めてくださるのはエルニース様だけだと思いますよ」 「いえ、わたしのほうこそ貴族らしくないので……」  そう答えれば、少し細めの眼が微笑むようにさらに細くなる。 「それに、ご挨拶が随分と遅くなってしまったことをお詫びしなくてはなりません。以前はウィラクリフ殿下の使いとしての立場だったので名乗るのを控えていたのです」 「……あ、本を届けてくれた、あのときの、」 「はい、たまたまお受けした任務でしたので、個人的なご挨拶は控えておりました。けれど伴侶の主人となられたのですから、今回はご挨拶しなければと思った次第です」  なるほど、だから見覚えがあったのだ。 (あのとき見たことがあるような気がしたのは、ハルトウィード殿下の護衛として屋敷で見たことがあったからだったんだな)  あのときは、たまたま思い出せなかっただけだったのだろう。それよりずっと以前に見たような気がしたのは勘違いだったのだ。 「ところで、ベアータ様が無理難題をおっしゃられたりはしませんでしたか?」 「いえ、そういうことは何も。ただ、わたしの顔が気になられたようですけれど……。失礼なお返事をしていなければいいのですが」 「あぁ、それは大丈夫かと思います。ベアータ様はハルトウィード殿下と似ていらっしゃって、美しいものに目がないのです」 「そう、ですか」 「美しいものに」という言葉を聞くと返答に困ってしまう。 「エルニース様は目を見張るほど美しくていらっしゃるので、ベアータ様もお喜びだったと思います。あぁ、もしや不躾に見つめたりなさったのではありませんか?」 「少しだけ。あ、でも不躾という感じではなかったので大丈夫です」 「それは大変失礼いたしました。お体のこともあって、本格的なお妃教育が先延ばしになっているせいでしょう。申し訳ありません」 「ベアータ様のお目付役も兼ねての護衛なのですが、なかなか難しいものです」とハリスが微笑む。  ハリスという人物は雰囲気が柔らかく、以前思ったとおり大きな体躯ながら威圧感を感じることがない。何人もの近衛兵を見たけれど、こういう人物はあまりいないなと改めて思った。 (こういう人だからキルトの伴侶になったのかもしれない)  明るく元気なキルトと穏やかそうなハリスは、お似合いだと思う。二人が並んでいるところを想像すると、わたしまで幸せな気持ちになって頬が緩む。 「なるほど、これは王城がざわつくのも無理はない」 「ざわつく……?」 「あぁ、失礼いたしました。最近、王城のあちこちで噂を耳にしていたもので」 「噂、ですか?」 「はい。王太子妃殿下の美しさは、まるで女神のようだと。なかには一目見れば寿命が伸びると話している輩もいるくらいです」 「……それは、何とお答えすればいいのか……」 「貴族も王族方も、それこそ騎士や近衛兵の間でもエルニース様は有名でいらっしゃいますよ。以前もお美しいとは思っておりましたが、いまはそこに瑞々しさも加わり、なるほどと納得したところです」 (きっとわたしが“王太子妃”だからだろうな)  そうでなければ、大勢の人たちが美辞麗句を並べ立てるとは思えない。わかっていても、目の前で言われるとうまく返事をすることができなかった。こういうときのためにリードベル教授にいろいろと習っているというのに情けないばかりだ。 (こういうときは、別の話題にするのが一番だ)  そう思い、キルトとの会話を思い出す。 「あの、キルトから聞きました。ハルトウィード殿下の近衛兵として、わたしの生家に来たことがあると……」 「はい、殿下の護衛として何度かお屋敷へ伺っておりましたから、その折にお見かけしていました。そのまま殿下とご結婚されてしまうのかとも思いましたが、さすがにそうはなりませんでしたね」  なるほど、あの頃のわたしを見たということは、わたしがつまらない人間だということも知っているのだろう。見た目は社交辞令だとしても、あの頃から変わったと感じてくれての言葉だったのだ。 (いや、変わったというよりも自覚が芽生えたということかな)  大勢の前で婚礼式を挙げたからか、日に日に王太子妃になったという自覚が強くなっていた。王太子妃として、早く殿下のお役に立ちたいと思うようにもなった。  そう考えると、婚約者という意識のなかった以前のわたしはハルトウィード殿下を随分退屈させていたに違いない。だから婚約を破棄されたのだろうし、当然の結果だったのだ。 「以前のわたしは、自分でもつまらない人間だったと思います。その結果の婚約破棄だったのでしょう。ハルトウィード殿下には本当に申し訳なく思っています」  心からそう思った。わたしと婚約したりしなければ、もっと早くに好きな方に出会って結婚されていただろう。それにたくさんの服やお茶など賜ったりもしたし、それらのほとんどは無駄になってしまった。 「エルニース様のせいではないでしょう。そもそも、ハルトウィード殿下が強引に話を進めてしまわれたことに問題があったのです。ちょうど王太子殿下が外遊されている間で、我らだけではお止めしようがなかった。かろうじてお手を出されぬよう注視することはできましたが」 「外遊……? え? 手?」 「おっと、口が滑ってしまいましたね。最後の部分は聞き流してください」 「あの、いまのは……」  とてもじゃないけれど聞き流せるような内容ではなかった気がする。そう思い訊ねようとしたものの、ニコッと笑ったハリスが「王太子殿下ですが」と話し始めたため口を閉じざるを得なかった。 「ハルトウィード殿下とのお話が持ち上がった頃、外遊で不在にされていたのです。一年ほどの間、主要な友好国へ親善のために行かれていたのですが、ご存知ありませんでしたか?」  そういえば、そんな話を父上から聞いた気もする。近隣諸国から次々と打診が届くため、それならば短期間でまとめてという異例の形を取ったのだと、たしかそんな話だった。社交界に行くこともなく、貴族との交流もなかったわたしはすっかり聞き流していた。 「そのようなときにご婚約の話が出たとあって、我らもどうしたものかと大変気を揉みました。無事に元の鞘に戻って安堵しているところです」 「元の……?」  どういうことだろうかと首を傾げていると、背後から別の声が聞こえてきた。 「ハリス、喋りすぎだぞ」 「これはハーディン近衛隊長殿。隊長殿みずからエルニース様のお迎えですか?」 「まったく……。キルトと言い、おまえたちはお喋り好きの似た者夫夫(ふうふ)だな」 「よき伴侶と言ってほしいですね。それにわたしがお喋りなのではなく、皆が隠しすぎなのですよ」 「それが最善なのだ。ほら、おまえはハルトウィード殿下のもとへ戻れ」 「はいはい、了解しました。それではエルニース様、失礼します」 「あの……はい」  気になることはあったけれど、ハーディンと呼ばれた近衛隊長の視線が気になってこれ以上話を続けるのは無理だと諦める。王城のほうに去って行く後ろ姿を見ていたら「王太子殿下が心配されますよ」と声をかけられ、改めて近衛隊長を見た。 (あれ? この人、誰かに似ているような……) 「愚弟がご迷惑をおかけしていなければよいのですが」  やや眉尻を下げ苦笑しているような表情は、メリアンに叱られているキルトによく似ている。歳は随分と上に見えるけれど全体の雰囲気も似ていた。 「もしかして、キルトの……」 「上の兄になります。現在は近衛隊長を任されておりますが、以前は王太子殿下付きの近衛兵でした」 「そうでしたか。あの、わたしのほうこそ、キルトにはとてもよくしてもらっています」 「そうですか、それはよかった」  ニコッと笑った顔も、どことなくキルトに似ている。それでいて体格はとても立派で、背丈も横幅もキルトよりもずっと逞しい。さすが代々近衛兵を輩出してきた家柄だなと、つい観察するように見てしまった。 「さぁ、王太子宮へ戻りましょう」 「もしかして、わたしを探しに……?」 「王太子殿下が早めに王太子宮に戻られるそうです。それをキルトに伝えに行ったのですが、ちょうど散歩に出られているとお聞きしまして」 「すみません。お手を煩わせてしまって」 「警備のついでにキルトの代わりをしているだけですから、お気になさらず。さぁ、参りましょう」 「……やっぱり、一人で出歩くのはよくないのでしょうか」  ふと思っていたことを口にした。  貴族や王族はベアータ様のように護衛や侍女を連れて歩くものだ。それが常識で、そうすべきだということはわたしもわかっている。しかし生家で自由気ままに過ごしていたからか、周囲にいつも人がいることになかなか慣れることができないでいた。  そんなわたしのぎこちない様子に殿下は気づいたのだろう。王城内であれば一人で出歩いてもよいと、殿下が許可をくださった。 (いままでは殿下のお言葉に甘えていたけれど、そろそろ王太子宮での生活に慣れないとな)  それにこうして何か用事があったとき、毎回違う場所を歩くわたしを侍女やキルトたちは探し回らなければいけない。自分の我が儘を押し通すのは、やはり改めるべきだろう。 「王太子殿下がよいとおっしゃっているのですから、エルニース様が心配されるようなことはないかと思いますよ。それに、殿下ご自身もお一人で散策されることはありますから」 「ここは殿下のご生家ですから、殿下は大丈夫だと思いますけれど……」  殿下とわたしとでは立場がまったく違う。それに、殿下ならお一人でも周囲に迷惑をかけることはないに違いない。 「王族方を護衛するために我ら近衛兵がいるのです。エルニース様のことは近衛隊全員に周知されていますから、ご安心ください」 「あの、ありがとうございます」 「殿下は常にエルニース様のことを思っておいでですから、ご心配には及びません」  本当に殿下は過分なほど気遣ってくださる。せめて王太子妃としてお応えしたいと思ってはいるものの、いまだに王族として、王太子妃としての役目は与えられていない。 (やはりわたしが未熟だからなんだろうな)  そう考えると胸が苦しくなる。早く王太子妃にふさわしくなりたいと思いながら扉を開けると、「今日は新しい石鹸が届いたので楽しみにしていてくださいねー」というキルトの元気な声がした。その声に真っ先に反応したのはキルトの兄である近衛隊長だった。 「その言葉遣いはなんだ」 「げっ! ハーディン兄!」 「王太子妃殿下付きの侍従になるというのに、まだそんな言葉遣いをしているのか」 「これが俺のやり方なんですぅ」 「キルト」  兄らしく咎める近衛隊長と、そんな兄にむくれるキルトの様子に笑みがこぼれた。わたしに兄弟はいないけれど、こういう関係はいいなと羨ましくなる。 (わたしを思ってくれる人たちに迷惑をかけてはいけないな)  改めてそう思い、自分の行動を改めようと決意した。

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