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16・終
少し離れたところから建設中の塔を眺める。塔は王太子宮と外廊下で繋ぐことになったようで、わたしは先に完成した外廊下の端から毎日のように塔ができるところを眺めていた。
(そういえば、貴賓館は随分と静かになったな)
王太子宮の隣に塔を建てるため、王太子宮にもっとも近い貴賓館の庭を半分ほど潰したと聞いている。そのようなことをしても大丈夫なのか少し心配したけれど、貴賓館はほかに三棟あり問題ないという話だった。
それに王太子宮近くの貴賓館は王太子妃候補が住むための建物だったそうだ。「もう必要ない場所だからね」と微笑んでいたウィラクリフ殿下を思い出すと、少しだけ複雑な気持ちになる。
(本当に王太子妃がわたしだけでよいのだろうか)
またもやそんなことを考えてしまい、「それでよいと殿下がおっしゃったのだ」と頭を振る。
貴賓館に滞在されていた大公殿下の姫君――ラティーナ様は、わたしが寝込んでいた間に帰国されたそうだ。なんでもすぐに帰るようにと母国から呼び戻されたそうで、陛下への挨拶もそこそこに大急ぎで出国されたのだという。
荷物もほとんどそのままだったらしく、貴賓館の片付けに駆り出されていた侍女たちが少し疲れた顔をしていたのを思い出す。そんな侍女たちの立ち話がたまたま耳に入ったのは、ラティーナ様が帰国されて十日ほど経ってからだった。
――今回の帰国はやっぱり……。
――毒の件が表沙汰になったという話だから、大急ぎでの帰国になったそうよ。
――帰国だけで済むかしら。
毒という言葉にドキッとした。昔から貴族や王族の間では、政敵や恋敵などに毒を盛るというのは珍しいことではない。そういうドロドロした話は民たちの格好の話題らしく、市中にはその手の本がたくさんあふれていた。わたしも何冊か読んだことがあり、歴史上で毒殺事件が何度も起きたことは知っている。
もしかして大公殿下の身に何かあったのではないだろうか。毒に急ぎの帰国と聞いてそう考えた。それなら荷物もそのままにラティーナ様が大急ぎで呼び戻されたのもわかる。
(大変なことになっていなければいいけれど)
塔の奥に見える静かになった貴賓館を見ながら、そう願わずにはいられなかった。
「これはエルニース様、また塔をご覧になっていらっしゃるんですか?」
「ハリス」
「最上階までほぼ完成したと聞いています。あとは王太子殿下こだわりの内装だけだとか」
「図面とは少し変えるのだとかで、まだ時間がかかるそうです。たしか自動で上り下りできる装置を付けるのだとおっしゃっていました」
「なるほど。やはり新しい愛の巣ということで、殿下も力が入っていらっしゃる」
「あい、の……」
ハリスの言葉にカッと頬が熱くなる。
「いやいや、いつまでも蜜月のご様子でなによりです」
「そ、そんなことは……。あの、その表現は少し違うのではと思うのですが、ええと、この塔はそういうものではなくて、」
「おっと、これ以上お可愛らしい顔を見ては殿下に尻を蹴られてしまいそうですね」
「え……?」
「ハリス! おまえはまた余計なことを申し上げているのではないだろうな!」
王太子宮のほうから大きな声が聞こえてきた。振り返ると、キルトの下の兄であるサリウスが小走りで近づいてくるところだった。
「なんだ、藪から棒に。人をお喋りみたいに言うな」
「そのとおりだろう! まったく、おまえと言いキルトと言い、口が滑りやすいのはどうなんだ」
「なんだ? 人の伴侶の悪口か?」
「うるさい。あれはわたしの弟でもあるんだぞ」
「そうそう、おまえと違って可愛い奴だ」
「そんなことは、おまえに言われなくともわかっている」
「そうか? おまえよりもわたしのほうがキルトのもっと可愛い姿を知っていると思うぞ?」
「何を言ってる。キルトが小さい頃から世話を焼いてきたのはわたしだ。それこそおしめを替えるのだって……」
「ふ、ふふっ、くくっ」
二人の会話にどうにも我慢ができず、思わず笑ってしまった。
「……これは、大変お見苦しいところをお見せしてしまいました。どうぞお忘れください」
「いえ、あの、とても仲が良い兄弟だというのがよくわかって、よいのではないかと、ふふっ、思います」
あぁいけない、どうしても口元が緩んで笑い声が漏れてしまう。笑っては失礼だというのに、あまりに仲が良さそうな言い争いにどうしても声がでてしまう。
「キルトたち兄弟とは長い付き合いですが、昔からとても仲の良い兄弟なんですよ。とくに末っ子のキルトは年が離れているからか、そりゃもう溺愛されていましてね」
「そのせいか、自由奔放に育ってしまったように思います。それに口ばかりが達者になって、つるりと余計なことまで口を滑らせてしまう。まったく、おまえら夫夫 はそっくりだ」
「うん? わたしはつるりと滑らせたりはしないぞ? わかっていて漏らしているだけだ」
「余計に質が悪い!」
「ははは、そうカッカするな」
「十も年下のおまえに言われたくない!」
「誕生日を迎えればおまえとは九歳しか違わないじゃないか」
「揚げ足を取るな!」
二人の様子にまた笑ってしまった。キルトがハリスとは幼馴染みだと言っていたけれど、おそらく全員が兄弟みたいな感じなのだろう。それにしても兄弟とはなんと微笑ましく羨ましいものだろうか。
「わたしには兄弟がいないので羨ましい限りです。ウィラクリフ殿下とハルトウィード殿下も、とても仲の良い兄弟でいらっしゃるし」
わたしの言葉に二人の動きがぴたりと止まった。そうして二人の視線がわたしへと向けられる。
「あの……?」
何かおかしなことを言ってしまっただろうか。首を傾げていると、ハリスがいつもの人懐っこい笑みを浮かべた。
「そうですね、兄弟仲が良いのはよいことかと思います。ところでエルニース様、王太子殿下への贈り物に悩まれておいでだとか」
「え? あぁ、キルトに聞いたんですね。いろいろ考えてはいるんですが、どうしたものかと悩んでいるところです」
「ではキルトにご相談ください。昔からキルトは賑やかなことが大好きでしたから、そういうことにも詳しいのです。なぁ、サリウス」
「たしかに。もしお困りのようでしたら弟にご相談ください。多少なりとお役に立てるかと思います」
「はい、ありがとうございます」
二人に言われ、ウィラクリフ殿下の誕生日の贈り物に思いを巡らせた。
殿下は一月 と少し前に二十七歳の誕生日を迎えられた。国を挙げての祝い事や盛大なパーティは行われたものの、王太子宮での祝い事は先延ばしになっている。それは殿下が「ルナの誕生日と一緒に祝いたい」とおっしゃったからで、わたしの誕生日は十日後に迫っていた。
そのときこそ殿下に贈り物を差し上げたい。一月 前にはできなかったことを今度こそはと日々あれこれ考え続けていた。しかしこれまで父上にしか誕生日の贈り物をしたことがないわたしには、殿下に何をお贈りすればいいのかさっぱり見当がつかない。それに殿下は王太子でいらっしゃるから、おかしなものをお贈りするわけにもいかない。
(贈り物一つ決められないなんて)
完成に近づく塔を見ながらずっと考えていたものの、結局よい案は浮かばなかった。それなら二人が言うようにキルトに相談するのがいいのかもしれない。
(本当は一人で選びたかったけれど……)
いや、今回は何もかもが初めてだから仕方がない。来年の贈り物こそ、一人で考えて選べばいいのだ。
(そう、来年もその次も、殿下への贈り物を考えることができるのだから)
そのためにもたくさん学び、殿下の伴侶にふさわしい人間になりたい。そのためには何をするのがよいだろうか。
ふと、殿下から歴史書の編纂をしてみないかと言われたことを思い出した。
「ルナは王城一の読書家だ。きっと城にある歴史書のことをルナ以上に知っている者はいないだろう。だから、歴史書の編纂はルナにぴったりの役目だと思うのだけれど、どうかな?」
「歴史書の編纂、ですか?」
「そう、我が国と近隣国に関する歴史を遡りながらまとめるんだ。これは国にとっても重要な資料になるし、異国の言葉の読み書きができるルナには最適だと思うのだけれど」
「わたしにできるでしょうか?」
「ルナにこそふさわしいと思うよ。それに、書物の編纂なら王太子宮から出なくてもできるからね」
歴史書の編纂が殿下の伴侶にふさわしい役目なのかはわからない。しかし、殿下のお役に立つのであればやってみたいと思った。
(これもわたしのためにと殿下が考えてくださった務めなのだろうし)
馬車や人目が苦手なわたしにもできる務めをと考えてくださったに違いない。そのうえで王太子宮内でできることを見つけてくださったのだ。「時間はたっぷりあるから考えておいて」と殿下はおっしゃったけれど、そろそろ返事をするべきだろう。
「エルニース様、そろそろ部屋へ戻りましょう。ハリスはどうする?」
「近辺を少し回っておく。ではエルニース様、わたしはここで失礼します」
「はい、あの、いつもありがとうございます」
「いえいえ、これも新しい任務の一環ですので」
そういえば、ハリスはハルトウィード殿下の近衛兵から別の任務に変わったのだとキルトが話していた。きっと出産準備でベアータ様がご生家に戻られ、護衛の任務が必要なくなったからだろう。一体どんな任務かまでは聞いていないけれど、王太子宮の近くで見かけることが多いからウィラクリフ殿下に関わる任務なのかもしれない。
「足元にお気をつけください」
「わたしは姫ではないのですから大丈夫ですよ」
サリウスはいつもどこかのご令嬢の相手をするように声をかけてくれる。すっかり慣れてしまったけれど、やっぱりおかしくて少しだけ笑ってしまった。
(もうすぐ冬が来るな)
王太子宮に来てから、あっという間に時間が過ぎた。顔を上げると澄んだ青空が広がっている。屋敷で見ていた空と同じはずなのに、ここで見る空のほうが鮮やかに見えるのは気のせいだろうか。
視線を戻すと、風に揺れる木々の緑が目に入った。その色に、いつもわたしを見ていてくださる優しい緑眼を思い出し頬が緩んだ。
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