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「あ゛ぁ゛ ん──っ」
何もないとわかっているだろうに、小さな五つの指が広がって懸命に空中の何かを掴もうとし、そして落胆からか震えるようにして布団の上にぱたんと落ちた。
あの生き物は、何をしているんだろうか?
いや、産まれて数日なのだから、そんな意識はないのかもしれない。
俺自身もさすがにその頃は何を考えていたのかと問われても、答えを持っていないのだから。
「あっ あ゛……っっ」
一瞬の溜めがあった。
ぎゃあっ とその体の大きさに似つかわしくない絶叫が上がって、思わず腰掛けていたベッドから飛び上がる。赤ん坊の声は良く響くとは思ってはいたが、この赤ん坊に関してはそれだけでなく声自体も大きい。
バタバタと手足を振り回して、きっと親であるはるひを探しているんだろう……
すぐ戻ってくると言っていたのだから、放っておいても問題ない。
問題は無いはずなのに……
「ぅ゛ ぁ────っ」
「叫ぶな」
余りの音量に耳がぴくぴくと反応してしまう。
小さな体の下に手を差し入れて持ち上げると、重さがあるのかと不安になるほどの簡単さで持ちあがり……
「なんだ、腹が減っているのか」
それならばこの軽さもわかると言うものだ。
俺の腕の中で落ち着くと、赤ん坊は乳を貰えると思ったのかふんふんと鼻を鳴らして辺りを探り始める。
口元に指を持って行ってやると条件反射なのかちゅうっと吸い付く感触があり、指先がほの温かくなった。
「やはり歯はまだ生えていないのか」
「ぁー う」
乳が出ないことを不思議がるように、「う 」と声を漏らしながら赤ん坊が俺の顔をひたと見つめる。
ふっくらとした頬と、小さな唇、それからはるひによく似た黒い瞳。
「黒い瞳でよかった……」
幸いだったと思う、僅かでも愛せる部分があるのならばそれで。
あの赤狐に腹を立てて一瞬は向こう引き取らせようかとも考えたが、赤い毛を持っていてもこの子ははるひの産んだ子だ。
はるひの一部なのだと言うのならば、俺はそれを受け入れるだけだ。
間違いなく柔らかいのだろう頬に擦り寄ってみると、花の匂いと乳の匂い、それから胸を締め付けてくるようなはるひの香りが鼻をくすぐった。
「ふ ……小さくて、甘い匂いだな」
「あーっ! わぁ っ」
またぐずり出しそうな雰囲気に、ゆっくりと歩き出しながらその背中をトントン と軽く叩いてやる、馬車の中でも泣きそうになる度にはるひがこうやってあやしているのを見て覚えた。
軽く揺らしながら、背中を叩く。
頼りない小さな生き物が、腕の中でゆっくりと力を抜いて蕩けるようにうとうとと瞼を閉じ始める、それが新鮮で……面白くて……
口の端に笑みが浮かびかけた瞬間、普通に開け閉めしても軋む音を立てていた扉が勢いよく開き、さっと廊下の明かりが足元に差し込んできた。
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