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「  ……ありがとう ございました  」  それがやっぱりかすが兄さんの代わりなのだとしても、一生に一度のことだと思ってただけにクラドの腕の中にもう一度戻れるなんて思ってもみなかったから。  未練になるかな と、思わなくもなかったけれど逆にどうあがいてもかすが兄さんの代わりでしかないんだってわかって、少しだけだけれどすっきりすることができた。  それに、例えそれがクラドの意に沿わないものだったとしても、結ばれることを許可されたってことが嬉しかったのは事実で……  暗い中で目を凝らしながらメモに走り書きをし、それから多くの荷物は持てないからヒロの物だけを鞄に詰め込んで、子供を抱っこするためのスリングの中にそっとヒロを移動させる。途中で起きるかもしれない とどきどきしたけれど、幸いなことにヒロは可愛らしい瞼を閉じたまま健やかな呼吸を繰り返すだけだ。  軋む戸を開ける前に少しだけ振り返って、ベッドで横になっているクラドを見るけれど、部屋の中は真っ暗でクラドの顔を見ることはできなかった。  傍まで行けば少しは見えるだろうけど……  さっきみたいに手を掴まれてしまったら、もう一度振り払うことができないと感じていたから、唇を動かすだけで「さようなら」と告げてできるだけ静かに部屋を出た。  幸運なことに、雨だ。  幾らクラドが匂いに敏感だとしても、雨で匂いが洗い流されてしまえば追いかけてくることは無理だろうから…… 「ごめんね、ヒロは濡れないようにするからね」  自分の上着をヒロの頭から被せてはみたけれど、薄地のそれは幾らも雨避けにはなってくれないのははっきりしている。できるだけ早くクラドから離れて、少しでも屋根のある場所に行かなくちゃいけない。  もともとロカシに連れられてテリオドス領へと移って、遠出なんかする機会のなかったオレにはここがどの町でどこにあるのかさっぱりわからなかった。  暗い町と圧しかかってくるような黒い雲から逃げ出すように、とにかくここから遠ざかろうと広い道をどこかに向かって走り出す。  レンガ作りの壁もアスファルトで舗装されてない道も、どこに何があるのかもわからない町は迷路のようで、幾度か袋小路に突き当たりながらも、なんとか町の外に出る頃にはずいぶんと時間が経っていた。  雨の降っている深夜だと言うことで人気がなく、人に出会うことはなかったけれど逆にそれが心細さと、逃げ出した罪悪感を増長させる。 「……向こうは、夜も明るかったような気がしたけど」  足元がはっきりと見えず、小石に引っ掛かってたたらを踏みながらそうぼやいた。

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