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「母上、ありがとうございました」 「お役に立てたようで、恐縮です」  こちらが幾ら「母上」と呼びかけてみても、いつも返ってくるのは堅苦しい他人行儀なだけの決まりきった言葉しかなく。  今更、いい年をしてそのことに反抗心を覚える訳ではないのだけれど、ゴトゥスへの遠征から生きて帰り、孫まで連れて来たのだからせめて何か……と思ってしまうのは俺の我儘だろうか?  物心ついてよりこちら、母は騎士であり侍女だったことはあっても俺の母であったことはなかった。  幸いミロクや兄達がいてくれたこともあって寂しいと言う思いを抱きはしなかったけれど、うら寂しさはいついかなる時も俺の後をついて回った。 「お話も済んだようですね」  ふぃ と吹いた風に髪を嬲られ、それをかいくぐるようにして母の目が屋敷の方へと向けられる。  随分と離れた と言っても、俺達の視力をもってすれば応接室の窓を覗くくらいは簡単で、そのガラス越しにこちらを心配そうに眺めるはるひが確認できた。  心細そうにしているのは、陛下と二人きりにされたせいだろう。  そうして立っているはるひの後ろに、陛下が立つのを見てざわりと毛が逆立つような悪寒が走った。 「母上、陛下はもう落ち着かれているのでしょうか」  問いかける形であったのに疑問形にならなかったのは、答えを聞くよりも前に走り出したせいだ。  細い草が足に絡まって千切れ、青臭い草の臭いをまき散らす、坂道と言う部分を除いても自然と力の入った足はぐんぐんとスピードを上げていく。  狭まる視界の中で、ガラスの向こうにいるはるひの肩に陛下の手が伸びるのが見える。 「  っ」 「先に参ります」  先に駆け出した俺の背後からそう声が掛かり、強く風を掻き混ぜて傍らを紫色の塊が追い抜かして行く。 「  ────っくしょう!」  俺の口から罵詈が漏れる頃には、母は屋敷の中へと姿を消していた。  鉄壁の黒き無慈悲の防壁  人外より遣わされた黒騎士  漆黒を纏う絶望の守護者  そんな二つ名を並べ、どのような困難な敵でも薙ぎ払って来た母が唯一越えることのできなかった物がある。  それが、身分 だ。  ひどく移ろいやすく脆く曖昧なそれに、どうして母が唯々諾々と従っているのだろうかと言う疑問もあったけれど、何にも屈しないと思える母がそれに対しては跪いて頭を垂れる。 「陛下、お戯れもその辺りで。はるひ様はそう言ったからかいに慣れてはいらっしゃらない御様子です」  応接室に飛び込んだ時、母は陛下の前に頭を垂れてはるひから手を引くようにと進言しているところだった。 「  息子の伴侶と親交を深めているだけであろう」  そう突き放すように言う陛下の手は、悪戯をするかのようにはるひの腰に回されていて……   「陛下っ」  息を整えきれず、荒げるように名を呼ぶとゆっくりと一度目を瞬かせてから物憂げに青い瞳が俺の方を見る。

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