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 けれど左手にはどこにもその黒いシミを確認することができなかった。 「どう言うことだ?」  そこではるひの言葉をもう一度思い出した。  『触手に触られた』  けれどはるひの体のどこにも黒いシミなんてなくて、それは恐怖の中ではるひが見た夢か何かだったんじゃないだろうか? と結論を出そうとした時、腕の中のはるひがくるりと身を反転させて両手を差し出してきた。  まるで水でも掬うかのように天に向けられてぴったりと合わさった形をしている。  けれどもちろん、その手の中には何もなくてはるひが何を示しているのかよくわからない。 「  見ててもらえますか……」  はるひの言葉は怯えを含んでいたのがわかるほどで、慎重に頷いて返すと小さくほっとした笑みを浮かべてから視線を掌にやって……  掌の上に、小さな銀の粒子が躍る。  それがぐにぐにと歪んでいるのを見て水滴だ と思ったのもつかの間、その宙に踊る銀の水滴はキラキラと弾けるようにして空気に馴染んで消えて行ってしまった。  何を見せられたのか、俺はたぶん……ずいぶんと間抜けな顔をしていたんだと思う。 「コレ が、何か……わかりますか」  尋ねながらもそれは問いかけではなくて、はるひは俺を見上げて苦笑のようなずいぶんと困った顔を見せる。  ソレがなんなのかわからないはずがなかった。  このゴトゥスで散々見守り、そしてはるひの命を救ったものだからだ。  神の力の顕現。  巫女の慈愛の象徴。  万物を癒す破魔の力。  巫女の力だ。 「…………」  言葉が出なかった。     ◇  ◇  ◇  オレが予想をした通りクラドは何も言わずに銀の粒子が消えた掌を見つめたままだった。  いつもならば木々の揺れる音にぴくぴくと動く耳すら動かないままで、オレが目の前で見せたことにどれほど驚いているのか……いや、もしかしたら気持ち悪がっているのかもしれないと、心のどこかが囁く。  オレのコレは明らかにかすが兄さんと同じものだ。  幼い頃から目の前で見て、幾度となくかすが兄さんが巫女として力を奮う姿を誇らしく見てきたのだから……  巫女の力は異界から呼ばれた者にのみ与えられるもので、一度に二人の巫女が召喚されたことなんてないはずだった。  だから、オレがして見せたこれは明らかにおかしいことで、クラドは悪戯か何かだと思ったかもしれない。 「……ご、ごめんなさい」  黙っているべきことだったのかもしれないと思い至っても、もう口から出てしまったことは取り消しようがなくて、クラドの顔を見ることすら怖くなって俯いた。

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