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 触手が這った箇所がじわりと闇に犯されて行くのを目の当たりにして、俺はとっさに魔人ではなくエステスの方へと切りかかった。  この国の法では、巫女は神の使いであり王の伴侶なのだから、それこそ髪の毛の先ほどの傷をつけることすら許されなくて……  俺がこうしてエステスに切りかかったと知られれば、無事に済まないだろうことはどこか頭の隅にあった、けれどそんなことはどうでもよかった。  魔人相手に相打ちになる覚悟をしながらはるひを探し求めて、今はるひを助けられないなら夫として騎士としてこれ以上恥を晒すような生は必要ないだろうから!  首を刎ねるべく下方からほっそりとした首に向けて切っ先を跳ね上げた瞬間、はるひに食らいついて動かなかった触手がエステスの喉を切らせまいとするかのように、俊敏な動きで遮ってくる。  ゴムの中に砂を詰めたような感触のそれは俺の長剣の刃を受け止めても怯むことはなく、むしろエステスを覆うように幾本も増えて…… 「な  っ……」  せいぜい十数本だと思っていた触手がぞろりと這うようにこちらに飛びかかってくる。  とっさに後方に跳んで避けることはできたが、それははるひとの距離を大きく引きはがされてしまったと言うことだ。  エステスに放り出されたのか、腕を押さえてうずくまるはるひの姿が見えるけれどもそれはすべて魔人の向こうの話だった。  駆け寄り、傷の具合を確かめたいと言う思いと、このまま魔人を引き付けておくから逃げろと言う思いで一瞬頭の中が混乱する。  はるひがここから逃げ出して、俺の補助もなしに山を下りれるだろうか? 無事に降りて麓の町から王城に連絡を取ってもらえれば無事に帰れるだろう、けれどあの軽装で一人で降りて行けるのかと言われたら答えは首を横に振るしかない。  瘴気だけなら今のはるひならばどうにでもできるだろうが、獣の皮をかぶり、その牙や爪を携えてしまった魔物に出会ってしまえばもうどうしようもないだろう。  テリオドス領で多少狩猟のまねごとをしていたと言っても、捕らえていたのはただの動物だ。  決して理の範囲外の動きをするようなことはない。  はるひには、そんな魔物に対処する術は皆無だ。  けれど、今この状況ではるひを庇いながらこの魔人をどうにかできるのかと言われたら…… 「 っ……どうする」  自問自答が思わず声に出た。  俺一人が相打ちで終わるなら仕方がない、けれどその後を考えるとここで倒れるわけにはいかなかった。 「……俺は、死んでも……はるひを生きて返す……」  食いしばった歯の間からそんな言葉が漏れた。

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