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第23話

 アルバラの返事を聞いてすぐ、男は外に向かって声を張り上げた。話し合いは終わったことを知らせる旨だった。  少しもしないうちにルークとレグラスが戻ってきて、レグラスがアルバラに手を差し出す。 「部屋を変えますよ。行きましょう」 「え、でも……」  アルバラが困惑する瞳に男を映す。男の今後が気になるのだろう。それに、この男が居なければアルバラも母の情報が得られなくなる。  レグラスにうながされて立ち上がったものの、アルバラは迷う様子を見せていた。 「……こいつは独房に戻せ」 「グレイル! この男はここで殺しておくべきです!」 「や、やめてください! 殺すだなんて……!」  レグラスの不穏な言葉に、アルバラは思わず男を庇うように手を広げる。 「……この人は何も悪くないじゃないですか」 「王子。何を話してどう絆されたのかは分かりませんが、人をそう簡単に信用しないでください」 「でも……」 「リーレン、こいつも使えることがあるだろう。連れて行け」  ルークが指示を出すと、黒服が男を引きずって部屋を出て行く。アルバラはひとまず安堵したように体から力を抜いた。 「ひとまず今は休戦だ。リーレン、おまえは一度王宮に戻れ。動向を探ってこい」 「ええ、ちょうど戻れと連絡がきたところですよ。国が荒れていて、神殿に人が集まっているようですね」  アルバラの腕を引っ張ると、ルークはすぐに部屋を出た。どこに向かうのかも分からない。アルバラは早足のルークについて歩くので精一杯である。 「あの、ルークさん、いったいどこに……」 「部屋だ。風呂に入れ」  それは臭うということだろうかと、少しばかりアルバラに羞恥がよぎる。しかしよく考えてみれば、海に入ったり汗をかいたりしたのにお風呂に入っていないのだから当然のことだ。  連れられた部屋は、アルバラが暮らしていた離宮の部屋よりもうんと広かった。トイレも風呂も一室に完備されている。  あたりを見渡すアルバラを、ルークは容赦無く風呂に押し込んだ。ここもやはり広い。すでにお湯が張られていて、アルバラが三人入っても余裕があるだろう。  おそらくこのまま「入れ」ということだと思い、アルバラは服を脱いでのんびりとお湯につかる。  ——ここ最近バタバタとしていたために、ようやく落ち着いたような気がした。  目まぐるしく変わる状況にはついていけないこともあったけれど、初めて外に出て高揚していたところもある。  外に出て、たくさんのことを知った。  海を見たのも初めてだった。動物に会ったのも、知らない人と話したのも、銃撃戦も初めてである。ヘリから落ちる感覚なんて、本当にすごく怖かったけれど、心のどこかが興奮していた。 (……これからどうしよう……)  王宮には戻りたくはない。けれど、母が手荒な尋問を受けていると聞いて平気でいられるわけもない。  アルバラは王宮に戻るべきだ。そうすれば、男が言うようにユーリウスがアルバラのことも、アルバラの母のこともどうにかしてくれるだろう。ユーリウスが頼れる男ということはアルバラはよく知っている。昔からアルバラが何かに悩んだ時にはいつも教えてくれていたし、国の未来をいつだって胸を張ってアルバラに語ってくれた。  だから、戻るべきだ。そうして母を救わなければ。 (……でも……)  最近のユーリウスは、少し怖い。  彼の瞳に浮かぶ熱から、アルバラはつい目をそらしてしまう。  アルバラが少し転んだだけでも、ユーリウスは過度に心配してくれた。そうして膝に触れて、腿をなぞる。ハーフパンツの裾から手を入れて裏腿を撫でると、うっとりと目尻を垂らすのだ。  ——殿下はあんたにご執心だ。殿下が国王となり、国がふたたび始動した時、あの人はあなたを妃に据える。  男の言葉がよみがえると、アルバラは嫌悪に顔を歪めた。  こんなことを思うべきではない。ユーリウスはアルバラのことも、アルバラの母のことも救おうとしてくれている。けれどここでアルバラが戻れば、ユーリウスはアルバラを妃に据えるという。  それを許容できるのか。生涯、アルバラはユーリウスの隣で笑って暮らせるのだろうか。 (……僕はまだ、ルークさんと居たい……)  アルバラの手を強引に引いて、ルークはいつもアルバラに新しい世界を見せてくれる。  口は悪いし愛想もないし、冷たい態度でもあるけれど……アルバラにとってルークは、アルバラを助けてくれた恩人だ。本当なら、アルバラがヘリから落ちた時、ルークが追いかける必要なんかなかった。あの時点ではアルバラの重要性なんてルークは知らなかったし、危険と言われるアーリア海溝に落ちたアルバラを切り捨てる選択肢もあっただろう。  けれど、ルークはそうしなかった。  それどころか、島についてもアルバラの面倒をよく見てくれた。  きっと善良な人間ではない。それは雰囲気からも分かる。周囲の黒服の反応を見ていても、彼らが畏怖を抱いてルークと接していることは明らかだ。 「……でも、僕は、まだここに居たい」  では母はどうする。こうしてアルバラがのんびりと過ごしている今も、苦しんでいるかもしれないのに。 (どうすればいいんだろう……)  アルバラはまだルークと居たい。これから先、ルークとさらに新しい世界を見ていきたい。  ……では、ルークはどうだろうか。  ふと思いついてしまい、アルバラはピタリと思考を止める。  アルバラはルークと居たいけれど、ルークはどう思っているだろう。  アルバラのことは「利用価値が高い」と言っていた。利用価値さえあれば、ルークはアルバラでなくても良いということだ。  アルバラを守ってくれたあの手は、価値さえあればそちらに移る。そんなことを思えば、心の奥がぎゅうと潰されてしまいそうだった。

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