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第26話
部屋に戻ると、すでにルークは朝食に手をつけていた。近くには通信用端末が伏せられている。
長い脚を優雅に組んで、貴族然とした態度だ。
「ユーリウスはずいぶんおまえにご執心だな」
やってきたアルバラに視線も寄越さないまま、ルークは口元だけで笑っていた。
アルバラが正面に腰掛けてようやく、その瞳にアルバラが映る。どういうわけか、今ばかりはたったそれだけのことで胸が苦しい。
「殿下から何か……?」
「通信が入った。早く返せと息巻いていたな」
アルバラの表情は微妙なものだった。喜んでいるわけでもない。それを観察していたルークは、持っていたグラスをやや強めにテーブルに戻した。
カツン、と少しばかり大きな音が響く。食べる仕草が綺麗なルークにしては珍しいことだ。
「……返せ、とは、まるで自分のもののような言い方をする。以前に変に触られると言っていたが、おまえたちはどういった関係なんだ」
「……関係……?」
「触られるとは、どこまで」
思い出すのは、体を這う手の感触だった。
始まりはもう思い出せない。幼い頃は触れられることもなく、やけに熱のこもった瞳でじっくりと見つめられていた。
転んだ時には膝から腿に触れる。眠っていれば胸を撫でられて、歩けば必ず手を繋がれた。
その距離が普通なのかと思っていたから、アルバラは何も言わなかった。少し嫌だと思うこともあったけれど、それを咎めるような人間は離宮には居ない。アルバラの母の前では変に触られることもなかったから、アルバラも正直「変に触られている」なんて自分の妄想なのではないかと恥ずかしくも思えていた。
けれど、外に出れば分かる。
ルークとはあんな距離感にはならない。アルバラが近づいていくけれど、ルークは決してアルバラと手を繋がない。アルバラに触れない。執拗に見つめない。他と比べてようやく、アルバラはやっぱりあればおかしかったのだと気がついた。
(……どこまで、って……)
その質問の意図が分からなくて、アルバラは答えをうまく見つけられなかった。
どこまで触れられているのか、それを正しく言うには羞恥が勝る。
「なるほどな。思わず赤面するほどか」
「え、あ、ちが……」
「隠す必要はない。……俺もちょうど、おまえを交渉材料にあいつのところへ戻してやろうと思っていたところだ」
「……こう、しょう……?」
ユーリウスのところに戻る。そんな未来に、アルバラの顔には絶望が浮かぶ。
「嬉しいんじゃないのか」
嘲笑を漏らして立ち上がると、ルークは軽々とアルバラの腕を掴み上げた。するとアルバラはあっけなく引っ張り上げられて、ルークの歩くままに連れて行かれる。
「い、痛い、痛いです……!」
「隠しごとはなしにしよう」
「隠しごとなんて……」
「十年前、おまえは一人の女と会っているだろう」
アルバラをベッドに投げると、ルークがすぐに上に乗り上げた。
「王宮の敷地の隅っこにある離宮は、侵入しても気付かれにくい。迷い込んだ女とおまえは会っているはずだ」
「……迷いこんだ……?」
——十年前。
アルバラがまだ、九歳の頃の話だ。
必死に思い出そうとするけれど、なかなか思い浮かばない。
その頃は国も荒れていて、ユーリウスが反乱軍を立ちあげてもいない。アルバラは相変わらず離宮に閉じ込められていたし、母と二人っきりだった。
(……だって僕は、外に出たことなんかなくて)
だから出会ったと言われても、身に覚えは——。
「忘れたとは言わせない。——十年前、抗争の幕引きとして俺の妹が殺された。妹を売ったのはおまえだ」
ルークの顔が、憎悪に歪む。
ルークはもとから表情に乏しいけれど、アルバラのことは温かく見てくれていた。自惚れではなく、きっと周囲もそれを感じていたことだろう。
今はそんな温もりは一切見られない。
アルバラの心は千切れそうなほどに痛くて、じわりと涙が溢れてきた。
「し、知りません……僕……」
「ああそうだ、おまえはユーリウスにその存在を漏らしただけだ。ユーリウスがどのような手段で俺を黙らせるかも考えずにな」
「僕は……」
「妹は……ユノはまだ十八だった。体が弱いくせに好奇心旺盛で、決して殺されるような女じゃなかった」
ユノ。
聞き覚えのある名前に、ぎくりと体がこわばる。
ルークの宝物のような人。ルークが大切に思っている人。殺されたということは、さっき黒服が言っていた「失った大切な人」と同一なのだろう。
アルバラの反応をどう思ったのか、ルークの表情がさらに歪む。
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