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第28話
「わ! びっくりした、人が住んでたんだね」
彼女はアルバラの前に飛び出して、アルバラよりも先に驚いた様子で声を上げた。
まさか人が現れるとは思ってもいなくて、アルバラは反射的に動きを止める。離宮では母以外との交流はないし、いきなり現れた、しかもうんと年上の女の人を前にどうすれば良いのかも分からなかった。
「あ、あの……」
「可愛いね、きみ。ここどこ? 私、街にあるおっきな病院から来たの」
「病院……? 体悪いの?」
「そう。もうすぐ死ぬんだって」
言っていることは暗いのに、その声音は幾分明るい。ちぐはぐなそれに、アルバラはその女性がますます分からなくなっていく。
「だから今は抜け出して、出来るだけいっぱいの人に関わるようにしてるの。……あなたは誰? 名前は?」
「僕はアルバラ。ここの離宮に住んでるよ」
「そっか、アルバラね。私はユノ。十八歳。アルバラはいくつ?」
「九歳だよ」
「え! 九歳!? そっか、もっと小さいのかと思ったけど……しっかりしてるんだね。なんか賢そう」
——彼女はとにかくパワフルだった。いつも笑っているし、最初に「もうすぐ死ぬ」と言った人とは思えないほどである。
アルバラは最初は戸惑っていたけれど、彼女のことを知るにつれてだんだんとその勢いにも慣れてきた。むしろ彼女が元気でなければ心配してしまって、いつもの勢いを取り戻してほしいと願ってしまう。
アルバラが彼女について知っていることは、彼女の名前と年齢くらいのものだ。あとはたまに会話に出てくる「母親」と「父親」と「お兄さん」のこと。あまり積極的に語らなかったから、アルバラも深くは聞かなかった。
そういえば、彼女はどうして来なくなったんだろう。
どうしてアルバラは、彼女のことを思い出せないんだろう。
ふわふわとした中でそんなことを思っていると、唐突に意識が浮上する。
かはっ、と息を吐くと同時、見えた先には落ち込んだようなルークが居た。
「はっ、ごほ! ごほっ、はぁ、はっ……ルーク、さ……?」
「……生きていたか」
アルバラが体を丸めて咳き込んでいると、ルークはベッドから離れて、朝食の用意された席へと戻る。
そうだ。アルバラはルークの家族を殺したと言われて、ルークに殺されかけていた。現実を思い出して、アルバラの胸は先ほどよりも苦しくなった。
どんな顔をしてこの場に居れば良いのか。呼吸が落ち着いてもルークの方を見れなくて、アルバラはベッドの上から動けない。
(僕が……僕が、ルークさんの宝物を……)
あんなにも大切に抱きしめる相手を、殺してしまった。
もちろん覚えはない。記憶にもない。けれどルークが言いがかりをつけるなんて考えられないから、きっとそれは事実なのだろう。
(……僕が……)
「落ち着いたのか」
背後からかけられた声に、思わずびくりと大きく震える。
振り返ることはできなかった。振り返った先で先ほどのような憎悪の表情を浮かべていると思えば、それだけは見たくないと思えたからだ。
「……は、い……すみません」
「なぜ謝る。謝るのは俺の方だろう」
「でも、僕が……」
「座れ。話を聞いてやる」
先ほど殺しかけた相手になんとも傲慢な態度ではあるけれど、アルバラが逆らえるはずもない。俯いたままでなんとか顔は見ないように、先ほどまで座っていたルークの正面に腰掛けた。
「……ユノのことは覚えていないのか」
「……はい。すみません」
「…………そうか」
悔しそうな声音だ。それがアルバラには憎しみを押し殺した音に聞こえて、膝の上で拳を握り締める。
「思い出します。すぐに思い出しますから。それでルークさんの役に立てるなら……」
「別にいい。十年も前のことだ。少しの間しか会っていなかった人間など忘れて当然だろう」
「でも……そうしないと……」
せめてルークの妹がどうやって亡くなったか、その寸前のことを思い出せないと、ルークの気持ちも報われない。
いいや違う。そんなものは建前だ。アルバラはルークに嫌われたままでいたくなくて、必死に現状を変えようとしているだけである。
ごちゃごちゃとした頭の中で、アルバラは必死に十年前のことを考えていた。
十年前。アルバラがまだ九歳の時だ。
アルバラはいつも母と一緒にいた。たまにユーリウスが居たけれど、できれば二人きりになりたくなくていつも母にべったりとしていたのを覚えている。
その時に何があっただろう。誰か訪れただろうか。アルバラにも一人の時間はあったから、もしかしたらその時に——。
「アルバラ」
ルークの声に、アルバラはまたしても肩を揺らした。
「無理はするな。……本当は分かっているんだ。密偵を見つけたところで、ユノの死の真相を暴いたところで、ユノが生き返るわけでもない。俺は無駄なことを続けているとな」
「……それでも……」
犯人をアルバラだと思って殺そうとするくらいには、まだまだ煮え切らない感情があるのだろう。
アルバラは宝物ではないから、簡単に殺された。そんな現実にも打ちのめされて、けれど落ち込んでいる暇はないからとなんとか心を持ち直す。
このままでは嫌われて終わるだけである。なんとか少しでも思い出さなければ。
(分からない。……誰かに会った……? たしか、あの時は一人でよく……)
——僕は大丈夫だから逃げて! 早く行って!
チクリと、小さな針が胸を刺す。細い針だ。それは心の柔らかな部分を何度も繰り返し、ぷすぷすと刺激する。
(……逃げて……?)
そう言ったのに、あの子は笑っているだけだった。
「アルバラ?」
呼び掛けられて、はたと我に返った。動かなくなったアルバラを不審に思ったのだろう。それでもアルバラはルークの顔を見れなくて、俯いたままだった。
「今回のことは俺が悪かった。おまえはもう謝るな。……まだ落ち着かないようならここで横になっていろ」
朝食を終えて、ルークは上品に席を立つ。アルバラの方をちらりとも見ることなく、そのまま部屋を出た。
一瞥もくれなかった。それほど、アルバラのことを見たくなかったのだろうか。
(憎まれるのも当然か……)
覚えていないなんて、それこそ最悪だ。ルークの大切な人を死に追いやったのに、そんなことは綺麗さっぱり忘れて「知らない」と言い張っているのだから。
嫌われても仕方がない。アルバラがルークの立場でも、きっと許せない。
ふらふらと立ち上がると、アルバラはふたたびベッドに横になる。
なぜか、記憶に鍵がかかっているような感覚だった。
「なんで思い出せないんだろう……」
アルバラは記憶力は良い方だ。日常の起伏があまりないから覚えることも少なくて、何かがあれば特に焼きついてしまうのだろう。誰かと出会ったなんて、それこそ強く覚えていそうなことである。
(僕が、思い出したくないと思っているから……?)
頭の奥に、微かな痛みが走る。まるで正解だとでも言いたげな痛みに、ようやく自分が「神様に愛されている」らしい人物であることを思い出した。
もしかしたら、アルバラの思いに神様が応えているのかもしれない。アルバラが忘れたいと強く願ったから、アルバラ思いの神様がそうしてくれているのか。
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