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第30話
「はい。すぐに迎えを寄越してください。……何度も疑わないでくださいよ。アルバラ王子は側におりますから」
うんざりしたような男の声に、アルバラは苦笑も漏れなかった。
アルバラが男——アシュレイの元を訪れたのは、一刻前のことである。
黒服に「彼と少し話がしたい」と言えば、アルバラとルークの仲を親密なものと思っているからこそなのか、すんなりと受け入れてもらえた。
突然現れたアルバラに、アシュレイは驚いた様子を見せなかった。もしかしたらアルバラが訪れると分かっていたのかもしれない。
「覚悟を決めたんだな」
それだけ言うと、アシュレイは独房の鍵をあっけなく開けて、見張っていた黒服をのしてしまった。
二人で逃亡するのは簡単だった。アシュレイも一応プロである。建物内を歩かされているうちに、その内装をうっすらと記憶していたらしい。
黒服に会わないようにと隠れながら外に出て、ようやく今、ユーリウスと連絡を取れたようだった。
「はぁー……冷や冷やする。せめて傷口が塞がってから逃げたかったぜ」
「すみません……」
「ま、そんなに待ってたらユーリウス殿下が発狂しちまうかもしれねぇし、いいんだけどな」
アシュレイはおどけたように笑ってみせた。
彼の素顔はこちらなのだろう。ピリピリとした状況でなければきっと、彼とも友人になれていたのかもしれない。
「……あの、内乱はどうなっているんですか?」
「ああ、もう大変大変。国王軍と反乱軍がやりあってるからしょうがねぇんだろうけど……やっぱ国王軍が押されてるな。王妃は意地でも天啓を受けないって感じらしいし」
「お母様は……」
「今のところは生きてんだろうけど……あの国王のことだから、もしかしたら道連れにする可能性もある」
「そんな……!」
「ユーリウス殿下が手を打ってるから安心しろって。ほんっとあの人、あんたのことに関してはちゃんとしてっからさ」
苦笑気味な言葉に、アルバラも同じような表情しか返せなかった。
それにしても、現在地が分からなくてアシュレイもお手上げのようだった。ユーリウスからも「とにかく発信器が反応するところまで歩いてくれ」と言われているようで、今はひたすら歩いているところである。
「……実際のところ、王子はルーク・グレイルとはどういう関係なわけ?」
「……か、関係……?」
その質問に、アシュレイがニヤリと笑う。
「そりゃあ気になるだろ。あの他人嫌いで性欲も皆無、笑顔すら見せないルーク・グレイルがあんなにべったり側に置いてさ。イロなんじゃねえかって疑うのも仕方がないっつーか……」
「……イロ?」
「セックスとかする仲なんじゃないかってこと」
「セッ……?」
ああそうだった。アルバラは純粋培養だ。ユーリウスや母親が、教育の過程でアルバラにそんなことを教えるわけもない。どうせ精通も夢精だったのだろうし、それも母親が気付かないふりをしてアルバラに教えることもなかったのだろう。
なんだかいっそ不憫に思えてきた。アシュレイは遠い目でひととおりアルバラに同情を示すと、すぐに「なんでもない」と話を変える。
「でも良かったのか? 何も言わずに出てきちまって……」
「……僕、ルークさんの妹さんが殺されるきっかけを作っちゃってて……」
「げ、まじ?」
「それでルークさんには嫌われて、恨まれてます。アシュレイさんのところに行く前にも首を絞められました」
「嘘だろ、こえー……」
ちらりとアルバラの首元を見れば、たしかにそこには指の跡が残っていた。強い力で絞められたのだろう。白くほっそりとした首にはそれはあまりにも痛々しく、アシュレイは思わず目を逸らす。
「あー、それで逃げてきたって感じ?」
「……そうではないんですけど」
二人がひたすら歩いていると、アシュレイが持っていた発信器が電波を受信して音を鳴らした。
アシュレイはすぐに足を止めて、キョロキョロとあたりを見渡す。どうやら隠れるところを探していたようで、すぐに近くの物陰に潜むと、同じように隣に隠れているアルバラに「小さい声でな」と伝えた。
「どうして殿下のところに向かわないんですか」
「ばか、ルーク・グレイルが王子を探してた場合、歩いてた方がすぐに見つかるだろ。ここは隠れて、ユーリウス殿下の迎えを待つ方が賢明だ」
「探すわけ……」
だって、アルバラは憎まれているのに。
けれど自分で言うにはあまりにも惨めで、アルバラは結局言葉を続けなかった。
「それで? 逃げてるって感じなの?」
「あ、えっと……ルークさんが、僕を交渉材料にユーリウス殿下に話を持ちかけるって言っていたんです。僕が出てくる前にもユーリウス殿下と話していたみたいですし……なぜかは分からないんですけど、僕、ルークさんからユーリウス殿下のところに行けって言葉を聞きたくなくて……それなら自分から戻った方がまだマシだって思えたんです」
「最後の挨拶は?」
「…………すごく勝手なんですけど……もう、あんな目で見られたくなくて、逃げちゃいました」
アルバラのことなんて、微塵も大切に思っていない目だった。
それまでの温もりもない。それまでの優しさもない。憎悪ばかりが溢れる瞳で首を絞められて、アルバラは苦しさよりも悲しさで泣いてしまいそうだった。
またあんな瞳を向けられて、はたして泣かずにいられるだろうか。
そんなことは無理だ。きっと大泣きして、ルークにみっともなく謝ってすがって、容赦無く殺されて終わる。そんな情けない最後は嫌だった。
「……あんたは本当に、ルーク・グレイルが好きなんだな」
アシュレイの小さなつぶやきに、アルバラは思わず「え?」と不思議そうな声を漏らす。
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