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第32話
ルークが部屋に戻ると、そこには誰もいなかった。
先ほどまでアルバラが朝食をとっていたはずだが……食器も下げられているし、ベッドで寝ている様子もない。
風呂にでも入ったのだろうか。そう思って浴室を覗くけれど、そこにも人影はない。
——自分を殺そうとした人間と一緒になんか居たくはないだろう。
そんな結論に落ち着いて、ルークはソファに深く腰掛けた。
どうしてあんなにも頭に血が上ったのだろうか。
ルークは冷静な男だ。そうでもなければこの界隈では生きていけないだろう。ユーリウスからの言葉はどれも挑発的だったけれど、それにももちろん気付いていた。ルークの経験から言えば安っぽいものだ。だから相手にするまでもなかったはずだった。
それでも苛立ちを覚えたのは、それまでに原因があったからだろうか。
ユーリウスはやけに、アルバラの所有権を主張していた。
条件を出すから返せとそればかりで、最初の通信よりも遥かに狂った勢いだった。
しかし、それでどうしてルークが苛立つのか。
まったく馬鹿げた話である。それで苛立つなど、まるでユーリウスと張り合ってでもいるようだ。
(……あいつは、ユノを殺したんだぞ……)
しかしそれも、ユーリウスの虚言という可能性もある。
アルバラは嘘をつける人間ではない。覚えていないということは、本当に知らないのではないか。
そんなことを思いながらもアルバラの首を絞めたのは、本当に妹のことばかりを思っていたから——?
心の奥底では、どろりとした何かがあったような気がする。ここで殺してしまわなければ奪われると、そんな醜い感情が吹き出したような気もする。
——目が覚めてアルバラの寝顔を間近に見た時。
ルークは思わず、唇を寄せていた。
触れ合ったそこはやはり柔らかく、吸い付くような余韻を残してそっと離れる。
アルバラは可憐な容姿をしている。眠っていても変わらなかった。自身のその行動のおかしさに気付いたのは、数秒が経った頃である。けれどポーカーフェイスなルークは慌てることもなく、じっくりとその寝顔を見つめていた。
本当は、アルバラの所有権を主張するユーリウスに腹を立てていたのではないか。
その激情の中で妹のことを言われたから、怒りを間違えてしまったのではないか。
後々思い浮かんだそれが正解な気がして、ルークは深くため息を吐き出した。
馬鹿らしい。思春期でもあるまいし。
そう思うのだけど、そんな行動をとってしまった過去は消せない。恥ずかしいような気持ちを持て余してソファに深くもたれると、天井を仰いで目を閉じていた。
「ボス! 緊急事態です!」
しかし、感傷に浸る暇もない。
やってきた黒服を睨み付けるように見つめると、ルークは一度、深くもたれていた上体を起こす。黒服は少しばかり怯えた様子で、けれどしっかりと背を伸ばした。
「どうした」
「捕らえていたアシュレイ・フェリスが姿を消しました! 独房は開かれ、監視の者は意識を失っており、起こして事情を聞くと、どうやら王子がやってきてから記憶がないと……」
「……何?」
そういえば、アルバラの姿がない。
ルークの顔を見たくないから部屋にいないと思っていたが、アルバラがこの広い建物の中で動き回れるはずもない。よくよく考えればおかしなことである。
「……アルバラの姿を見た者は」
「申し訳ございません! 私が王子をアシュレイ・フェリスの独房に連れて行きました」
後から飛び込んできた黒服が、入ると同時に深く頭を下げる。
「なぜそんなことをした」
「王子がアシュレイと話がしたいと言われましたので、それならと……」
「監視はいつから気を失っていたんだ」
「三十分は経過しているとのことです」
それだけの時間があれば、アルバラはすでにユーリウスに拾われているだろう。
ユーリウスと話していた時間が長すぎた。それのせいで、アルバラが消えたことに気付けなかった。
(あの、馬鹿王子……!)
あんな狂った様子のユーリウスの元に戻れば、どうなるのかは子どもにでも理解ができる。
ただでさえユーリウスはアルバラがルークと共に過ごしているということに悶々としているのだ。爆発寸前まで悶々としている状態で極上の餌を与えられたら、それはもう飛びつくに違いない。
アルバラは華奢だ。抵抗も愛らしいと思われて、抱き潰されて終わるだろう。
「ジェットを出せ。王宮に行くぞ」
「しかし今は内乱が……」
「関係ない。リーレンとアレスにも連絡を取れ。ウェルスタインには随時情報を流すようにと伝えろ」
ルークの額には青筋が浮かぶ。黒服はそんなルークに、ただ怯えたように繰り返し頷いた。
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