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第38話
「あの子の首のアザ……貴様が殺そうとしたからじゃないのか。事実確認もせずあの子を殺そうとして、簡単に私に寄越した貴様が、あの子を幸せにできるとは到底思えない。また同じことを繰り返す。今度こそ、あの子を殺すだろう」
かすれる声で、ユーリウスが絞り出す。その音は、ただ悔しがっているだけではないように思えた。
「貴様は『悪』だ。私はそれをよく知っている。必要であれば、どれほど長い付き合いであろうとも相手を殺す。非道で無情な男なんだよ。アルバラは運よく気に入られたようだが……いや、それさえ危うい。貴様がいつ手の平を返すか分からない。貴様には、あの子を幸せにできない」
「……幸せに、か」
——ルークがユノに直接会ったことは一度もない。
正しくは彼女がまだ生まれたすぐの頃には一緒に居たが、その頃に母と共に出て行ったから、ユノの方は少しもルークを覚えていないだろう。
それからは、離れたところから父と二人で見守っていた。
報告書で知るばかりではなく、実際に見に行ったこともある。
危険が及ばないようにと慎重に動いていたからあまり頻繁には行けなかったけれど、直接見るユノはいつも寂しそうな顔をしていた。
母が亡くなってからはそれが強くなったように思う。病院暮らしということもあったのだろう。学校にも通えず、友人もいないからお見舞いも誰も来なくて、看護師たちも彼女にはあまり興味を示さない。
転機は、余命宣告だった。
それから彼女は頻繁に病院を抜け出すようになって、ゆっくりと明るい表情を取り戻していった。
ルークも安心していたものだ。余生を楽しめているのならと、病院まで見に行く回数も減った。
最後に彼女を見に行った時、彼女は心底嬉しそうに看護師と話していた。「お友達が出来たの」と見たこともないような明るい笑顔で語り、看護師からは「抜け出すのはやめてくださいね」とたしなめられる。そんな綺麗な光景が見えて、ああ妹にもいい友人が出来たのかと、兄として心底嬉しく思っていた。
その相手がまさか九歳の少年で、離宮に住んでいる「王子様」だと、誰が予想できただろう。
ルークとユノの関係は明るみになっていないけれど、ルークを崩すならユノを狙うのが一番だ。当時はちょうど抗争も起きていた。それの幕引きに国王がユノを引っ張ってきたものだから、ユノの存在をどこで知ったのかと、ルークも信じられない気持ちだった。
王宮内の事情は、腕のいい情報屋に依頼しても明るみになることはない。
だからずっと不思議だった。誰がユノのことを国側に漏らしたのか。誰がユノを嵌めたのか。
内通者が居ることを疑い、そればかりを考えていた。
だからこそあの時、アルバラとユノの関係、そしてルークの過去が一気に繋がって、冷静ではいられなかった。
言い訳をすればそれに尽きる。さらにその会話の前に、ユーリウスは散々ルークを煽っている。ルーク自身、自分がそんなにも感情的な男であるなんて思ってもみなかったのだが、止められなかったのだから仕方がない。
本気で殺そうと思っていた。
妹を殺した男だからとこじつけの建前を用意して、本音では誰にも渡したくなかっただけである。
「俺があいつを側に置くだけだ。あいつの『幸せ』なんて馬鹿げたものはどうでもいい」
「なんだと? そんな男に、あの子を渡せるわけがない!」
「では死ぬか。話を忘れるな、おまえの感情は関係ない」
「……ひとまずここで頷いて、正式に国王になった後、国の力であの子を取り戻すことは可能だ」
「いいだろう。そうしてみろ。——おまえが国を壊したくなった時にでもな」
尚も向けられている銃口が、一気に緊張感を思い出させる。
ルークの目は本気だった。いや、ルーク・グレイルという男に「遊び」は存在しない。分かっているからこそ、ユーリウスはそれ以上の挑発もできなかった。
「…………あの子は何も知らないんだ。世間も知らない。常識も分からない。王妃が厳重に囲っていたから、父でさえあの子の『力』のことを知らない」
「今回は反乱軍の動きに焦り、アルバラにも何か力があると期待して王妃のついでに捕らえようとしていたということか」
「そんなことはどうでもいい。……あの子はずっと母親と暮らしていたけれど、ずっとひとりぼっちだった。『ひとり』という意味も分からないくらいには寂しい子なんだよ。そんなあの子に貴様は何をしてやれる。危険だらけじゃないか」
それは、愛する者を奪われる男の言葉ではなく、兄として弟を心配している言葉のように聞こえた。
「……交渉は成立だ。おまえは国を治めろ。定期的に会いにきてやるから、仲良くしようじゃないか」
「それこそ冗談だな。誰が貴様と……」
「アルバラの顔を見せに来てやると言っているんだ。断るのか?」
それを言われてしまえば、ユーリウスには拒否できない。
この男はなんと、アルバラを利用してユーリウスと会う口実を作るらしい。——それでホイホイと会って、いったいどんな「話し合い」がされるのか。優位性はルークにある。反乱軍への潜入員も知らぬ間にされていたほどだ。王宮側にも潜り込ませているのだろう。
何より。
誰がルークの隣にいるアルバラをすすんで見たいと思うのか。
「……私は心底、貴様が嫌いだよ」
「奇遇だな。俺もだ」
二人が睨み合っていると、王の間がノックもなく開かれた。
「お話し中すみません! ボス、緊急です! 王子が逃走しました!」
黒服が焦ったようにそれを告げると、ルークは深く長いため息を吐き出して、とうとう頭を抱えてしまった。
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