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第42話
「助けて! アシュレイさん!」
「アルバラがこんな状態だ。少し側に居ろ」
アルバラは混乱したようにアシュレイに手を伸ばして助けを求めていた。泣きそうな顔だ。最後は嫌がるアルバラを強引に引き止めてしまったし、罪悪感も少なからず湧き上がる。
アシュレイはゆっくりと頷くと、おそるおそるジェット機に乗り込んだ。
中は広く、テーブルやソファがあっても狭さを感じさせない。アルバラはソファの奥側に下ろされて、壁とルークに挟まれるように座らされた。
「わ! あ、アシュレイさ、」
アルバラが暴れるより早く、黒服がアルバラの首に注射器を立てる。直後、アルバラの体がふらりと揺れて、ルークにもたれて動かなくなった。
「……何を……」
「即効性のある鎮静剤だ。害はない」
そんなものがあるのなら、わざわざアシュレイを連れる意味なんてなかったのでは……。アシュレイの考えを察したのか、ルークは何を聞かれるでもなく「目が覚めた時が問題だ」と答えた。
そうして一つ間を置くと、ルークは難しい顔をしてふたたび口を開く。
「……こいつは、なぜ俺の元から逃げた」
なるほど、だからルークはアシュレイと二人になる時間をとったのかと、そこでようやくアシュレイは納得する。アルバラの目が覚めたあとなんてまったく問題にもならない。二人は両思いなのだろうし、落ち着いた状況でなら冷静に理解しあえるはずだ。
ルークも存外繊細な男であったということか。
本人の口から聞くには、勇気が足りなかったのだろうか。
「……俺が聞いたのは、あんたが王子をダシにしてユーリウス殿下と交渉する予定だから、それなら売られる前に自分から戻った方がいいってことだったけど」
「……はぁ……そうか」
安堵したのか、ほんの少し目元が緩む。微妙な変化だ。しかし目敏く気付いたアシュレイは、驚きで次の言葉を探せなかった。
あのルーク・グレイルが、一人の男に嫌われていないと知って安堵した。
それはきっとこの男を知る者が聞けば、大事件にも発展するだろう。
「他には何か言っていたか」
「……あんたに殺されかけたって聞いた。すげぇショックだったみたいで、だからあんたに会いたくないんだって。たぶん、王の間であんたに会った時に俯いてたのもそれが原因だと思う」
「あれは……」
「まだ残ってんだよ。王子を殺そうとした時の、あんたの表情。焼きついて離れねえんだろうな。……だからあんたの顔は見れないんだ」
窓の外には、雲一つない晴天が広がっていた。空を飛ぶには気持ちが良く、清々しい光景が広がっている。
こんなにも気持ちの良い景色を眺めているというのに、気分が晴れないのはどうしてなのか。アシュレイは視線をルークに戻して、静かに息を吸い込んだ。
「……けど、ユーリウス殿下のところに連れて行ったのも失敗だった。まさかあの人があんなに狂ってるとは思ってもなくてさ。とにかく俺は王子を連れて帰らないとってそればっかりで、イレーネ王妃のこともあったし、あんたを悪人と思ってたしで、全部救うためには王子を殿下のところに連れて行くのが最善だって思っちまった」
音もなく飛行するジェット機内には、静寂は少しばかり重たい。
揺れたわけではないのだがバランスが悪かったのか、ルークの肩にもたれていたアルバラがずるりと倒れて、ルークの膝に頭を乗せる体勢に変わった。
一瞬で場が凍る。下手をすれば、アルバラの首が飛ぶだろう。
「ボス、すぐに王子をあちらのソファに移動しますので」
慌てた黒服が前に出た。ルークたちが座っている向かい合ったソファの後ろには機内の壁にそってもう一つソファが置かれているから、アルバラのことはそちらに移すと言ったのだろう。
黒服がアルバラを抱き上げようと手を伸ばした。しかしルークが視線をちらりと黒服に向けると、その動きもピタリと止まる。
「構うな。このままでいい」
「ですが、」
「あーもう、いいんだっておっさん。見りゃわかんだろ。あんたのやってることは野暮だぜ」
ルークは不快そうに眉を揺らすと、煩わしげにアシュレイを睨む。しかし何を言うでもない。つまりアシュレイが言ったことに否定要素はなかったということである。
なんともまあ分かりやすい。あのルーク・グレイルが、アルバラの前ではずいぶんと可愛らしいものだ。
そう思えば怖くもなくて、アシュレイは黒服を追い払うように手を動かした。
「ところで、なんで王子は狙われてたんだよ。イレーネ王妃もそうだけど……なんかあんのか」
「それも知らなかったのか」
「王子とは一緒にいたけど、別に込み入った話をしてるわけじゃないんでな」
アルバラがやけにアシュレイに懐いているように見えるのは、アシュレイがこういった気質だからだろうか。
アルバラだって、あまりずかずかと内側のことに立ち入られたくはないだろう。人慣れしていないからこそ、距離感が大事になるはずだ。
——アシュレイは無意識のうちに、アルバラの好むちょうど良い距離感を保っていたということか。
「……おまえ、膝の具合はどうだ」
唐突な話に、アシュレイは一瞬何を言われたのかが分からなかった。しかしすぐに思い出す。そういえばバタバタとしている間に忘れていたが、自分は島で膝を撃ち抜かれたんだった。
忘れていた、なんて。
膝を撃たれた人間が、そんなことになるわけがない。
「アルバラが狙われていた理由はそれだ。こいつは『神に愛されている』らしい」
アシュレイは慌てて自身の膝を確認する。裾をたくし上げてあらわになったそこには、傷跡が残っているだけだった。
「……ありえない」
「思えば俺も、アルバラと出会った時には傷を負っていたんだが、気がつけば治っていた。おそらく、こいつが気に入った人間にも恩恵があるんだろう」
あまりの話に、アシュレイは言葉も出ない。
しかし納得できる部分もあった。なにせアルバラは、アーリア海溝に落ちても無事だったのだ。共に行動していたルークの元部下だって、アルバラがアーリア海溝に落ちても生きていることを確信していたようだった。
これまでその存在が明るみに出ていなかったのも、厳重に隠されていたからだろう。そんな力があると広まれば、どう利用されるかは想像に難くない。国王かユーリウスかは分からないが、秘密兵器として隠していたのなら正解である。
「……それを俺に言って、言いふらす可能性は考えないのかよ」
話を聞くためだけにアシュレイとの時間を取ったのだから、ルークの性格を考えても、間も無く「出て行け」とジェット機から落とされるだろう。アルバラが気に入ってくれているのであれば、お情けでパラシュートくらいは付けてくれるかもしれない。
もしもそれで生きていたとして、アシュレイが周囲にその存在を言いふらしてしまえば隠していた意味もなくなる。アルバラは各方面から狙われることになるのだ。そんな重大な秘密をアシュレイに明かすとは……ルークが相手だからこそ何を考えているのかが分からなくて、少々恐ろしくも思えてくる。
「言いふらす? ……ああ、言っていなかったか。おまえはこれからアルバラ付きの護衛だ。せいぜい、その命を賭してアルバラを守れ」
それはまるで、今更何を言っているんだ? とでも言いたげで、まるでアシュレイの方が間違ったことを言ったかのような、そんな錯覚を起こさせる声音だった。
は? なんて言葉も出ない。アシュレイはぽかんと口を開けて、ただルークを見つめているだけだった。
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