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第43話

   思っていたよりもすっきりとした目覚めだった。  ここ最近、ずっと慣れないことが続いていたからだろうか。珍しく深く眠れたから、疲れもおおよそ飛んでいた。  アルバラはパチパチと数度瞬きを繰り返し、ひとまず上体を起こす。  知らない場所だ。真っ白な壁紙に真っ白な家具、真っ白な絨毯。上質なベッドに、シーツもやはり白である。近くの大きな窓は少しだけ開いていて、優しい風が吹き込んでいた。レースを揺らして、心地の良い温もりを運ぶ。 「……ここは……天国……?」  なんだか居心地が良くて、思わず口をついて出た。 『ぶぶー、ハズレー。そこは天国じゃありません』 「わ! え!? 誰!?」  突然声が聞こえたために、アルバラは思わず隠れるようにシーツを持ち上げた。  どこを見ても誰も居ない。気配もない。どこから声が聞こえているのかも分からなくて、アルバラはひたすら声が聞こえる場所を探す。 『初めまして。自分はバラッド・ウェルスタインといいます。専属の情報屋やってます』 「あ、えっと、初めまして。アルバラです。あの……あなたはどこに……」 『そこはグレイルさんの本邸だから自分は居ないよー。通信してるだけって感じかな』 「……そ、そうですか」  言われてもあまりよく分からないのだけど、きっと聞いても分からないのだろうからと、アルバラは賢明にも掘り下げなかった。  それにしても、どこから声が聞こえているのかが分からない。目立つスピーカーはないように思えるから、なんだか不思議な感覚だった。 『でも本当は、情報を集めるよりもネットワークとかドライブにハッキングする方が楽しいんだよね。いたずらに侵入するだけの仕事がいいなー、そこから情報抜き取るとかじゃなくってさ。巧妙に組まれたセキュリティ崩すのってロマンだよねー』 「……ちょっと難しい、です。すみません……」 『はは! いいよ気にしないで。自分はただ、きみと話してみたかっただけなんだよね。あのグレイルさんが本邸に誰かを招くって初めてだからさ』 「そうですか」  ところで「グレイルさん」とは誰だろうか。  アルバラは「ルーク」として認識しているから、姓を言われてもピンと来ない。それに気付いたのか、バラッドはやけに楽しそうに声を上げて笑う。 『いやー、面白い。あ! 自分がこうやってきみと話してること、グレイルさんには内緒にしてね!? 嫉妬の炎で焼かれちゃうかも!』 「誰が焼くか。……仕事に戻れ、ウェルスタイン」  ノックもなく入ってきたのは、アルバラがもっとも会いたくないと思っていたルークだった。  アルバラはとっさに顔を伏せる。こんな状況で逃げ場がないことは分かっているから、逃げる素振りはもちろん見せない。それでも顔を伏せたのはささやかな抵抗だ。これから殺されるにしても、ずっと目を閉じていようと思った。 『仕事って……任される仕事ぜーんぶ情報集めばっかりで暇なんですー。もっと難しい高難易度のハッキングとか寄越してよ』 「そのあたりはおまえが勝手に趣味で食い散らかしているだろう。満足しろ」 『ちぇー』  ルークが優雅に歩み寄る。途中でブツッ、と派手な音がしたから、バラッドとの回線が切れたのかもしれない。ルークはそれを気にすることもなく「どうせあいつはすぐに繋ぐからな」と呆れたように言うと、ベッドサイドの上質な椅子に腰掛けた。 「体調はどうだ」  気遣うような言葉に、アルバラはさすがに戸惑ってしまう。  体調は良好だ。けれどそれを聞いてどうしようというのか。どうせこれから殺す人間である。元気でも元気でなくても関係はないだろう。 「……えっと……大丈夫です」 「そうか」  広い部屋に余韻を残して、静寂が降りた。どこか気まずい雰囲気がある。アルバラはともかく、ルークがそれを感じさせるのは間違っているのではないだろうか。 「……ユノのことを思い出したのか」  さらりと聞かれたけれど、音にはどこか躊躇いが滲む。  アルバラがこくりと頷くと、ルークは細かく数度頷いていた。 「そうか。ならいい」 「……聞かないんですか」 「おまえがユノを利用する理由がないからな。……幼い頃から離宮に閉じ込められていたんだろう。母親と二人、内政になんか関わってもいない、俺の存在も知らない、抗争が起きていたことも知らなかった奴が、ユノを利用しようとするはずがない」  アルバラの視線が緩やかに持ち上がる。泣きそうな顔をしていた。そんな顔を見て、ルークは微かに目を細めた。 「さっきも、ユノを守りきれなかったと言っていたな。……守ろうとしてくれたのか」 「あ、違うんです……僕……すみません、僕のせいで」 「責めているわけじゃない。謝るな」  いつもよりも声音が尖っていない。たったそれだけのことで、アルバラは泣いてしまいそうだ。

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