44 / 53

第44話

「……僕がユノを逃したってバレたら、僕はどうなるんだって、ユノは最後まで心配してくれて……」 「妹は、どんな女だった」 「……すごく明るくて前向きなのに、すごく寂しがりやでした。でもいつも笑っていられる強さがあって……いつもいろいろなことを笑って聞いてくれました。……僕の、初めてのお友達です」  すみません。  アルバラは最後に謝罪を付け足して、目元を拭う。 「それならいい。……おまえがあいつを忘れたわけではないのなら、充分だ」 「……でも、あんなに怒って、」 「あー、あれはそうだな。……すまなかった」  ルークは少し視線をそらして、おおよそ人が謝っている表情ではないような渋い顔でつぶやいた。ここに黒服が居たなら目玉を落としそうなほどに見開いて驚いていたことだろう。  けれどアルバラはそんなことも知らないから、なぜ謝られたのかと上目にルークを伺っている。そこには、小動物が外の安全性を確認するために巣から顔を出しているかのような緊張感があった。 「あれは……ユーリウスに煽られて苛立っていたから、冷静な判断ができなかった。おまえのことをどう思っているのかも分かっていなかったし、認められていなかったからこそ怒りを間違えたんだ」 「…………え、あ、はい。あの……すみません」 「おまえはもう謝るな」  なかなかうまく言えなくて、ルークは思わず髪の毛をぐしゃりとかき回す。  違う。伝えたいのはそんなことじゃない。聞きたい言葉もそれではない。そもそも悪いのはルークだ。アルバラが謝るのは間違っている。 「……怒りを間違えた、で殺そうとした過去が消えるわけもないが……俺はもう二度とあんなことはしない。ユノの友人であるおまえを、これからは何者からも守ると誓う」 「……ほ、本当に……?」 「本当だ。俺は嘘をつかない」 「本当に、殺さないんですか……?」  信じられない、とでも言いたげな面持ちで、アルバラがじっとルークを見つめていた。 「……すまなかった」  小さく、重たく、言葉が届く。そこでようやく、その言葉が真実であるとアルバラの中にストンと落ちた。 「……僕、ルークさんが好きです……」  音もない室内に、アルバラのか細い声が通る。 「だから、ルークさんからあんなふうにされて……悲しくて……もうあんな目で見られたくなくて、逃げました……。ユノのことを忘れていてすみません……」  ルークからの返事はない。けれどもうルークに憎悪を向けられないと分かってしまえば、そんな沈黙も恐ろしいものには思えない。アルバラは安堵したようにもう一度目元を拭い、口元にふっと笑みを浮かべる。 「ふふ。口に出すとちょっと恥ずかしいですね。ルークさんのことが好きだなんて……ふわふわした気持ちですけど、伝えられてすごく嬉しいです」  照れたように頬を染めて、アルバラは愛らしくはにかんだ。  きっとアルバラは、箱入りの王子様だからこそその先のことを考えていない。恋人になるとか、伴侶になるとか……そこには体の関係があったりするのだけど、そんなことも分かっていない。  伝えたらゴールだと思っている。今だって、満足そうな顔をしていた。 「……ふー……」  ルークは長く息を吐き出して、とうとう頭を抱えてしまった。  ——まさか、こんなにも衝撃が強いとは思ってもみなかった。  ルークにとっても初恋だ。勝手が分からない。どう伝えれば良いのかと思う反面、もう何も言わずこのまま寄り添って歩んでいけるだけで良いのではないかと、そんなことすら思っていたほどである。  しかしアルバラに口にされて、曖昧だった感情がさらに色づいた。  今のままでは物足りない。奥まで触れて犯したいと、支配欲ばかりが溢れ出る。 「ルークさん……?」  頭を抱えてしまったルークを心配するように、アルバラはそっと覗き込んだ。 「……俺は、おまえみたいに素直なわけじゃない」 「え?」 「時々、そのまっすぐさが眩しく思える」  ルークが顔をあげると、心底不思議そうな顔をしたアルバラと視線がぶつかった。愛らしく首を傾げて、何を言っているんだと瞳で問いかけているようだった。  ——無垢な色だ。その首筋に鬱血の跡が残されているなんて思えないような、真っ白で汚れのない存在である。  ルークの周りにはこんな人間は居なかった。騙すか騙されるか、殺すか殺されるかの世界である。究極の二択をいつも迫られる世界だからこそ、ルーク自身もいつも周囲に疑い目を向けていたし、情け容赦ない決断を繰り返すことができた。  腹の底で何を考えているのか。それを疑わなかった人間なんて、アルバラが初めてである。 「……これからのことだが」  切り出された話題に、アルバラは少し緊張したように頷いた。 「おまえはどうしたい」 「……僕は……その……許してもらえるのなら、ルークさんと一緒に居たいです」  無謀なお願いでもするように、アルバラはぎゅっとシーツを握り締めていた。  アルバラの返事を聞いて、ルークは心の奥の奥でひっそりと安堵する。やはり一度は殺そうとした過去があるから、もしかしたら嫌がられているのではないかと不安な部分もあったのだ。 (『不安』か。……この俺が)  どんな抗争の中でも、どれほど仲間に裏切られても「不安」なんて感じたこともなかったのに。  ——アレスいわくの「初恋」なんてものに実感はなかったが、案外顕著なのかもしれない。ルークが気付いていないだけで、アレスにも、それこそアシュレイも察していたようだったし、周囲には筒抜けなのだろう。 「俺の側は危険だぞ」 「だ、大丈夫です! 僕、神様に好かれているんですよね。それなら尚更、その『力』を使ってルークさんのためになりたいです!」 「……俺は一応、国からは邪魔だと思われている悪人なんだが……」 「……悪人、なんですか……? すみません、僕、ルークさんのことが好きだから悪人だと思っていなくて……むしろいつも助けてくれたり守ってくれたりするので、絵本の中の騎士様みたいに格好いいなって思っています」 「…………そうか」  素直で正直で無垢であるということは、時に罪になるのかもしれない。  あまりにも直球で慣れないことを言われて、ルークの思考は珍しくも停止した。  アルバラは終始嬉しそうだった。恥ずかしいとも思っていない様子で、ご機嫌な笑みを浮かべている。  このままではいけない。完全にアルバラのペースに引き込まれている。  主導権を取り戻すべく、ルークは一度深く息を吸い込む。 「おまえの母親だが」  ルークの言葉に、アルバラの表情が一気に固まった。  きっと悪いことを考えているのだろう。内乱の起きていた王宮から離れた時点で、すでに諦めていたのかもしれない。だからこそ話題にも出さなかったのか、突然切り出されてアルバラはしゅんと俯いてしまった。  しかし。 「……少し衰弱していたようだから、この本邸の一室で休ませている」  次の瞬間には、驚いた表情を貼り付けて勢いよく顔を上げた。

ともだちにシェアしよう!