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第45話

「あ、あの! それって、お母様は生きて……」 「もちろん」 「そう……ですか……。良かった……本当に……」  身体中から力が抜けた。肩は下がり、今にも涙がこぼれそうなほどには瞳が潤んでいる。最悪の状況まで想定していたのだろう。まったく逆の現実に、アルバラは心底安堵したようだった。  そんなアルバラを尻目に、ルークはほんの数時間前のことを思い出す。  国王との話し合いも早々にケリをつけ、イレーネを保護しに向かった時のことである。  ——あなたにだけ、本当のことを教えておきますね。  やってきたルークたちに一瞥も寄越すことなく、イレーネは背を向けたままでそう言った。  閉じ込められていたのは、王宮の質素な一室である。イレーネの白い肌には傷も多く打撲の跡も見られたから、何をされていたのかは想像に難くない。  ソファに腰掛けていたイレーネは、上品な仕草でルークを座るようにとうながした。 「……本当のこと?」 「あなたはアルの伴侶ですもの。本当のことを知らなければなりません」  なぜ、まだ何の関係でもないルークとアルバラのことを示唆するのか。  イレーネは盲目なのか瞳を閉じていた。落ち着いた雰囲気で、感情も読めない。別に瞳から感情を探っていたわけではないが、それだけではなくイレーネはどこか雰囲気が独特だ。  今言ったことだって、これまでずっと離宮に閉じ込められていたはずなのに、情報屋を雇っているとも思えるほどには踏み込んでいる。  ルークは警戒しながらも、イレーネの正面に腰をおろす。そうしてすぐに、周囲の黒服に部屋を出るようにと命じた。 「まあ、お気遣いをありがとうございます」 「本当のこととはなんだ」 「……アルは本当は、わたしと陛下の子ではないのです」  躊躇いもなく吐き出された言葉に、ルークはひとまず沈黙を返す。イレーネは気にしなかったようだ。あるいは、その反応さえ「見えていた」から気にならなかったのか。「神の声が聞ける」というのも、どの範囲でのことなのかが分からない以上、イレーネの存在も未知数である。 「ある日、閉じ込められている私を見て、神様が言いました。『私の子をそなたにやろう』と。……愛しているわけでもない男と結婚させられたわたしを不憫に思ったのでしょう。わたしは陛下を嫌っておりましたから、そんな相手との子を成すのも可哀想だと判断してくださったのかもしれません」 「……つまり、アルバラは」 「はい。正真正銘、神様の愛し子になります」  なるほど、それなら「神様に愛されている」ということも納得だ。神様からしてみれば、少々過保護に我が子を見守っている感覚なのだろう。 「……けれど、神様は試練も与えます。愛する人から殺される、という傷を心に負って、アルは少し臆病になったみたい」 「……いったいどこまでのことが見えている」  見られてもいないはずなのにここまで言い当てられては、ルークもさすがに居心地が悪い。そんな胸中を知ってか知らずか、イレーネは穏やかな笑みを浮かべた。 「アルを逃した時から、あなたのことは知っておりました。そしてこれから先の未来も」 「でもなければ逃さなかったか」 「その通りです。……わたしは、可愛いアルが幸せでいられるならそれだけで良いのです。アルを助けてくださってありがとうございました。そしてこれから、末長くよろしくお願いしますね」  まさかそんなことを言われるとも思っていなくて、ルークはとっさには何も言えなかった。  保護しにきたつもりが、まさか挨拶の場になるとは……。居心地の悪さが増して、ルークはすぐに黒服を呼び戻した。そうしてイレーネの保護を済ませて、アルバラたちを待っていたのだ。  教えられた事実には、実はあまり衝撃は感じていない。むしろそうでもなければおかしなことだらけだったから、モヤモヤが晴れたというだけである。  はたしてこれを、アルバラに言うべきか……。  一瞬だけ考えたけれど、ルークはすぐに諦めた。 (知らなくても良いことだな。無駄に考えさせる必要もない)  イレーネの腹から産まれたが、血が繋がっているかは微妙なところである。アルバラはイレーネを慕っているようだし、本当のことを知ればショックを受けるかもしれない。  イレーネはもしかしたら、ルークがアルバラに話さないところまでを見越していたのだろうか。  本当に、どこまでのことが見えているのか。今まで感じたこともないような底知れない恐ろしさがある。 「ルークさん? どうしたんですか?」  アルバラが不安げにルークを見ている。そんな表情も悪くはないが、やっぱりアルバラには笑顔が似合う。  ルークはベッドに乗り上げると、アルバラを抱きしめて共に横になった。突然抱きしめられたアルバラは最初驚いていたのだけど、すぐに嬉しくなったのかルークの背に腕を回す。 「ふふ。嬉しいです。ルークさんとまたこうして一緒に寝ることができるなんて」  たくましい胸にすり寄って、アルバラは幸せそうに微笑んだ。  足が絡む。そうして温もりを感じていると、ルークにも眠気がやってきた。誰かが居るとまったく眠れないはずなのだが……思えばアルバラとは、どこででも一緒に眠っていた気がする。  うとうととしながらも目を閉じて、胸の内に居る存在を抱きしめる。  小さくて華奢で、真っ白な存在。ルークはそれを感じながら、安らかな眠りに落ちていった。  

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