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厄日②

*** 「あれ?もしかして……大晴くん?」  僕の肩に触れる、華奢な手のひら。  香水の不快なまでに甘ったるい香りが、鼻腔をくすぐった。  名前を呼ばれたから振り返るとそこには、以前一夜だけ関係を持った、名前も知らない女の子の姿。  最初顔を見ただけでは彼女が誰なのか思い出せなかったから、一瞬反応が遅れてしまった。 「えっと……うん。そうだけど……」  戸惑いながらも、つい素直に返事をしてしまった。   「何?大晴。知り合いなの?」  微笑みながらも、明らかに不機嫌そうな様子の遼河くんの声。  しまったと思った時には、もう遅かった。 「……前に一度だけ、会った事があって」  具体的なところはぼかして、事実だけを述べた。  なのにその『一度だけ』という言葉の意味を正確に理解したのか、彼の顔からは笑顔が消えた。 「この人も、すごいイケメンだぁ……!  あっちに私の友達もいるから、一緒に飲まない?」  媚びるような、女の子の甘い声。  でもそんなの、冗談じゃない!  確実に遼河くんがさらに不機嫌になっちゃうし、僕自身この子と飲みたいとはまるで思えなかった。  だからやんわりと穏やかな口調で、断りの言葉を口にした。 「ごめん。今日はコイツと、ふたりで大事な話があるから。じゃあね」 *** 「遼河くん?あの……僕の話を、ちゃんと聞いてよ!」  遼河くんに促され、僕達はそのまま店を出た。  必死に訴えたけれど彼は冷たい笑みを浮かべ、僕の事を無言のままただ見下ろした。  乱暴に腕を引かれ、そのまま引きずられるようにして乗せられたタクシーの後部座席。    また地雷を踏んでしまったのだと確信して、泣きたくなった。

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