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戸惑いと葛藤と 8
彼が何を言おうとしていたのかは壮馬にはわからない。だけど、その先を聞く勇気はなくて、壮馬は口を噤んだ。
彼の腕に縋って泣いていたって事態は何も変わらないし、今すべきはこんな事じゃない。
「あの、監督……そろそろ行かないと」
「もう大丈夫なのか?」
「……平気です。プライベートを試合に持ち込むわけにはいきませんから。大丈夫です、僕は強い……。変な所を見せてすみませんでした」
なかば自己暗示のようにそう繰り返し心の中で呟いて、そっと胸を押し返すとリチャードはすんなりと抱きしめていた腕を離した。
「そう、か。まぁ、試合が終わったらまた俺の部屋に来るか? 話くらいなら聞いてやる」
「……行きませんよ。わかってて何度もオオカミの懐に自ら飛び込んでいくほど、僕はバカじゃありませんから」
「酷いな。心配してやっているのに」
わざとらしいくらい肩を竦めるリチャードに、壮馬は思わず苦笑する。
何度も彼を頼って、また昨夜のような雰囲気になてしまったら、そのままズルズルと関係が続いてしまうようなそんな気がする。
自分は別にセフレが欲しいわけでは無いし、そもそもそんな関係望んでいない。
昨夜はたまたま、お酒が入っていたから……。
それで、少し気が緩んで寂しい心の隙間を埋める相手として彼を利用しただけ。
これ以上プライベートに踏み込むのはお互いの為に良くない。
だから、もう……。
そんな壮馬の気持ちを読み取ったのか、リチャードはそれ以上何も言わなかった。
ただ、少し寂しげな笑顔を浮かべて壮馬の髪をクシャリと撫でると、
「無理はするなよ」とだけ言って、トイレから出て行ってしまう。
その広い背中を黙って見送り、壮馬は洗面台に手を突いて、大きな溜息を吐いた。
これでいい。今は余計な事を考えないで目の前の試合に集中するべきだ。
祥太郎との事は色々と思う事はあるけれど、自分の中で折り合いを付けていくしかない。
壮馬は、蛇口を捻り冷たい水で顔を洗った後、頬を両手でバチンッと叩いて気合を入れ直し、衣服を整えて試合会場であるスタジアムへと足を向けた。
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