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 悲しむ弟の顔を見てしまうと心が揺らいでしまうのだと、以前、独り言のように呟いていたことを思い出した。 「兄上。俺は伯爵家を出ていくから」 「そんなことをさせないよ」  レオナルドの言葉に対し、セドリックは当然のように反対した。  正式に結ばれた婚約を覆すことが感嘆ではないことはセドリックもわかっているだろう。感情的にならないように淡々と返事をするセドリックに対し、レオナルドはわざとらしくため息を零した。 「兄上」  敬愛している兄に対して敬語は使わない。  幼少期、家庭教師に教わった通りに敬語を使った時のセドリックの顔は見ていられるものではなかった。  恐ろしいものを見たかのような表情は、明らかに怯えていた。 「俺はもう大丈夫だから」  レオナルドは、セドリックが何を抱え込んでいるのか知らない。  だが、セドリックが幼少期から悪夢に魘されていることは知っていた。 「兄上が恐れていることは起きないから」  語りかける。  返事は望まない。聞く耳を持たずに部屋を飛び出してしまうことすらも想定している。 「自分の為に生きてよ。兄上。俺はもう自分のことを守れるから」  それでも、レオナルドは自身の想いを伝える為の言葉を口にする。 「ごめんなさい」  レオナルドの謝罪の言葉に対し、セドリックは酷く驚いたような表情を浮かべながら振り返った。見開かれた目にはレオナルドの姿が映し出されている。 「レオ。お前が謝るようなことなんてなにもないのに」  セドリックの声が震えている。  それに気づかないふりをして、セドリックの望み通り、伯爵邸に籠る日々は終わりにする。それがレオナルドの出来る唯一のことだった。 「兄上がなにか怯えていることを知っていた」  レオナルドは自身の手を握りしめる。 「知っていたのに、俺は、兄上を救えなかった」  十年間、後悔していた。  セドリックの望みに応え続けていれば、いつの日か、セドリックが悪夢に魘される日が来なくなるはずだと信じることしかできなかった。

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