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01-8.
「これだけ?」
子爵家として買い与えたものは何一つ外に持ち出すことが許されず、クリスが個人的に買ったものの中でも、もっとも値段の低いものだった。
「旦那様が同情してくださいました。着飾る為の金銭に変えることが許されたのは、それだけでございます」
今までだったのならば、バカにしているのかと暴れたことだろう。
それすらも許されない立場にあるのだということは、クリスでも理解できた。
「……そっか」
ぬいぐるみをベッドの上に置く。
お気に入りのぬいぐるみを持っていくことさえも許されず、渡された鞄の軽さを噛み締めるように抱きしめ、立ち上がった。
「もう行くよ」
クリスはゆっくりと歩き始める。
振り返ることさえもできない。
この場を離れたくないのだと縋りつくことさえも許されず、文句の一つを言ったところで誰もが同情してくれない。
「お兄様は?」
「ブライアン様はお仕事で忙しいそうです」
「そっか」
素っ気ない返事をする。
慣れ親しんだ部屋を振り返らない。堂々とした足取りで廊下を歩く姿は、子爵家を勘当され、娼館に売り飛ばされるとは思えないものだった。
「アーロンが気を使ってくれるなんて珍しいね」
クリスの言葉に対し、アーロンは眉を潜めた。
「正直に言ってくれてもいいよ? 勘当された弟を見送るなんて、あの人はしないことはわかっていたから」
媚びを売るような言葉遣いをしない。
今後、娼館では気が狂うほどに媚びを売り続けなければならないだろう。それならば、今だけは素っ気ない態度をしても怒られないはずだ。
「それじゃあね。アーロン」
クリスは螺旋階段を降り、アーロンに別れを告げる。
一度もアーロンの顔を見ることをしなかった。最後の別れを告げることができたことに満足しているかのような表情を浮かべ、足早に玄関から外に出る。
他の貴族の屋敷と比べ、庭が狭い。
玄関の目の前に止められた馬車を運転する御者はクリスに対し、軽く頭を下げ、慣れた手つきで馬車の中へと誘導をした。
「安全運転で頼むよ」
クリスの言葉に対し、御者は頭を下げるだけだ。
行き先を知っているからこその対応なのだろう。
遠慮なく閉められた扉へと視線を向けることもせず、クリスは動き始めた馬車の中でため息を零した。
チューベローズ子爵家のクリスはもういない。
この先は誰も守ってくれない茨の道を進むことになる。
……アル君。
目を閉じる。
好かれているとはお世辞でも思えないような仕打ちをしたアルフレッドのことを考えると胸が痛くなる。
……君を好きになれてよかった。
初恋だった。
それを自覚した時には想いを告げることさえもできないような恋だった。
……さよなら、アル君。
誰にも伝えることのない恋心を抱き、クリスは揺れる馬車の中で涙を零した。
※外伝1 完結
次からはセドリックの過去話になります。
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