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2-Prologue03■N.K
「あのぉ……福祉カウンセリング室って、こっちの方向で良かった、です?」
恐る恐る、声を出す。あたしの声は、きっと聴きとれるギリギリの声量だったのだろう。病棟には他に人影もなく、本当に仕方なくどうしようもなくなって、思い切って声をかけざるを得なかったのだ。
こちらを振り向いた看護師っぽいおにーさんが、少しだけびっくりしてからぶっきらぼうに外を指さした。
「福カンは一般病棟ですよ。こっちは療養棟なので、入口の方に戻って貰って、渡り廊下の向こうに行ってください」
「あ、ありがとうございます! お仕事中に失礼しました……!」
「いえ。……あの……違っていたら申し訳ないんですけど、ノマクロフネさんですか?」
「……んっ」
思わず、息を飲むついでに唾も飲み込んでしまって変な声が出た。あたしは今日も薄いサングラスをかけていたし、帽子のつばで出来る限り顔を隠していた。ていうか自意識過剰っすよね~と思いながら、それでも一応、と身にまとった変装グッズだった。
まさか本当に見ず知らずのヒトに己が顔ばれしていたなんて思っていなかったし、なけなしの変装グッズがまったくもって機能していなかったなんて! こんなことならアバターオンにしておいた方がマシだったかもしれない。
「ああ、いや、失礼でしたね。すいません。実は小児患者の子供たちが、クロヨンのファンで……」
「う、あ、え、……あ、ありがとうございます……っ」
「体調不良で休養中、でしたね。ノマさんの御都合もあるのでしょうが、どうぞご自愛してください。……渡り廊下の向こうに、ナースステーションがありますから、もしわからなければそこで問い合わせてください。それじゃあ」
さっと頭を下げた男性は、あたしのあわあわした挨拶の合間に颯爽と踵を返して歩き去った。
ああ、もう、……これだから嫌だ。
あたしの口は、身体は、心臓は、血管は、こんな些細なことでも悲鳴を上げる。
大丈夫、大丈夫、あの人は大丈夫左手の薬指に指輪してたからつまりはパートナーがいるし、大丈夫、名前と顔を知っていただけでファンじゃない、個人的な意図など何もない大丈夫、あの人は怖くない男のヒトだ。大丈夫。……何度もそう言い聞かせて、どうにか、ぶちあがりそうになる呼吸を鎮める。
心臓が痛い。胸を抑える右手が震えて、思わず左手で押さえつけてまた痛みに目を眇めた。
「……先が~思いやられる~……」
ため息なんてもうつきすぎて吐き出すほども残っていない。仕方なく静かに深呼吸をしてから、あたしはどうにか渡り廊下を探して踵を返した。
あたしの生きる世界は、少し痛い。
それでも耐えないと、乗り越えないと、何も進まない。後退した先には何もない。
痛いと知っていても進まなければいけない未来を思い、今度は頭の奥が痛くなるような気持ちになった。
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