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2-01■everyday life

 さて、端的に表現してしまえばそこは戦場、または地獄のような有様だった。 「帰り、てぇ~~~~~~~」  先ほどから正直僕ですら引くレベルの速さで手を動かしていた男性は、壊れたスピーカー機器の如く同じ言葉を繰り返す。  おそらくは独り言のようなものだろう。彼は割合一人きりの部屋でも喚き散らすタイプだ、と知ってはいるものの、一応その場に可視化していた者の礼儀としてちらりと視線を送った。 「そちらのセリフは十三回目ですね。定時退社時刻から三時間十分経過しましたし、お気持ちはわかりますが最速で見積もってあと二時間は帰れないものかと思われます。旧式COVERモデムのアップデート確認と点検があと五台残っていますので」 「冷静沈着かつ無慈悲なレスポンスに涙出そうだわ……え、てかオレとスノっちがガチでやっても二時間かかんの? マジで? もうちょいどうにかなんねーの? ていうか普段この量の仕事誰が捌いてらっしゃるのよ技術課ァ」 「ウルマ主任」 「……あの人、自分ができるからってなんでもかんでも抱え込むの、よくねーと思いません?」 「仰る通りですね、僕もその意見には賛成ですし何度か進言していますが基本笑って流されます」 「つーか自分が出張行く間くらい他メンツで回せるようにどうにかしとけよ上司ってそういうモンだろうがよぉ……オレァ警備課のマキセさんであって、技術課サポートメンのマキセさんじゃねーのよ……」 「仰る通りです」  あまりにも仰る通りすぎて、他の言葉が微塵も出てこない。  僕は基本的に他人と同じ意見を持つことが少ない。それは僕の社会性がまだ脆弱であるからだという自己分析をしていたが、こと仕事に関しての意見は何故か彼――マキセヨンドという男性と被ることが多々あった。  僕も彼も、基本的には効率重視で作業をこなす癖があるから、かもしれない。  ともかく、嘆いていても愚痴をこぼしても仕事は進まない。帰りたいと十三回呟いたところで、本当に帰路につけるのは技術課の明かりを消した後だ。  他の職員は連日の過労でついに限界を迎え、ほとんどが倒れるように退勤した。それでもどうにかコードを触ろうとしていた女性職員を『いーから帰って風呂入って寝ろ』と追い出したのはマキセさんで、遠隔で残業しようとしてきた男性職員のフルアバターを遮断したのは僕だった。ここの課はちょっと過労がすぎるよね、と苦笑どころか相当引いた顔をしたマエヤマさんは、今は珈琲を買いに席を外している。というわけで現在この技術課には本来は警備課である男性がひとりと、物言わぬPALであるはずの僕が存在するのみだった。  僕が病院に横たわるだけの肉塊から、セキュリティガード管轄のPALになってから、三か月が経とうとしていた。  肌を焼くような日差しの初夏は通り過ぎたものの、一瞬の秋が訪れるまでにはまだ少々暑さが残る。とはいえ、今も昔も僕の本体は空調の効いた部屋で悠々と横たわるだけだ。  僕の頭に埋め込まれたArts Stageのチップが、僕が動かすフルアバターの表面上の温度と湿度を演算してそれなりにリアルな夏の体験ができる……ことは承知しているが、僕は気温の感覚値を一切合切遮断していた。生きる喜びを肌で感じたい、勿論そう思う気持ちは本心である。しかし、わざわざ不快な体験までもれなく取り込む必要もない。  今年も災害並みの猛暑を更新し、またひとつ生存環境に対しての不安を重ねた夏の終わり。僕と僕の主人であるマエヤマさんと、その職務上のパートナーであるマキセさんは、揃って技術課に出向していた。  COVER CITY 25《フェカエア》の治安とインフラを守る。それが僕の配属――というよりは収納――された、C25セキュリティガードの仕事だ。  僕は基本的にはマエヤマさんの持ち物だ。比喩ではなく、本当に事実として『持ち物』なのである。  故にセキュリティガードの中で巡回を主に担当する警備課に配属されるべきなのだが、何故か僕は単品で技術課に登録されてしまった。  普通に意味がわからない。わからないのだが、マエヤマさんが『スノくんは優秀だから、技術課が欲しがるのは仕方ないよなぁ』と苦笑したからなんかもうすべてを許してしまった。僕はあの人の、仕方ないなと言って苦笑する時の優しい息の吐き方が好きなのだ。  勿論通常優先されるべきはマエヤマさんのサポートだ。しかしなんと、マエヤマさんはあまりPALを使用しない。  ……まあ、なんとなく知っていたことだ。  彼は素の基本能力が高い。デザイナーズチルドレン程とまではいかないが、運動能力も頭の回転も、普通の人間の平均を優に上回っている事だろう。要するに、機械の補助などなくても大概のアクシデントを解決してしまうのだ。  そんなわけで、僕の仕事と言えばほとんどが技術課のサポートになってしまっていた。  とはいえ、普段はそこまで忙しいわけでも……あ、いや、忙しい事は忙しいのだけれど、ウルマ主任が大体一人でどうにかこなしてしまうので、泣いて残業するほどではなかったのだ。  ウルマ・トリクシィ技術課主任。マキセさんよりもCOVERコード技術に長け、僕よりも書き込みが速いという控えめに言って怪物のような彼の人は、三日前から出張中だ。 「つーかウルトさんどこ行ってんのよ。国内っしょ?」  目前の白い壁の作業スペースに広げられるだけのコードを展開したマキセさんは、端から順に流れるような速さで書き換えていく。古いモデムはアップデートの更新がうまく行われないので、手動で書き換えて動作確認をしなくてはいけない。  マキセさんの赤い手袋がほいほいと投げる情報をシュレッダーツールに突っ込みながら、僕も別のモデムのコードを開けた。 「富山です。新しいCOVER CITYの建設予定地だそうですよ」 「っあー次富山なのぉ? そうだったっけ? え、地味っすねっつったら富山県民からすげー叩かれそうだけど地味っすね……」 「なんでも台風と地震が極端に少ない土地だ、というデータがあるようですね。日本最初のCCが地震で復旧不可に陥った事件がトラウマなんじゃないですかね」 「あー……あったわな、そんなことも……。いやつーか国内なら時差とかねえだろうがよ、ウルトさん遠隔で仕事しろよ……」 「『私は旅行気分で行ってくるから連絡は極力厳禁でよろしく頼んだよ、マキセ借りるから仕事は回るだろう大丈夫大丈夫』と仰っていました。音声ログはまだありますが再生しますか?」 「……いや、遠慮しとくわ……オレ殺意をエネルギーにして奮起するタイプじゃねえし……」  口では暴言を垂れ流しつつも、マキセさんは手を休めることはない。この人の仕事に対する真面目さは、僕にとっては少しだけ予想外だ。  三か月、僕はマエヤマさんとほとんど視界を共有し、仕事のサポートを行ってきた。  様々な仕事を覚え、様々な人間に接し、世界の広さを良くも悪くも思い知る。世界は、病室の天井を眺めていた僕が想像していたよりも雑多だ。  その中でもマキセヨンドという人物に対する評価は、『マエヤマトモノリの隣に引っ付いている人間』と認識していた時よりも随分と鮮明に、僕の中で塗り替えられた。  マキセヨンド、二十七歳。進学校をエスカレーターで進み、大学卒業後に唐突にセキュリティガード養成プログラムへ進学。以降一般企業を一切知ることなく、二十四歳でC25警備課に配属される。特技はアバター構築。趣味はVR型格闘アトラクション『BB』。好きな食べ物は和食全般、特に青魚の煮物。  ここまでは少し潜ればすぐに表示されるような簡単な情報だ。プロフィールに登録されたマキセさんの顔は実物よりも目つきが悪く、切りそろえられた金髪と鮫のような歯も相まって、まるで犯罪者か非行少年のようだ。  けれど実際の彼はなんというか……思いの外、生ぬるい。僕はマエヤマさんの生温い優しさがとても好きなのだけれど、もしかしたらマエヤマさんの性格が少し、マキセさんにも移ってしまっているのかもしれないと思う。一緒にいると、性格が似る、と言う話をきいた。  ……僕とずっと一緒にいたはずの親友を思い描く。確かに僕は子供の頃より感情的になったし、彼女は世界に対して冷たくなったような気がする。お互い良い干渉だったのかどうかはともかく、そういうコトもあるのだろう。  僕が想像していたより、そして誰がどう見てもその見た目よりも生温いマキセさんは、広げたコードをきれいに畳むと、モデム本体に放り投げてから手を叩く。 「ッシャオラいっちょ上がり! スノっちそれ終わったらチェックよろ」 「マキセさんがコードミスするとは思いませんが、了解しました。……あの、相変わらず気持ち悪い程麗しいコード書きますね貴方は…………」 「お、褒めてんの? 引いてんの? どっちにしても正直スノっちに言われたかぁねーわよ?」 「僕はそういうデザインをされているので多少能力がチートでも仕方ない、というか、そうあるべきなので……。というか、マキセさんはなんで警備課なんですか。技術課の方が向いているのでは?」  実はこれは、最近特に感じていた疑問だった。  マキセヨンドという人物は実に偏った能力の持ち主だ。マエヤマさんがオールマイティな分、マキセさんの偏り方はどうも目立ってしまう。  コードを書く能力、アバターを構築する能力……要するにプログラミング方面に関してはバケモノだ。特にアバター構築に関しては、C25内でダントツ手が速いウルマ主任すら舌を巻くレベルである。  普段の仕事に関しても、効率を優先して取捨選択し処理していく能力は高い。が、マキセさんは身体を動かす仕事をとにかく異常に毛嫌いしていた。  身長体重と体脂肪率を見ても、特別貧弱だとは思えない。肥満でもなければるい痩でもないのだ。たぶんやればできるのだろうけれど、マキセさんは走ることはおろか、徒歩での移動すら省略しようとする傾向がある。  動くことが嫌ならば、基本職務が巡回である警備課ではなく、デスクワークの技術課を希望するべきだったのではないか。実際口では文句を言いながらも、マキセさんの手は速い。その上仕事の内容自体には特別不満も漏らさない。帰りたい、面倒くさい、と喚く。けれどそれは仕事が嫌だできないわからない、という言葉ではない。……どう考えても、技術課の方が向いている。  そう思って雑談ついでにぶつけた質問だったが、きょとんとしたマキセさんは『何言ってんのこいつ』という顔のまま、まるで全世界の常識のように言い放つ。 「え。だって技術課にはマエヤマさん居ねぇじゃん」  僕が数秒言葉を失ってしまったのはm仕方ないことだ。言葉の意味を吟味し、それでも何と応戦したらいいのかわからず、結局浮かんだ感情をそのまま出力してしまう。 「………………は?」 「まあ、技術課の仕事は気晴らしっつーか、たまにこなすには楽しーけどな。でもまぁ、マエヤマさんが技術課に移動します~って事にならんうちは意地でも警備課に居座るぜオレは」 「あの……すいません、マキセさんがセキュリティガードに就職した理由というのはもしかして、マエヤマさんなんですか?」 「え、そうだけど。言ってなかったっけ?」  いや聞いてないですと食い気味に被せてしまったいやだってそんなの知らない聞いてない。  さも当たり前のように、さも世界の大前提のように、だって水は冷たいじゃん? くらいの当たり前さで、マキセさんは笑う。 「オレがくっそ面倒くせえ警備課なんてとこに居んのはマエヤマさんが居るからっしょ。そこそこ真っ当に憧れのヒトだったんすよ、たいしたエピソードもねえけどな。職業紹介みたいなイベントで勝手にエンカウントしただけだし」 「……もしかして僕が一番警戒すべきなのは、他の課の女子職員でも街行く女性たちでもなく、マキセさんなのでは……」 「いや付き合いたくはねーっす。つかオレとマエヤマさんが付き合うとか普通にナシだからそこは安心しとけ、オレァ一緒に住むならメシ作れる人間じゃねえとキツイから。味噌汁すらわけわかんねぇモンを錬成しちまう野郎だから」 「……水に出汁を入れて味噌を溶くだけなのに?」 「料理できる奴はみんなそう言うんだよチクショウ」  僕は料理に関しては物理的にできないのだが、それでも若干引いてしまう。確かにお二人とも、キッチンに立つ姿を見たことがないが……いやそんなことより。 「一介のファンから相棒までしっかり上り詰めたその行動力、正直僕ですら引くレベルです」 「いやいやいや何言ってんの? フルアバターにヒトメボレかましてなりすまし生活してたガチストーカーに言われたかねえですよ?」 「マキセさん、なんで運動嫌いそうなのに毎日きちんとトレーニングしてるんだろう実はマゾなのかな、と思っていましたが毎日のスクワットもプランクも不味そうに飲んでるプロテインも全部マエヤマさんの為だったんですね……」 「その言い方ちょっとどうかと思うけどな……? つかスノっちなんでオレの自主トレメニュー知ってんだよ。のぞき見良くねーわよエッチ。セキュリティガードと言えど必要以外のプライベートの監視は認められてねーですわよ」 「残念ながら僕は人間ではないので対象外かと」 「くっそ……すぐそうやって無機物ぶりやがる……」 「というか……」 「あ?」 「……いえ、あの。実は僕は、貴方にあまり好かれていないのではないか、と思っていました」  だから少し意外です、と付け加えると、マキセさんは明確に眉を寄せる。  元の顔がそれなりに不穏な人なので、少し不快感をにじませただけで中々凶悪だ。うん。怖い。 「意外ってなんぞ。仲良く喋ってくれてびっくり! ってことかよ」 「はぁ、まあ……」 「いや確かにスノっちとだらだら喋ることあんまねーけど、そりゃタイマンで顔合わせねえからでしょ。大体先輩一緒なわけだし、オレァ休日に先輩と遊ぶタイプでもねえし」 「……でも、マエヤマさんと同期していたPALを切りましたよね」  マキセさんとマエヤマさんは、僕がPALに介入する前は頻繁にお互いのPALを同期していた。これはセキュリティ的に全く推奨されない行為なのだが、面倒くさいから、という理由だけでお二人はPALを繋いでいたようだ。  COVER-CONTROL-PALは、個人のCOVERアカウントそのものと言っていい。  これを同期するということは、すべての個人情報が筒抜けになるということである。様々なコンテンツに設けているパスワードも、個人あてに届いたメッセージも、COVERの仕様履歴さえも同期している相手に丸見えになる。  記録上では頻繁にPALの同期をしていたマエヤマさんとマキセさんだが、三か月前から一度も同期をしていない。  個人的にはそれで仕事が回るならば、同期は非推奨ではある、が、どうしても『僕のせいでは?』と考えてしまう。  僕は元々、あまり明るい性格ではないのだ。  しばらく凶悪な顔を晒していたマキセさんだが、僕の考える根拠を聞いた後、天井を仰いでから首の後ろをガリガリと引っ掻いた。 「っあー……あー、そりゃ、うん、あれだわ。確かにオレは先輩とPAL繋がなくなったけど、それ別にスノっちが悪いとか嫌いとかこっちくんな先輩の可愛い後輩ポジはオレのもんなんだよバーカバーカとかそういうアレじゃねえよ。単純にオレがスノっちのこと機械だって割り切れてねえだけだわ」 「…………僕の、ことを、……機械だと割り切れていない」 「オレァおまえのこと普通に個の人間だと思っちまってんの。だから普通に情報ほん投げるのはハズイってだけよ。マエヤマさんはオレのプライベートとか別にマジでどうでもいいと思ってるの知ってっからどうでもいいけどな、なんならあの人の方が人間か? 本当に? って感じだけどよ。個人的に信用してねえとか嫌いとか、そういうんじゃねえよ」 「…………理解しました」  なるほど、と頷きながら、僕はまたマキセヨンドという人物に対する評価を改める。もしかしたらこの人は、マエヤマさんよりももっとずっと生温い人なのかもしれない。……僕の親友の気持ちも、まあ、わからなくもない。 「どうしようもない理由でくだらない話をしてしまい、申し訳ありませんでした」 「くだらねえってわけでもねーっしょ、言いたいことがあんならさっさとぶつけて解消しちまった方が楽ってもんよ。つか同期なんざ本来どのつく親友でもしねーんだよ。面倒くせーからってつい繋いじまってたけどアレバレるとマジで怒られる奴だし、やらんでいいならそれでいいじゃんって思うわ。スノっちいてくれりゃオレとマエヤマさんがちまちま情報見るより単純五倍くらいはええしなーところでマエヤマさん遅くね? なんなの? 缶コーヒーじゃなくてデジカフェまで行ってんの? デジカフェいくならオレ新作のメロンの奴飲みてーんですけど」 「いえ、署内に居ますよ。先ほどギンカから定期連絡が入りました。その件で少々話し込んでいる様子です」 「あー。大変ねぇ保護者代理。ギンカたん、今何やってんの?」 「確か明日から美津杜メディカルセンターで福祉ボランティアプログラムの受講ですね」 「おえ。何それしんどいぜってーやりたくねえ奴じゃん。福祉が社会に必要ってのはわかっけど、それを社会貢献! とか社会活動! とかしちまうのどうかと思うわ……普通にコンビニバイトとかやらせた方が社会経験増すし社会の為にもなんじゃね?」 「驚くほどに仰る通りで僕個人としては賛同しますが、この国の大人たちはギンカに福祉ボランティアプログラムの遂行を求めているので仕方ないですね」 「……決められた罰則なんてそんなもんかぁ。まーそうっすな……さっさとカリキュラム終えて自由になれたらいいわな」  バンドウギンカに関しては、僕と違って無罪放免、というわけにはいかなかった。  デザイナーズチルドレンによるドナー被害者殺人は、世間にとってあまりにもセンセーショナルだった。性同一性障害の被告。未成年の犯罪。被害者は両親。どの情報を取っても、刺激が強すぎる。  ドナー被害者である坂堂夫妻には戸籍が無かったため、厳密には殺人には当たらない。よくて死体遺棄かと案じていたが、誰がどう手をまわしたのか、大人たちが彼女に下した罪は『器物破損』だった。  器物。……常々僕なんて横になっているだけの肉塊だ、と表現している僕にとっても、これはなかなか応える言葉だ。確かにペットの殺害なども器物破損になるらしい、ときいて、妙な納得の仕方をしてしまった。  世間に影響を与えた事件だけに、ただ裁判をして終わり、という訳にはいかなかったらしい。  ギンカは今、保護者の権利をマエヤマさんに移し、その上で指定されたカリキュラムを淡々とこなしている。勿論毎日連絡は取っているけれど、物理的に隣にいた時間を思うと随分と遠くに存在するような気がしてくる。 「――マスコミ連中も、さっさと飽きちまえばいいんだけどな」  ぼそり、と零されたマキセさんの言葉が、たった一人きりの部屋に響く。僕はCOVERに投影されたフルアバターの中から、彼の言葉の重さと苦さをまるで人間のように感じていた。  ……何はともあれ、お互いに目の前の課題を片付けることが先決だ。  ギンカは将来について少し、悩んでいるみたいだけど。けれどまず、カリキュラムを終わらせないと何も進まない。そのことはわかっているようなので、僕は余計なことは言わずにただ彼女の背中を押すだけ押している。 「ま、全部終わったらみんなでメシでも行こうぜって言っといて」 「……自分で言ったらいいじゃないですか。ほとんどのアカウントは着拒してますけど、僕とマエヤマさんとマキセさんだけは連絡繋がる筈ですよ」 「え、オレも通してくれてんの? マジで? 初耳なんすけど、あーじゃあメシ誘――いやまずオレが残業片付けるのが先だな?」 「仰る通りです」 「ふは。それ十回目だわ」  けらけら笑ったマキセさんは、はー、と息を吐くと嫌そうな顔で『お仕事すっか』と吐き出した。  セキュリティガードの生活は忙しい、騒がしい、僕が想像していたよりもずっとずっと、疲れることばかりだ。けれど僕が選択した世界なのだから、恨むわけにはいかない。  僕は、望んだ。僕は、選んだ。  肉塊のままでいるか、それとも人を捨てて未来を夢見るか。その選択肢の後にこの多忙な日々があるのだから、文句を言って投げ出すわけにはいかない。  十四回目の『帰りたい』が聞こえる前に、僕は残り三体になったモデムのコードを壁いっぱいに展開した。

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