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2-02■Less than friendship

 表示して読んだ方が早いし間違いもないし一発なのに、なんで大人は言葉で喋るように求めるんだろう。  自己紹介という名の苦痛な時間を無心で過ごしながら、そういえば最近ちゃんと人と話してないかも、と思う。  スノは相変わらず夜、通話を求めてくるし、毎日マエヤマさんに生活ログの報告もしている。けれど全部ぼそぼそと話す言葉をPALが拾って伝えてくれているだけで、あまり会話って感じでもない。  そう考えると私は、最近どころかここ数年まともに会話というものをこなしていないような気もしてきた。  スノとはいろんなことを話した。毎日、私達は一緒にいた。一緒に居すぎて、隣にいるのが当たり前すぎて、私はあまり頭を使って会話をしていなかったと思う。スノは頭がいいから、私の言葉や感情を予測して綺麗に言葉を放つ、綺麗に言葉を拾ってくれる。  でもそれって会話? ただ私がスノに言葉をぶつけて気持ちよくなっていただけじゃね? なんて考え始めて鬱々としだした頃合いで、ようやく全員の自己紹介が終わった。  どうせ電子データでも提出させられてるんだし、私は誰の話もほとんど聞いていなかった。  美津杜メディカルセンターの福祉カウンセリング室は、ちょっとでかい教室くらいの広さだ。私は学校がしぬほど嫌いだったから、教室っぽい部屋も嫌いだ。病院も嫌い、他人も好きじゃない。ボランティアというものは触れたことがないからわからないけど、結局は私にふっかけられた課題くらいの気持ちだ。  今日、この場所に集まっている人間の大概は『青少年』と呼ばれる年齢のようだ。  私のように特定の更生プログラムの一環として、福祉ボランティアプログラムへの出席を求められた者がほとんどだと思う。けれど明らかに普通の高校生のような子や、大罪なんて無縁そうな人も混じっている。福祉プログラムを取得する理由はどうやら、多種多様のようだ。  私の名前が呼ばれた時、私が声を出すために立ち上がった時、流石に一瞬教室の空気が固まった。  ……そりゃそうだ、と思う。何といっても私の犯した罪は、ほとんど毎日のニューストピックに関係する。二十歳以下を青少年として保護する法律のおかげで実名報道はされていない、とはいえ、件の両親を殺害したデザイナーズチルドレンの名前がバンドウギンカだということを知らない日本人は、たぶん、いない筈だ。  情報の匿名性なんてとうの昔になくなった、とスノはため息をついていた。私はスノが動かすアバターのため息の仕草に毎回感動してしまうから、だいたいはあいつの憂鬱の理由なんて聞いていない。私にとって世界は大概憂鬱だ。ほとんど期待なんかしてないのだから、いちいち絶望することもない。  ニュースになろうが、実名が知れ渡ろうが、私はずっとずっと前から、世界で一人ぼっちだからどうでもいいのだ。 「それでは、説明は以上になります。この後は昼休憩、その後グループわけを行います。自分のやりたい活動を前提に、なるべく二人以上のグループを作ってください。勿論、一人でも構いませんが、推奨はしません。それではこれから一週間、よろしくお願いします」  講師の男は、柔らかい言葉を使うわりに無表情だ。唯一の大人が軽く頭を下げて退室した瞬間、ちらちらと私の身体に視線が刺さりだした。  ――デザイナーズなんでしょ。殺したって。オンナだって聞いたけど。トランスジェンダーじゃないの? 病院のヒトに身体売ってたって噂で。  ――殺した。ほんとうに? 親を? ほんとうに?  ざわつく小さな声の棘を、私のPALは正確に拾ってしまう。……一応説明くらいは聞いておかなきゃと思って、ノイズキャンセルをオフにしていた上に、字幕ログを取っていたのを忘れていた。最悪。すぐにありったけの音を遮断して、必要な通知意外をブロックする。  本当は舌打ちをして走り出したいけれど、そんなことをしたらきっと私ではなく保護者として名前を出してくれているマエヤマさんが怒られてしまう。  だから私はなるべくなんでもないような顔で、平然とその部屋から逃げ出した。  病院内の地図を呼び出し、なるべく人口密度が低そうなところを探す。食堂はダメ。外の噴水周りもダメだ、こんなに暑いのに馬鹿みたいに人間がたむろしているのが窓越しでも伺える。階段は封鎖、温室は緩和治療に使用中。……ふと、目にとまったのは屋上だ。  三階建て以上の建物にしては珍しく、屋上が解放されている。自殺者が増えるに従い非常階段すら板で覆い始めた大人たちは、ついには屋上を閉鎖してしまった。いま扉を開放しているということは、背の高いフェンスで隙間どころか視界すらも潰してしまっているのだろう。  ……暑そう。でも、他人の視線にさらされるよりも、ずっとマシだ。  屋上までの階段を一段飛ばしで駆け上がり、私はその扉を開いた。そして、思わず眉を寄せる。  屋上は思っていた通り、背の高いフェンスで囲まれ、ひどい圧迫感だけがある空間だった。一応空は見えるけれど、景色なんてもの期待すらできない。ただ、ひたすらに暑いだけの場所。そんな場所、誰も居ないだろうと思っていたのに――開け放った扉の向こうには一人の女が立っていた。  もう少し暗い時間帯なら、幽霊か? と訝しんだことだろう。  彼女は小柄で、やたらと細くて、髪の毛が長い。それに、私ですら心配になる程に真っ白な肌をしていたからだ。  何故か首に巻いた季節外れの赤いマフラーが、風に煽られて綺麗に舞った。 「…………誰かと思えばバンドウギンカか。なんだ、おまえも『見物』に来たのか?」  映画みたいに振り返った美少女は、こっちがビビるくらいぶっきらぼうな声でにやりと顔を崩す。……どっからどう見ても、薄幸の美少女なのに、その仕草は近所のクソガキって感じだ。  彼女が幽霊ではない証拠に、私のPALがCOVER-IDを読み取りパッと眼前に表示した。  シノウラソラコ。十七歳。福祉ボランティアプログラム受講者。受講理由:内申の為。趣味:機械弄り。  ……ほら、やっぱり読んだ方が早いし、便利だし楽だ。PALは一瞬でシノウラソラコが登録した情報を提示してくれる。  私の目の動きで、私がID照会をしたことに気が付いたのだろう。これ見よがしに息を吐いたソラコは、やれやれ、と眉を寄せた。 「自己紹介ならさっき時間をかけてたっぷりと済ませただろう。さてはおまえ、音声遮断していたな?」 「してねーよちゃんと聞いてたけど頭に残ってねーだけだ。あたしは馬鹿だから、なんでもかんでも頭にぶっこむと疲れんだよ。つかお前って言うな年下じゃんか」 「学歴は一緒だ、高卒だろ。単位なだけならしっかり全部習得済みだあとは社会性とやらを身につけた証明を叩きつけてやれば、晴れてわたしは卒業だからな!」 「他人をお前呼ばわりしていい理由じゃねーだろ……あたしに言われたかねーだろうけど、アンタ口悪いな……?」 「お互い様だ。それならこうしよう、『おまえ』も『アンタ』も封印する、その代わり名前で呼ぶ。それでいいだろ、バンドウギンカ」  なんか、やたらともったいぶった喋り方をする奴だ。セキュリティガードに似たような喋り方する大人が居た気がするけど、いまいち誰だったか思い出せない。私は相変わらず、マエヤマさんとマキセさん以外の大人をあまり信用していないので、名前も顔も覚えようという気合が足りていないのだ。  ソラコのドヤ顔がなんだか絶妙に腹立たしかったが、確かに名前を呼んだ方が早い気がした。  ていうかこんなとこで知らん人間相手にだらだら意地を張るのも、口論するのも面倒くさい。名前なんてただの記号みたいなもんなんだし、好きに呼んだらいい、そう思う。一応渋々感を出しながら頷き、私は最初の言葉に立ち戻った。 「……見物って、なんのことだよ。フェンスしかみえねーけど、空になんかあんの?」  思わず四角く切り取られたような空を見上げるが、これと言ってめぼしいものは見当たらない。夏の残骸みたいな溶けそうな雲が、鬱蒼と広がっているだけだ。 「違う違う、上じゃない。いや、わたしも本当はもうちょっと見えるもんだと思って登ってきたんだが……ええと、あっちだな。残念ながらきっちりと隙間のない壁のせいで一切の視界が遮られてしまっているが――この方向にある筈の療養棟からは、時々、ヒトが落ちるんだそうだ」  ひとが、おちる。  ……その抽象的な言葉に眉を寄せる。 「なんだそれ。自殺ってこと?」 「趣の無い言葉遣いをするやつだなぁ……」 「自殺をわざわざ文学的に表現する方がいかれてんだろ。なに、有名な自殺スポットってこと? そんでアンタは隣の棟からヒト落ちねえかなぁってワクワクしながら野次馬してるってこと?」 「アンタじゃなくてソラコだ。それに、ワクワクはしていないし野次馬でもない。実際問題結局療養棟すら見えないわけだしな。……ただわたしは、噂話が好きな好奇心旺盛な女子高生なんだ。美津杜メディカルセンターには自殺の噂ともうひとつ、都市伝説めいた噂がある。この隣の療養棟は、大人になれなかったデザイナーズチルドレンが収容されている墓場だ、という噂だ」 「……あー……そういや、そんなの、……聞いたことあったな」  思わず、目を細めて息を吐いた。  嫌な噂だ。本当に噂なのか、事実なのか……たぶん、スノかマエヤマさんに訊けばある程度の事実がわかるだろうけど、私はそんな勇気もなくなんとなく聞かないふりをしていた、そんな噂。  デザイナーズチルドレンは大人になれない。  大人になれなかった『私達』は、やがて脳から手足から内臓からボロボロに崩れていって、そのうちに廃人のようになってしまう。自然に反して無理矢理作った子供だから、大人になる前に死んでしまう。そして日本の各地に点在する『療養施設』に閉じ込められて、誰に会うこともできずにひっそりと死ぬのだ、と。 「怖いか? バンドウギンカ」  ソラコも目を細める。しかしそれはとても不敵な笑顔に見えた。 「いや、別に。……自分が死ぬのはどうでもいい。毎日、何で生きてんのかよくわかんないし、だったら死んでも一緒だと思う。ただ、トモダチが死ぬのは嫌だから、その噂は嘘だってあたしは信じることにしてんだよ」 「ふうん。……なかなかグッとくる回答じゃないか。少し印象が変わったな」 「あたしの印象ってなんだよ……殺人鬼かなんかか?」 「いや、もっと悲劇のヒロインかと思っていた。メディアは相変わらず偏った報道をするからなぁ。わたしが拾ったニュースは大概、バンドウギンカを可哀そうな子供のように報道していたよ」 「んなわけねーだろ」  私が可哀そうなわけがない。  強要されたわけでもない。何かに怯えていたわけでもないし、苦痛にさらされていたわけでもない。そのまま、ただ日々をこなしていくだけでも問題なかったのに、私は両親を殺した。それは単純に、私が楽になりたかっただけだ。  ソラコは笑う。さっきよりも少し、眉を落として柔らかく笑う。元の造形が綺麗だから、口を閉じて笑っていればただの美少女だ。……私は別に、可愛い女の子に興味はないけれど。なんなら美形にも興味はない。それでもすこしどきりとするのは、私がスノ以外の人間と触れ合うことが極端に少なかったせいだろう。 「うん、気持のいい裏切られっぷりだ。イイ女じゃないかバンドウギンカ、私はとても気に入った! 有名人ってやつはきっとわたしとは相反する生物だと勝手に思い込んでいたが、いやぁ、偏見はよくない。よくないな!」 「ちょ、痛……やめ、叩くな、痛いっつの!」 「デザイナーズも身体は鋼鉄ってわけじゃないんだなぁ。ところでもう一人の有名人についても、正直興味がわいてきたんだが」 「……は? 何……もう一人の、有名人?」 「何だ、気づいてなかったのか? その扉の向こうでこそこそと聞き耳を立ててる女がいるじゃないか。なぁ、ノマクロフネ!」  ソラコが叫ぶ。ドヤ顔で叫ぶ。  なんだか妙に板についたドヤ顔で名前を呼ばれたそいつは、恐る恐る、といった様子で扉の向こうから半身を覗かせた。  長い髪の毛を二つにわけで括った、薄いサングラスをかけた女子。私のPALはすぐに彼女のIDを検索する。  ノマクロフネ。二十二歳。福祉ボランティアプログラム受講者。受講理由:心療内科治療の為。趣味:星を数えること。  ついでに名前で引っかかったグローバル検索結果が目の端にパッと表示される。ノマクロフネの名前でヒットしたニューストピックスは『人気アイドルグループ「クロヨン」メンバー、心身の疲れを理由に一時休養』というタイトルだった。  ソラコが有名人と言った理由も、私が微塵も知らなかった理由も一気に解決した。確かに彼女は有名人で、そして私は世間一般の芸能ニュースに一切の興味がない。好きとか嫌いとか以前に、生きることに精いっぱいすぎてエンターテイメント的なものには目を向ける余裕なんて本当に、まったく、さっぱりなかったのだ。 「おまえが入用なのは、屋上か、わたしか、バンドウギンカか、さあどれだ?」  相変わらずドヤ顔で腕を組んでいるソラコの前に立ったノマクロフネと言う名の元アイドルは、ぐっと唇を噛んだ後に息を吸い、思い切ったような顔で私の方を見た。 「…………え? あたし!?」  この日は本当に忙しなかった。ただでさえこの世界は私にとって騒がしく煩いのに、なんと騒がしくて煩い友人が二人も誕生してしまったのだから。

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