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2-05■Shark meets girl
八つ当たりじみた怒りがうっすらと消えかけた時、あとに残ったものはまぁそりゃお察しの後悔だ。
やっちまった。あー……冷静な人間って奴に憧れなんかねぇけどさ、少しくらいは己も見習った方がいいんじゃないの? と思う。一応思ってはいる。本当だ。
頭に血が上るともうダメだ。
普段のらりくらりと生きてる反動かってくらい、ガッとキレると後先考えずに行動してしまう。
誹謗中傷くらいじゃたいした害はない。仕方ない。たぶん、まじでよくある話なんだろう。
全くもって年下女子の言う通りだっていうのに、結局オレは勝手にキレて勝手に未成年をお持ち帰りしてしまった。
いや、一応自宅付近の警備不備による一時保護って名目の申請はさっき出したけどよ。そんで通ったけどよ……。
通ったけど、冷静になってみたらマエヤマさんちに送ってった方がマシだったんじゃねーの? とジワジワ申し訳なくなってきた。
ノリだけで拉致してきた子をまず台所に押し込んで、その間に部屋ん中のモンを片っ端からクローゼットにぶっこんでいく。男の一人暮らしだぞ察しろってかんじの部屋なもんで、なんとなくマシなんじゃねーのって感じになった頃には、うっすら汗ばむ有様だった。
「あーーーー……」
やらかしたァ、ぜってーマエヤマさんちの方が良かったァー。
だってあれだ、冷静になって気づいたが、バンドウギンカは十九歳女子だ。……女の子部屋に入れんの、何年振りよって話だ。
最近はカラフルなアバターをオフにしてることが多いらしく、見た目だけならなんつーかこう、旧楽ロックとか好きそうな青年に見える。けどバンドウギンカは女子だ。うん、オレちょっと軽率すぎたんじゃない?
…………台所の床ってタオル敷いたら寝れっかなぁ。
いや、もちろん同衾なんざしねぇけど、なんか同じ部屋で寝んのもナシだわってことに気づいてしまった。
まぁ、いざとなったら技術課で仮眠させてもらえばいい。
ところでフィギュアって普通の女子的にはアリ? どう? ダメ? あれ動かすのクソほど面倒くせーんだけど……なんてどうでも良すぎる事に悩んでいたら、おずおずと部屋の引き戸が開いた。
C25内の建物は、この土地が開発されたときに一気に建てられた。まあ要するにほとんどが歴史なんざゼロの新築なんだけど、なんでかオレの住んでる単身用アパートのドアは昔懐かしい感じのスリガラス仕様の引き戸だ。台所の床タイルもなんか古めかしいし、風呂もなんつーか絶妙にレトロだ。どっかの寂れたアパートを、リサイクルがてら再利用しちまったのかもしれない。
立てつけの悪い戸をガッタガタと揺らした十九歳女子もといギンカたんは、なんかすげー申し訳なさそうな顔をひょっこりと覗かせる。
「…………別にその……ちょっとくらい汚くても気にしねーよ……?」
「いやいやいやいや。オレが気にする。でもまぁ、さすがに虫がいきなりこんにちははしねーから、そういうのは安心していいわ。オレあんまこの部屋で飯くわねーし」
「あー……マエヤマさんも、外食で生きてる感じする」
「オレとあの人は運命のメシマズコンビよ。つかマエヤマさんがメシウマだったらマジで求婚してっかもしんねぇからあの人は自分のメシマズスキルに感謝したほうがいいわ、スノっちも」
「…………女の人じゃなくても気にしないの?」
「ん? んー。そうね、オレあんま気にしねえかも。つかそもそもパートナーほしいわーって思ってねえからかな? マエヤマさんだって別に結婚していちゃつきたいつーより、喋ってて楽しい兄ちゃんだから一緒にいるのもアリかもなって感じだし。あ、その辺適当に座っていいぜーなんもねえけどオレんち。ギンカたんなんか食う? 飲む? インスタント食品と冷凍食品と珈琲と炭酸水しかねーけどなうはは」
「さっき食ったからいらない……」
「食が細せぇな若人~油と塩と炭水化物のメシ食わせといてなんだけど、野菜と魚も食っとけよー日本はまだメシに関してはそこそこ自由なんだから」
食料難っつーか、カロリーブロック主食の時代はじりじりと迫ってきている。人口はガンガン減っているっつーのに、異常気象やら作物病の蔓延やら戦争やら原油高騰やら、とにかくありとあらゆる理由がおしくらまんじゅうした結果、食材の値段は馬鹿みたいに跳ね上がった。
多少高い金出してでもブロッコリーが食べたいのよ、なんて思える日本人はまだましなほうだ。世界の隅ではもう、生成されたカロリーブロックの端材を食ってどうにか生きている人間もいる。選択肢がそもそも存在していないのだ。
別に、世界の誰かが苦労してんだからお前も悲しめだとか、苦しめだとか、慮って感謝しろとかそういう話じゃない。
どシンプルに、せっかく目の前にある幸福な現実を(この場合は自由に食える野菜と魚と肉だ)、活用しねーのは損よって話だ。
もったいない。使えるのに使わねえとか、調べねえとか、そういうのがオレは嫌いだ。とか言ってるから冷たいとか面倒臭いとか付き合いにくいとか言われちまうんだろう。
女子を部屋に~とか言っといてアレだけど、彼女なんてモンは過去に一回いたわなぁそういえば、みたいな感じだ。
これは負け惜しみとかそういうんじゃなくて、わりとマジで別にいらねーしなぁ恋人……と思っている。
家族を作ろうって気合がオレにはない。圧倒的に足りない。他人の人生を背負いこむ覚悟がない。だからガッツリドボンと恋に落ちちまったぜ! みてぇなことがない限り、わざわざ婚活したりタイミング狙ったり彼女ほしい~とわめいたりすることもない。
好きな人っつってもいねえしな。別に。なんて思っているうちに、しっかり三十手前になっちまったわけだ。うーんでも結婚とかしたいと思わんしな……面倒くさそう……つーかオレ他人と同居できんのか? 無理じゃね? スノっちには付き合うとかじゃねーわーとか言ったけど、やっぱマエヤマさん以外無理じゃね?
とかどうでもいいことを考えつつ、オレの部屋のど真ん中にちょこんと座った女子に適当に洗ったばっかのシャツを投げつける。
「適当に着ちまっていいぜーあとシャワー使うなら好きにしていいし、冷蔵庫の中身も好きに飲み食いしていいわ。外出んのはダメな。オレ今日ギンカたんの保護者扱いだし、C25管轄内は夜二十一時以降の準未成年の許可なし外出を認めてねえから」
「……選挙は十八歳から参加しなきゃいけないのに、なんでもかんでも二十歳までは子供扱いなの、意味わかんねーんだけど」
「奇遇だなオレもそう思うわ。この国の政治は一回ボッコボコになっちまったからなぁ~基準も根拠もぐっだぐだなんだよな……」
ぶっちゃけ、何に対しても政治もルールもグダグダだ。
勢いだけで押し通しちまったドナー被害者法案。建前がペラペラすぎて無法地帯なデザイナーズチルドレン周辺関連の法案。
そのツケは結局子供世代に押し寄せているんだろう。差別とかいじめとかそういうの、オレがガキんときもあったけど、今はもっと壮絶なんじゃねーのって思う。
うっかりさっきのクソみてぇな張り紙を思い出しちまって、また勝手にイラっとしそうになった。……オレが切れたところで、マジで誰の得にもならない。そんな当たり前のことはわかっていても、やっぱり腹が立つ。
オレはバンドウギンカのことがわりと好きだ。
あのスノっちが心配するくらいに自我がない、この女子は幸せになるべきだと思っている。きちんとメシくって甘いもん食って、友達と恋バナとかして女子トークにきゃっきゃしてほしいじゃん。そういう『普通』を、当たり前に甘受してほしいじゃん。
そう思うからオレは、ギンカたんの向かいに座って、適当に壁に共有映像を表示する。なんかBGMがあったほうが無音よかいいだろう。
「ギンカたんなんか見たい番組とかあれば適当にいじっていいぜ。オレ基本ニュースくらいしか見ねえし」
「……あたしも、あんま見ない。コンテンツよくわかんないし、エンタメも興味ない」
「あー、スノっちと一緒にいたならまあ動画なんざ見なくてもそりゃおもしれえよな。あいつなんだかんだでずっと喋ってくれるしなぁ」
「………………あの」
「うん?」
「初めて、言われた。楽しそうだって。……みんな、あの病院であたしとスノはただ、世界を恨んで生きていたんだって思ってるんだ」
「……いや、まあ、そういう時間もあっただろうけど、それだけじゃねえだろだってギンカたんとスノっちはマジで親友じゃん? 友達と一緒なら、どんな環境だってたまには笑い転げることくらいあんだろうよ。スノっちマメだし。大体返事してくれんだよな、マジで良い奴――ちょ、うっそ、ギンカた……待て待て待て泣くな! オレが! なんかしたみたいなログが残る! 耐えろ!」
「だって……あたし、うれしいんだ……スノが、そういう風に言ってもらえる世界が本当にあるなんて、思っていなかった……」
割合でかい目に溜まった涙が、ぼろりと零れた。
ヒィ……泣かせちまったじゃん馬鹿……。つかギンカたんの情緒まじどうなってんだよ。自分が誹謗中傷されても微塵も動揺しねえのに、なんで友達褒められて泣いてんだよわけわかんねーよ。
……まあ、でも、あー。スノっちも不憫だ。不憫か不憫じゃないかって言われたらぶっちぎり不憫だ。不憫な友人が、世界に認められている。多少でも幸福な場所に立っている。それは確かに、オレだってぐっときちまうだろう。
オレはあの日、生身のバンドウギンカと初めて会った日のことをたまに思い出す。
親友を、トランクに詰めて全力疾走するわけないだろ馬鹿かよ死んじゃうじゃん。
そう叫んだ少女はマジのマジで『こいつら馬鹿かよ!』って顔をしていて、オレはうっかり泣きそうになった。大人たちが不憫だとか可哀そうだとか思ってた少年少女は、二人だけでもしっかりと友情を育んでいた。そんな当たり前のことにほっとしすぎて腰が抜けそうになったことを覚えている。
「あーもう、ほら涙拭いてー……つかギンカたんまじでスノっちのことになると情緒がミジンコだな? 自分のことは結構どうでもよさそうなのになぁ」
「だって……あたしは、別に、やりたいこともないし。なんで生きてんのかとか、どうしたいとかわかんねーもん。スノは、ちゃんと仕事見つけて、ちゃんとした居場所に収まったけど。あたしは、未来とかよくわからない」
「ん。んー……すげえ現代の闇みてぇな発言きたな……。いや、まあ、みんなそんなもんじゃねえの? 崇高な目標かざして将来の夢のために頑張ります! みてえな人間ばっかじゃねえし、そうじゃない人間がダメだとかクソだってわけでもねえでしょ。未来とか大層な言葉使うからわけわかんなくなんだよ。明日食いたいもんのことだけ考えとけ」
「……あんまない。好きな食べ物、よくわかんないし」
「うっそぉ。えー……じゃあ、イワシの梅煮」
「……は?」
「イワシの梅煮作って。オレに。……別にギンカたんが食いたくなくてもいいわ。オレがイワシの梅煮食いてえからギンカたん作って。それで生きる理由とりあえず一つクリアじゃね?」
なんかギンカたん呆然としてっけど、いきなり何言ってんのこいつって思われてんだろうよ。オレも思う。何言ってんのオレ。
でも、明日何したらいいかわかんないとか言ってる若者、見てんのつれえじゃんよ。……どうでもいいような約束でも、生きる理由になることだってあんだろう。
嫌なら気にすんなと付け加えると、ギンカたんは真顔のままぶんぶんと頭を横に振る。ちょっと長めの黒髪が(アバターオフだから本体だ)ぶわっと空気を含んでふっかりする。ギンカたんはあんま素の顔気に入ってねえみたいだけど、オレはどっちも割と好きだ。
「あとはえーと、友達とパフェ食うとか恋バナするとかしてりゃあ毎日なんかアッという間だろ。今日の二人なんか最適だろうよ。ちょっとソラコはうぜーかもしんねーけどあいつたぶん悪気ねーしまだわけーからちゃんと怒れば学習すると見た」
「こい、なんて、だって……ちゃんとした、人間がするもの、だし」
「余裕がねーとそんなもんしてる場合じゃねー! ってなんのはわかるけどよ、別にしちゃいけねえってもんでもねえでしょ。誰かを好きになってるときってすげえ楽しいし、お手軽な生きる理由じゃね?」
「………………でも、どうせ叶わない」
お。なんだ予想外の返答だ。
恋なんて知らんみたいに言われると思っていたから、どうやら特定のお相手を想定していると思しき返答に、勝手にこっそりびっくりしつつ、表情にはぜってー乗せないように細心の注意を払う。大人の些細な言葉やしぐさって、わりと子供のトラウマになんのよなぁだってオレだってそうだったし。
だからオレは何食わぬ顔でいいじゃんーと笑う。
「いやギンカたんかわいーじゃんかよ。普通にいけんだろ」
当たって砕けろ! っていうのも無責任だ。だからあくまでそんな卑下すんなよぉって感じで言ったんだけど、この後さらに予想外すぎる言葉を食らってしまった。
「でも、あたしのことなんか子供だって思ってるだろ? やっぱナシでしょ?」
「――ん?」
いや、あの。……それの主語、もしかしなくてもオレっすかね?
ってことに気が付いて、五秒くらいわりとマジで固まって、そのあと一歩分くらい身体ごと後ろに引いた。
思いっきりガチで距離をとったオレを見て、ギンカたんの顔が歪む。いや待て泣くな、っていうか話を聞け若人。
「違う! 聞けっつーか聞いて! 別にその、引いたわけじゃねえから! そういうんじゃねえから、あー……あの、あのな? びっくり、して、そんでびっくりしたけど考えてみたわけよ。ここは一旦年齢のことは置いといて――いいか、年齢は置いといてだぞ? オレが二十七歳だとかギンカたんが準未成年だってことは全部棚の上にあげちまって、どシンプルに『アリかナシか』だけで考えてみた結果、あのー……アリ寄りのアリだったわけで。あ、やっべ、って思ってその、一旦仕切りなおそうと思い、距離をだな……?」
「……べつに……慰めてもらわなくても失恋くらいじゃ泣かねーよ……?」
「いや泣いてんじゃん。つかオレあんま嘘とかつかねーよ面倒くせーからそういうの。お世辞も言わねえし、大体本当のことしか言わねえから」
「………………」
なんかじわじわっと赤くなっていった十九歳の少女は、姿勢を正すとオレと同じように体ごと一歩距離をとった。
沈黙がやたらと痒い。なんだこれ。ていうか大丈夫なのかこれ、オレしょっ引かれたりしない? いや手ぇ出してるわけじゃねえから大丈夫だろうけど……いやでもオレのこと好きな準未成年とオレの部屋で二人っきりってやべーだろ、絶対。と思って『マエヤマさんち送ってこうか?』と提案すると、ギンカたんはすげえ悲しそうな顔をする。
きみ、あれじゃん、結構自我出てきてんじゃん。いいよいいよーその調子ーと無責任に応援できねえのは、ギンカたんの感情の矛先がまさかのオレだったからだ。
「……泊まっちゃだめ? あたし、さっき、マキセさんが怒ってくれて、手ぇ引っ張ってくれて、オレの家行くからって言われたとき、すげーうれしかった」
でしょうよ。そらーその……好きな男にそんなことされちゃあ、ぎゃーぎゃーしちゃうでしょうよ。
「いやーでも、二人きりはまずいような気がすんのよね……」
「なんで? ……あたし、体は同性だし、別にムラムラしたりしないっしょ?」
「何のためにオレが距離とったと思ってんの」
「…………え、ムラムラすんの……?」
「嬉しそうにすんな準未成年。いいか、未成年にそういうアレする大人はクソ野郎だからな。オレはクソ野郎にはなりたくねーから台所で寝ますじゃあな未成年適当に風呂入って寝とけなんかあったら声かけろ」
「さみしい」
「……………………」
颯爽と立ち上がりかけたオレは、服の裾を引っ張られるという完全にやばい攻撃ぶちかまされてあーくそそれ嫌いな男いんの? 振りほどける男いんの? って思いながら息を吐いた。
ため息にならないくらいのギリギリの『ふー』のあと、ニュース番組を表示しっぱなしだった動画を切り替える。
颯爽と映し出した映像は、去年ちらっと流行った美少女ヒーローアニメ『恋してクワトロ!』のオープニングだった。
「おーけーわかったじゃあアレだ、夜通し付き合ってもらうぜギンカたん。オレァぜってーこの部屋で寝ねえからな」
「なにこれ。好きなの?」
「好きっつーかまあ好きよ、でもこのオープニングがなんとクロっちが在籍してたクロヨンの代表曲なんだよ。別にダンス覚えるだけでもいいだろうけど、ガキどもはきっと『恋トロ』が好きなんだろ? まあ、予習しといてもいいじゃんよ」
「……一緒にいてくれんの?」
「寝ねえけどな。ギンカたんが寝たらオレは台所に行く」
「じゃあ寝ない」
ふふ、と笑った気がして思わず凝視したら、すぐに真顔になったギンカたんはなんか恥ずかしそうに視線を外す。……いやかわいいな? うん、かわいいんだよ。……かわいいから、よろしくない。
いやー落ち着けマキセ。よく考えろヨンド。
いくらかわいくて割とアリでオレのこと好きとか言っちゃう健気女子でも、八つ下だ。……と考えて『あれ、先輩とスノっちも八つ違いじゃね?』と気が付いてじゃあいけんのか? と思ってしまって天井を仰いでしまった。
もしかして今晩ずっとこんな感じ?
オレ、明日の朝死んでない? 大丈夫? もうどっかのタイミングでギンカたんが寝落ちてくれるのを祈るしかない。でもちらっと見たギンカたんはうんげーうきうきとわくわくが顔からあふれていて激かわ……じゃなくて、オレは一層不安になった。
……かわいいよ。かわいいと思う。でも、オレなんかやめときゃいいのに、って思うのも、オレの本心なんだよわかってほしい。
だってオレは、まだ、誰かの人生を背負う覚悟がさっぱりない、クソみてえな大人だよ。
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