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2-08■mechanical friend
何も見えない。
何も、何も、自分の手先も、足の先も……でくの坊になってしまった重すぎる足のまがい物まで、何も見えない闇の中で、わたしは無力にクマのバッグを握りしめていた。
せめて明るければ。電気が付けば、やれることはあるのに。月明りすら入らない部屋は、本当に笑えるほどに真っ暗だ。
どうにか動こうともがいてみても、床を這うように進むことしかできない。そもそも、どちらが入口なのかすらわからないのだ。
わたしの左足は、腿から先が義足だ。旧式の義足だが、義父殿があれこれと改良し逐一アップデートしてくれるので、わたしの体は義足の重さを感じることなく普通程度に生活できた。
それもこれも、COVERのおかげだ。COVERがアシストし、演算し、体重移動やわたしの体の癖を分析し、うまく動きやすいように調整してくれている。だからわたしは歩ける。だからわたしは少しくらいなら走れる。これは自分の足だが? という顔で立っていられる。
そう、COVERが切れてしまえばこのざまだ。
多機能満載の義足はCOVERのアシストなしでは重すぎて、まるで碇のようにわたしを床に縫い付けた。
……ギンカ。ギンカはどこに行った。一人で勝手に消えたわけではないだろう。例えば助けを呼びに行くとしても、ギンカには口がある。少し待ってろの一言くらいは言うはずだ。きっとそうだ。それならば唐突に消えてしまった彼女には、思いもよらないトラブルが襲ったはずだ。
「……くっそ……!」
せめて、光が、あれば。
くたくたになったクマを握る手に力がこもり、勢いで床に投げつけてしまいたくなった――その時、視界の端にちらりと光が映った。
「ギンカちゃん! ソラコちゃん……! 大丈夫っすか!? なんかCOVERが急に――ソラコちゃん!?」
ノマクロフネだ。
キラキラした光源とともに多目的ルームに駆け込んだ彼女の手元には、防災用のアナログライトが握られていた。
「どうしたんすか!? ギンカちゃんは!?」
「ギンカは、わからん、たぶん拉致された……すまない、わたしは、足が……足が、動かなくて……!」
私の左足にライトを当てたクロフネは、一瞬だけ息を飲んでから何事もなかったかのように動揺を飲み込む。……さすが元アイドル、アクシデントに強い。わたしなんかより、何倍も強い。
足が動いたところで、わたしに何ができたのか。そもそも、何が起こっているのかすらわからない。冷静になろう、と務めるものの、己の無力さがノイズのように思考の邪魔をする。
……冷静になれ、シノウラソラコ。何が起こったのか、何をするべきなのか、考えろ。
とりあえず床にはいつくばっている場合ではない。
しかし動けるクロフネからライトを奪うべきではないのではないか。わたしの機動力なんざ、義足なしでもありでもクロフネに比べたらミジンコだ。
また思考が停止しそうになった時、唐突に室内にノイズ音が響いた。ガー、というアナログな雑音。その懐かしいザラザラした雑音は、――わたしの義足の中から聞こえていた。
「…………は? 何……なんで、」
『……ますか、聞こえますか。聞こえますか? シノウラソラコ』「いや、なんで、わたしの足から知らん男の声がするんだ!?」
『聞こえているようですね、通信良好で何よりです。時間がありませんので端的に、そして無駄を省いてご説明します。先にあなたの疑問だけ解消しておきますが、シノウラソラコの義足の中に無駄に無線機能を仕込んだのはシノウラデンテツ氏ですよ。どうやら遭難した際の対策として仕込んだらしい。正直恐れ入る慧眼、そして素晴らしい幸運です』
「ま、待て待て待てまず、おまえは誰だ! わたしの足がなぜか無線機になっているのは理解できた義父殿ならばやりそうだ、ああ、たしかにそういうことをしやがると納得できる! だがそのマイナーすぎる家族無線を勝手に使っているおまえは誰だ!」
『申し遅れました。僕はスノハララン。C25セキュリティガード警備課マエヤマトモノリの専属アシストPAL兼、技術課職員兼、バンドウギンカの親友です』
ああ。……と、息が零れた。
なんなら腰が抜けそうになった。安心したのだ、わたしは。やっぱりギンカはトラブルに巻き込まれているに違いない。そしてその親友という男は――そう、たまにギンカが当たり前のように話していたあの親友だ――いち早く異変に気が付き、手をまわしている最中なのだ。
少なくとも、誰にも気づかれずに死んでいく、ということはない。たぶん。いや自称スノハラランというこの声の主がフェイクならば話は違ってくるが、ほかに、選択肢がない。
「わかった。ひとまずは信じよう」
やたらと冷静な無線の声につられるように、わたしもようやく落ち着いてくる。シンプルに無力な女二人ではない、という事実が、少しくらいは勇気になっているのだろう。スノハラの自己紹介に嘘がないのならば、この病院の異常事態にセキュリティガードは気が付いているということだ。
……いや待て、なぜC25のセキュリティガードがコンタクトを取ってくるんだ? ここは都内某所だ。あの何もかもがうるさく明るい離島のような街とは、別の場所にある。
「C25に関係する犯罪か事故なのか?」
わたしの当たり前すぎる疑問に対し、無線の向こうで少し、言いよどむ気配がする。
『……全国区で異常事態が発生していますが、美津杜メディカルセンターについては特例でC25セキュリティガードの介入の許可が出ています。実は当社職員マキセヨンドが偶然美津杜メディカルセンター内に在中しています』
「まじか! あのおっさんいまどこだ!?」
『ソラコこの野郎おっさんは自分でおっさんっていうのは良いんだよ他人に言われんのは心にくんだよ!』
ザっという切り替えの音の後に、唐突に響いたのは少しだけ聞き覚えのある柄の悪い声だ。マキセヨンド、セキュリティガードの人、パスタにケーキをつけてくれた人、柄は悪いけれどたぶんそこそこ優しくてギンカが恋をしている人。
「どこで何をしていたんだマキセ!」
『サンをつけやがれっつの。ちょっと屋上で瞑想してたら閉じ込められちまったんだよ。そんで今はあー……スノっちここどこ?』
『おそらく療養棟の八階ですね。マキセさん、あまり走り回らないでくださいあなたが死んだら本当に困ります』
『死なねえっつの。ソラコ、あとクロっちもいるかァ? ちょっとオレァ自分のことで手一杯だから、その冷静沈着ボーイのガイダンスに従って動け、っつか動いてくださいお願いしますまじで、これオレ単品だとちょっときついわ、うはは!』
「でかい声で笑うな耳が痛い! わかった、わたしとクロフネはスノハラの指示に従う」
マキセヨンドに通信がつながる、ということはやはりスノハラランは偽物ではなく本当にセキュリティガードの人間なのだ。あとはよろしく、と切れたらしき無線の後に、平坦な青年の声が続く。
『というわけで改めまして、僕はあなたたちのことを知っています。ギンカが話してくれたから、とてもよく知っています。……ノマさんもそこにいますね? シノウラソラコ、ノマクロフネ。僕の親友を助けるために、どうか力を貸してください』
「もちろんだ。子供に出来ることに限るがな。……それに、わたしが頑張るのはおまえの親友を助けるためじゃない。わたしたちの友達を助けるんだ」
やるぞ、とクロフネを見上げると、なぜかライトを握りしめたままの元アイドルは涙ぐんでいた。……うすうす気が付いていたが、クロフネは少々涙もろい。本当に芸能界でちゃんと生活できていたのか、今更ながら不安になるほどだ。
「それで、何をしたらいい。今はどういう状況だ」
『簡単にご説明します。まず美津杜メディカルセンターは電力、COVERシステムが完全にオフになっています。かつ、停電前にすべての防火シャッター、防犯プログラムが作動。要するに外に出ることも、中に入ることもできない要塞状態です。理由は全国同時多発集団自殺パフォーマンスの為。主犯は特定思想団体『FIT INTO』です。そしてバンドウギンカはこの騒ぎに乗じて拉致されました。病院内のすべてのCOVER機能が外界と繋がっていない状態――オフラインなので、こちらからはギンカの所在等一切の情報はありません。ただ、先ほど療養棟への渡り廊下の防火シャッターが一時解除されたような音が、外から感知されました。ギンカを攫った人物が、一般病棟から療養棟に移ったと推測されます』
「じゃあ療養棟に向かえばいいのか!?」
『そうです、と言えたら楽ですがおそらくは難しいでしょう。なにせどこもかしこもCOVERも電力も切れている』
「それならわたしたちは何をしたらいいんだ!」
『ひとつずつご説明します。まずはシノウラソラコさん、あなたは手動で防火シャッターを解除してください。できますよね? できるはずです。小学生のころ何度も同じことをして最終的には自宅授業に切り替えられたあなたなら、多少難しい配線でもどうにかできるでしょう』
「……セキュリティガードは容赦なく他人の思い出を引用してくるな!? そういうところ嫌いだぞ!」
『僕は果敢に学校内部のプログラムを手動で弄るあなたのことが割合好きですよ。そこにライトはありますか?』
「あ、はい、アタシが持ってたペンライトが一つ……!」
『僥倖です。それはノマさんではなくシノウラさんが使ってください。ノマさんはライトがなくても大丈夫です。シノウラさん、まずは立てますか? すぐに歩けるようにしてから、西口のシャッターに向かってください』
「……五分でやる。クロフネ、悪いがライトをもって照らしていてくれ」
「は、はいっす!」
『それでは五分後に。僕は一時マキセさんのサポートに戻ります。それとシノウラさんに、デンテツ氏からショートメッセージがあります。こちらCOVER通信ではなく無線なのでそのままお送りすることができないので申し訳ありませんが伝言という形をとらせていただきます。「がんばれ、おまえならできる」以上ですが返信しますか?』
「……おまえ、PALみたいな喋り方するなぁ……いや、うん、いい、義父殿が頑張れというときは、頑張るべきときだ」
がんばれ。そうだ、わたしならできる。
一度切れた義足の無線の後、わたしはクマのポーチをさかさまにして床の上に中身をばらまく。小銭入れ、リップクリーム、家の鍵、そしてあとはドライバーとペンチとニッパーと……。
「……ソラコちゃん、いつもそんなもの持ち歩いてたんです……?」
若干引いたようなクロフネの声が頭の上に落ちてくる。わたしはドライバーを拾い上げて、さっさと自分の義足を解体し始めた。
「おまえだってペンライトなんて殊勝なものを持ち歩いていただろう」
「これは防犯グッズの一つですよぅ! その、アタシ、帰り道とか何があるかわかんないし……」
「初日はバイクに乗っていたじゃないか。あれならいざとなったらストーカーをひき殺せるだろう」
「殺しちゃダメです~……でも、だって、アタシだけバイクだと、みんなとご飯食べて帰れない……」
「ふは。まあ、それはそうだ。かくいうわたしも義父殿の迎えをこっそり断った。……車に乗って帰ったら、みんなとご飯食べて帰れないからな」
「……ソラコちゃん、足外しちゃうんですか?」
「いや、軽くする。さすがに片足一本では動けないが、このままでは重くてダメだ。骨組み以外をすべて外す。無線は……そうだな、クロフネが持っていろ。わたしはシャッターの場所だけ記憶すればあとはどうにでもなる」
そうだ、わたしはデザイナーズチルドレンだ。それも記憶力に特化したデザインをされている、……ハズだ。
正直自分の能力がどのようなものなのか、わたしは知らない。物心ついたころには病院のベッドの上にいたし、わたしをデザインしたはずの両親はわたしを戸籍から外して、見事まるごと捨てた後だった。
わたしには生まれつき、左足の腿から下がなかった。
おそらくその身体的障がいのせいで、わたしは捨てられたのだろう。長らくいた病院から手をひて連れ出してくれたのは、いかつい顔をした大男だった。
わたしは機械いじりが好きだ。大好きだ。だって、義父殿が教えてくれたから。わたしの義足を作ってくれて、わたしの世界を構築してくれた義父殿が、おまえは手先が器用だなと言ってほめてくれたから。だからわたしはありとあらゆる機械を解体した。ありとあらゆる機械を組み立てた。たぶん、デザインされたはずの記憶力とは何の関係もない能力だ。一般人より少し器用か? 程度のものだろう。
それでもわたしは、機械をいじるのが好きだ。
「……よし。クロフネ、手を貸してくれ」
心強い友達の手を支えに、わたしは立ち上がる。うん、まあ、悪くはない。というか義足の中から無線どころか防水ジャケットと携帯用サプリメントと缶詰が出てきたんだが……義父殿はわたしが山の中で遭難するとでも思っていたのだろうか……?
なんで缶詰入ってるのにライトないんだ。そういうところだぞと思うが、わたしの頭の中に描いた義父殿はいかつい顔をゆがめてぶっきらぼうに『すまん』と言っていたので、とりあえずは許すことにした。
後で本人に文句を言えばいい。缶詰じゃなくてライトを入れろ、と言えばいいのだ。
「よし、歩けるな。それじゃあ無線はクロフネが持っていろ。悪いがライトは預かる。……たぶん、別行動だな。ひとりで大丈夫か、クロフネ」
「だい、じょうぶって思ってないと泣きそうなんで大丈夫、っす!」
「……うん。クロフネ、やろう。友達を助けに行こう。ギンカを助けて、あいつを攫ったクソ野郎に罵倒の言葉を浴びせに行こう」
ライトをクマにくくりつけ、両手を顔の横に掲げる。ぼんやりとした闇の中で一瞬顔を歪めたクロフネは、すぐにそれが『恋してクワトロ!』の中で主人公たちが気合を入れるときにやるタッチだ、と気が付いて、わたしの両手をパシン! と己の両の手でたたいた。
「よし、行くぞ」
「……うっす!」
やたらと男前な返事をした元アイドルの手をもう一度たたき、わたしは気合を入れなおした。
わたしならやれる。みんながそう言ってくれるのだから、わたしはやるしかないのだ。
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