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2-09■Ordinary person
アタシはたぶん裕福な家庭に生まれた、のだと思う。
現代の『中流家庭』というやつは、それなりに苦労せずに学校に通えるっていう意味だからだ。
母親は専業主婦。父親は企業務め。兄弟はいない一人っ子だから、両親はアタシのことを手塩にかけて育ててくれた。とても感謝している。本当だ。……でも、少しだけ恨んでいるのも、本当だ。
アタシの両親は、デザイナーズチルドレンを毛嫌いしていたからだ。
なるべく現代の技術を使わず、のびのびとあるがままの子育てをする。これが『自然派』と揶揄される人たちの人生観だ。電気も水道もガスも使うし、普通に教育機関を頼るのに、なぜかCOVERや検索機能を毛嫌いする。そしてそんな自然派の人々が一番忌み嫌いものは、もちろんデザイナーズチルドレンだった。
遺伝子を弄って生まれた、デザインされた子供。
これだけ聞くと、確かにちょっと怖いし気持ち悪い、と思ってしまう。でも同じクラスの女の子も、同じ部活の先輩も、近所のいつも挨拶してくれる男の子も、みんな普通の人間で、普通の『デザイナーズチルドレン』だ。
勿論、ノマクロフネはデザインされることなく、通常の自然妊娠で産み落とされた。
けれどアタシにとっても両親にとっても最悪なことに、アタシは少々ほかの人間よりも出来が良かったのだ。
……自慢するつもりはない。マウントなんか取りたくもない。本当に事実として、アタシは平均よりもちょっとだけ、能力が高い。足が速かったり、歌がうまかったり、物覚えが良かったり。仕方がない、だって人間の能力やパラメータは一律じゃない。運動が不得意な子だっているし、体力ならだれにも負けない! って子もいる。アタシはたまたま、ほんとうにたまたま、一般的な子供よりもあらゆる面で優秀だっただけだ。
アタシの些細な優秀さを、両親は異常に嫌った。
普通に生んだのにどうして、普通に育てたのにどうして。すすり泣くほど憔悴して悩んている母を、深刻そうな顔をした父が慰める場面を何度も見た。アタシは両親が好きだったし、今でも嫌いじゃない。でも、どうしてどうしてと二人が泣いて怒って悩んで悲しんでいるさまを見ているのはずっと辛くて、あえてエリートたちがひしめく世界に飛び込んだ。
スポーツはダメだ。デザイナーズと一般人は規定で別れているから、アタシは一般レースないしゲームに割り当てられてしまう。同じく知識や頭脳を使うものもダメ。特に計算能力や記憶力を求められるものは、『公平性に欠ける』として明確な線引きがされていた。
アタシが目をつけたのは、芸術関係だ。
音楽も美術も、比較的デザイナーズチルドレンとの差別化はされていない。アタシは昔からアニメや漫画が好きだったし、アイドルアニメにあこがれていたから、悩むことなく書類選考に応募し、するりと芸能事務所のオーディションに受かった。
うん。結果は推して知るべしだ。アタシより優秀な人たち、アタシより熱心な人たち、アタシより可愛くて美人で何でもできる人たち。そんな有象無象の才能の中で、ほとんど消去法で突き進んできたアタシは確実に精神を蝕まれていった。
いやぁ、うん……アタシが悪いんだけどさ。だってアタシは、たぶん、そんな真剣にアイドルになりたかったわけじゃない。
だから他人の悪口や世間の評価に耐えられなかったし、才能ある女子ばかりのグループでコミュニケーションをうまく取れなかった。頑張ろう、という気合が足りなかった。だから壊れた。全部嫌になって、涙が止まらなくなって、ごめんなさいといろんな人に謝りながらアイドルの道から外れた。
両親はとても優しかった。ほとんど初めて人生に挫折したアタシを励まし、受け入れ、世話を焼いてくれた。素直にありがたかったけど、アタシは二人の優しさに感謝する元気はなくて、結局アルバイトをしながら一人暮らしをする資金を溜めている。
もしかして、なんでも相談できる友達がいればアタシの人生、もうちょっと変わっていたのかなぁ、なんて思うこともある。
アタシは昔から友達がいない。
なんでもちょっとだけ優秀なせいで、デザイナーズの子たちには鼻持ちならないって無下にされ、普通の子たちにはデザイナーズじゃないのに気持ち悪いと避けられた。中途半端なアタシは、いつも一人でアニメを見ていた。
友達がいればアイドルなんか目指さなかった?
友達がいればアイドルだって続けられた?
友達がいればいろんなことに後悔することもなかった?
わからない。ぜんぶ『たられば』の話だ。ただ、アタシは今、初めて明確にできた友達のために、走らなきゃ絶対に後悔する。そのことだけは絶対に、絶対に、確実な事実だ。
目の前は暗闇だ。でも、うっすらとどこに何があるかくらいは見て取れる。
COVERと電気が消えてしまった病院内で、頼りになるのは握りしめた無線機から流れてくる声だけだ。
『一般病棟内の各個室は強制的に扉がロックされているはずですが、そもそも廊下にいた人間もいるはずです。どこかで職員を捕まえることができたら報告してください。動けずにその場で立ち往生している人がほとんどかと思います。救護、誘導はあきらめてとりあえず五階を目指してください。東側の廊下の突き当りに、非常梯子の設備があるはずです。特に細工をされていなければ、手動でどうにか梯子を下すことが可能でしょう。……ノマさん、大丈夫ですか? 見えますか?』
「え、あ、はい! きっかりと全部見えるわけじゃないっすけど、なんとなく自分がどこ走ってるか、くらいは……!」
『それは良かった。やっぱりあなたは、目がいい』
「…………うん?」
目がいい。確かに彼はそう言った。
はて、と首をかしげるが、思い当たるようなエピソードは特にない。視力はまあ確かに良かったような気がするけど、それよりも歌がうまいとか走るのが速いとか、そういうわかりやすいものばかり心当たりがある。
『どうもあなた自身に自覚がないようですが、ノマさん、あなたは視力が――特に、夜間の視力が異常に高いはずです。あなたの趣味は星を数えること、と記載されています。ですがあなたの活動範囲で空を見上げても、晴天であったとしても星の光なんかほとんど見えないんです。でも、あなたはおそらく、通常の人間が肉眼で確認できない弱弱しい光まで拾ているはずです。そうでなければ、数えるほどもないんですよ、現代の夜空に星なんて』
「えー……うっそだぁ……あんなに、きれいなのに、え? まじで? あ……アタシ、そんな人間の能力的にはあり得ない特技もってるんです……?」
『ありえない、と言い切るほどの特殊能力でもないですが……まあ、見えないよりは見える方がいいですよ。今だって、あなたの目が人よりも優れているから、あなたはライトなしで走ることができている。僕はあなたならばできる、と判断したのでシノウラさんにライトを渡すように指示しました。……あなたならできます、ノマクロフネ。そろそろ目的地に着きましたか?』
「…………は、はい……っ」
『……僕はあなたを泣かせるようなことを言ったでしょうか……』
「い、言いましたよぅ……だって、そんな、嬉しいじゃないっすかぁ……そんな、嬉しいこと言われたら誰だって泣きます……っ」
『どうでしょうか。ギンカは泣くかと思いますがシノウラソラコは笑いそうです。しかしながら僕もその気持ちは理解できます。「きみならできる」という言葉の魔法を、僕は知っていますから。……さて、梯子はありますか?』
「ええと……あった! ありました! でもさすがに説明書は読めないし窓もシャッター閉まってる……!」
『その扉は非常脱出ルートなので手動で開くはずです。同設備の標準マニュアルを読み上げますのでどうにか自力で開けてください。外では、駆け付けた大人が待機していますから、あなたの下す梯子が頼りです』
「せ、責任重大……っ」
『あなたならできますよ』
「連発すればいいってもんじゃないっすよ!」
でも、少し笑ってしまった。緊張がちょっとだけ解けて、なんとかなるような気がしてくる。
あなたならできる。なんて素敵な言葉なんだろう。
アタシはいつも、もうやるな、と言われてきた。もういい、もうやらなくていい、普通でいい。どうして普通にできないの?
アイドル時代は優秀な人たちのど真ん中で、どうしてできないの、と言われてきた。どうしてできないの、こんな簡単なことなのに、どうしてやろうと思ったのに、しょせん一般人なのに。
だから、初めてなのだ。きみならできるんだから、頑張れ、なんて言われたのは、初めてなのだ。
鼻水をすすりながら、一生懸命無線の指示に従う。ちょっと爪が折れたけど、痛みは感じない。それどころじゃない。
どうにか窓の防火シャッターを押し上げると、まぶしいほどの月明りが差し込んだ。……やっぱり空には、大量の星が輝いている。ほかの人にはほとんど見えない星の下で、アタシはようやく窓を開くことに成功した。
と言っても五階だ。
ここから飛び降りるなんてもちろん無理だ。廊下の横にひっそりと置いてあったなんだかでっかい四角い置物に手を掛ける。防災用緊急梯子、と書かれた箱は、もう何年もただそこにあるだけで、きっとみんな存在すら忘れているんだろう。
『ありがとうございます、ノマクロフネ。梯子は生きていますか?』
「大丈夫みたいっす! ええと、これを伸ばして、ここひっかけて、あとはハンドルをひたすらくるくるすればいい、のかな!?」
『正解です。COVERが生きていれば一瞬なんですが……それが終わったら、二階の渡り廊下に向かってください。シノウラさんがうまく進んでいれば、渡り廊下のシャッターで力が足りずに立ち尽くしている頃でしょう』
「了解っす! 渡り廊下までは一人でも行けます、スノハラくん、サポートありがとう! 今度ぜひちゃんとお礼を言わせてください!」
『……こちらこそ、巻き込んだのはこちらだというのに、ストレートな感謝をありがとうございます。普段倫理観が斜め上の人たちに囲まれていますので、ノマさんのまっとうさが少し、こそばゆいですね。……それではお言葉に甘えてマキセさんのサポートに切り替えます。僕以外からの無線が入るかもしれません。無線機はなくさないように。……ノマさん』
「は、はい! 何でしょう!」
『ギンカと友達になってくれて、ありがとう』
その言葉を最後に、スノハラくんの通信は切れてしまった。
「………………ぐ……ぐっときたァ~~~~……」
何今のーすごいぐっと来た、わぁー親友ってあんな感じなんだ、すごいエモい、エモいってもう死語なのかなでもきっとエモいっていうの、ああいうことなんだ。
めっちゃエモい。すごいエモい。エモいから、ちゃんとギンカちゃんを助けないといけない。あの二人が並んでいるところを、アタシは見てみたい。それだけで泣いちゃいそうだなぁ、なんて思いながらひたすらぐるぐると非常階段梯子のハンドルを回していた時、廊下の奥から近づいてくる足音が聞こえた。
……なに? 誰? あ、患者さんかな。職員さん? 職員だったら手伝ってもらうから連絡しろとか言われなかったっけ? さっきから受信しかしてないけど、この無線ってどうやって使うの? 喋ったら勝手につながるの?
アタシが一人でわたわたしているうちに、足音の主は目の前で止まった。
闇に慣れた目は、月明りだけでもしっかりと機能する。
そこに立っていたのは、看護師の制服を着た男性だった。
ふと、アタシはこの人に会ったことがある、と思い出す。アタシは初日に迷って療養棟まで行ってしまって、彼に道を聞いたはずだ。緩和治療か何かの担当らしく、療養棟の子供たちにダンスの披露をしたい、という話をしたとき、無表情であるものの比較的スムーズに快諾してくれたのも彼だった。
確か名前は――セキハラさん。
セキハラさんは腕を前に出す。もしかしたら、アタシじゃなかったら、……普通の視力の子だったら、彼が手にしていた電気銃に気が付かずによけることができなかったかもしれない。
「…………ひっ……!?」
バシッ、という音の後に、焦げ臭いにおいが漂い、アタシが居た場所が黒く焼け焦げたように色づく。
……え、それ食らったら死なない? 電気銃って遠隔用スタンガンみたいなつもりだったけど、それ食らったら死なない!?
ていうか!
「な、なんですかいきなり……! あ、あの、アタシはセキュリティガードの人に協力して、非常用梯子を準備しているだけで……っ、えっと、怪しいモノとかFITなんとかの関係者とかでもなくて……!」
「存じていますよ、ノマさん。あなた方の無線のセキュリティは脆弱すぎて筒抜けです」
「…………セキハラさん?」
「アイドルの方に名前を覚えていただいて個人認識していただけるとは、光栄です。でも、あなたは僕たちにとってとても邪魔なんです」
もしかして彼は、セキハラさんは、FIT INTOの人?
でも彼は病院関係者だ。人間の人格を丸ごと電脳世界に、なんていう荒唐無稽な話を、信じるような学力レベルはきちんと超えている、と思う。
専門的な知識を勉強していないアタシだって『そんなの無茶だ』とわかる。無茶だ。現代で延命をしたいなら、どんなに頑張っても冷凍保存が限界なんじゃないかな、と思う。それ以外のSFじみた話は全部妄想だ。
脳みその中にチップの一つも埋め込めないのに、電子の世界で暮らすなんてできるわけがない。
「まさか、えっと、信じてる……わけじゃないですよね? VRの世界で暮らそう、なんて。肉体を捨てなきゃましですけど、完全移行して永遠の命を、なんてありえないっすよ! FIT INTOはインチキ詐欺グループです!」
「仰る通りです」
「…………ふえ?」
「FIT INTOは詐欺です。陰謀論と同じだ。信じたい馬鹿を信じさせて、必要なものをだまし取る。本来詐欺でかすめ取るものは金でしょう。でも、僕たちが欲しいのは命です」
「僕たち……僕たち? って? セキハラさん、いったい何の話――」
「無駄に生きている人間のために、どうしてきちんと生きている普通の人が苦しまなきゃいけないんですか? そんな世界は絶対におかしい。狂っている。だから、正すために僕はだますことを選びました。僕は捕まるでしょう。けれど、たくさんの同志がきっと救われる」
「セキハラさ…………うわっ!?」
「関係ない女性に危害を加えるのは本望ではありません。けれど、その梯子を最後まで下させるわけにはいかない。ノマクロフネさん、両手を挙げてこちらへ来てください。……大丈夫、普通の人は殺しません」
ふつうのひとはころしません。
……普通って何? デザイナーズじゃない人、ってこと?
そうだとしたら――ギンカちゃんとソラコちゃんは、普通じゃない人ってこと?
なにそれ、なめてんの? え、なめてんの? 思わず『なめてんの』と口から出そうになったとき。
唐突に雑音が消えた。
この感覚はよく知っている。COVERのノイズキャンセルだ。思わず後ろを振り向こうとしたアタシの耳に――たぶん密室通信で――男の人の声が届いた。
「伏せて目をつぶって!」
迷わなかった。迷わずアタシはできる限りの最速で体を低くして目をぎゅっとつぶった。チカッと何かが光る、目をつぶっていても明るく痛いほどの光の後、何かがアタシの横をものすごい勢いで通り過ぎた。
バシッという音。うめき声。何かが倒れる音。バタバタとした足音。大人数の気配。
……うずくまっていたアタシが恐る恐る目を開けたのは、もう一度密室を通して『もう大丈夫だよ』という声が聞こえたからだ。
セキハラさんは、警察らしき人たちに拘束されて床に押し付けられていた。ヒエ……と思ってドン引いているアタシの後ろから、よいしょっと窓を乗り越えてきたのは、セキュリティガードの制服を着た眼鏡の男性だった。
「いやぁ間一髪間に合ってよかった。……きみが、ノマさんだね? 梯子をありがとう、きみが居なかったらもうあと半刻は指をくわえてシャッターの切断を待つところだったよ」
「あ、え、……で、でも、梯子、まだ途中じゃ……?」
「窓さえ開いてりゃこっちのもんだよ」
……どうやって上ってきたんだろう……。警察はおいといて、セキュリティガードの人たちはただの技術屋というか、COVERの安全を守る人たちだったはずだけど。マキセさんといい、スノハラくんといい、この人たちの仕事ってなんか、アタシが想像していたより過酷なのかも……。
「よし、それじゃあノマさんは外に……って言いたいところだけど五階から梯子で降りるのはちょっとアレか。病棟の人たちも一旦無事を確認したいし、とりあえずはどっかの部屋で待機してもらおうかな。スノくん、近場に適切な部屋とかある?」
「……ご案内します」
男性の問いかけに答えたのは、いつの間にか目の間に立っていた青年だ。まだ暗くて、うまく顔が見えない。
「COVERの掌握状況は?」
「一般病棟は完全に奪還。パニックになる可能性を考慮し各病室の扉はロックしたままです。現在暫定的に僕がホストになっていますが、今から警察側に管理コードを譲渡します」
「おっけー、あー……スノくん、電気つけろってさ。できる?」
「勿論。ホストですので」
唐突に蛍光灯が点灯し、月明りでどうにか目を凝らしていた視界が真っ白になる。……セキハラさんは、早くも拘束されてどこかに移動させられたらしく、そこには電気銃の焦げた跡しか残っていなかった。
アタシの前に立っていたのは、二人の男性だ。
一人はさっき窓から入ってきた、制服の男性。すごく真面目そうでさわやかな感じ。
もう一人は白衣を羽織った、少し背の低い銀髪の――。
「……スノハラ、くんっすか?」
アタシの問いかけに、銀髪の青年はさらっとした真顔で頷いた。
「可視状態では初めまして、ノマクロフネさん。非常梯子の設置、大変お疲れ様でした」
「あ、あの、ギンカちゃんは……っ!?」
「まだわかりません。COVERの権限を奪えたのは病院の半分、一般病棟のみです。現在マキセさんが療養棟の管理ルームでシステムの奪還作業を続けています。ギンカの位置はいまだ不明。ですが渡り廊下はシノウラさんがしっかり仕事をこなしてくれている様子ですし、今警察がそちらに向かっています」
「……ソ、ソラコちゃんも無事……?」
「先ほどCOVERで通話しましたが引くほど元気ですよ。お二人には多目的ルームで待機していただきましょう。おそらく警察から事情聴取を受けるでしょうから、少し休んでおいた方がいい」
「……はい、わかりました。あの……」
「はい」
「……ギンカちゃんのこと、よろしくお願いします」
頭を下げたアタシを見て、男性二人は少しだけ沈黙した後、二人同時に『もちろん』と請け負ってくれた。
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