23 / 24

2-10■Invisible

 目が覚めたときに身体が動かないのは、とても怖いことだと知った。  暗い。真っ暗だ。何も見えない。それに、何も聞こえない。わかるのは、椅子みたいなものに座らされて、両手両足を椅子に括り付けられているらしい、ということだけだ。 「……意識が復活しましたね、バンドウギンカ」  ふ、と耳に届いた声にびくっと顔を上げてしまった。……その声は、やたらとクリアに聞こえる。ゆっくりと間接照明のような柔らかい明りが灯っていき、そこが子供の遊び場のようなキッズルームであることがわかった。  中央に立っている女に、見覚えはない。でも、アバターであることはわかる。……アバター? なんで? COVERは落ちたんじゃないの?  そう思って落とした視線の先、映った私の足は赤いブーツを履いている。  私のアバターが、私に見えている。つまり、COVERは生きている。でも視界の端で点滅している記号は『オフライン』を示していた。 「COVERは動いていますよ。けれど残念ながら、外界との通信はできません。通信は完全にオフラインで運行しています。……あなたがどんなに助けを呼んでも、叫んでも、誰にも届きません。ですから大人しくしてくださいね。融通の利かない患者への対応は、無駄なリソースを割くだけで不効率です」  にっこりと笑う。その笑顔はとても柔らかいし、声だって優しいトーンなのに、言葉だけがやけに冷たく刺々しい。  ……私はその一律に優しい顔と声に覚えがある。これは、病院のカウンセラーは張り付けている表情統制システムが作り出す顔だ。  辛くて悲しくても医者は優しく笑っていないといけない。だって、患者が困るから。患者が不安になるから。患者が怒るから。患者のために医師たちは――特にカウンセリングを行う医師と看護師は――柔らかい笑顔の表情を張り付ける。柔らかな声色になるように声も調節される。  本来の顔はどんなに笑っていなくても、どんなに不機嫌な声色でも、COVERを通して調整された彼らは『優しい人間』の皮をかぶるんだ。  作り物の笑顔を張り付けた女は、看護師用の白い制服を着ていた。私の視界に表示された彼女の名前は、セキハラナツ。似たような名前の男性スタッフを見たことがある、気がする。夫婦か、それとも親族なのだろうか。  セキハラナツは首をかしげて、つくりものの笑顔をふりまく。 「本当はきちんとお話をして、説得してご協力していただく算段でした。けれど、日取りが早まってしまった。手荒な真似をしたことを、夫に代わってお詫びします」 「…………夫」 「はい。美津杜メディカルセンター療養棟看護師のセキハラヒヨリは、私の夫です」 「じゃあ、この停電騒ぎを起こした主犯は、あんたたち夫婦ってこと?」 「さあ、どうでしょうか。確かに、セキハラヒヨリは種を撒いた。でも、選択したのは入植者の皆さんです」 「にゅうしょくしゃ?」 「FIT INTOは電脳世界への植民団体です。現実の体と命を捨てて、FITの世界で無限に生きる。煩わしい肉体はない。制限もない。誰だって神のように、魔法使いのように、好きにふるまえる理想の人生を迎えます。さて、これはもちろん戯言です。これはセキハラヒヨリがFIT内で作った『教祖』アカウントでの発信を始まりとし、その後急速に拡大していった妄想的思想です」  ……そういやなんかスノが、FITがどうとか言ってた気がする。私はVRに基本興味ないし、Arts Stageのせいで憎んですらいたから、FITの話も面倒くさくて半分くらいしかちゃんと聞いていなかった。  VRシステムFIT。COVERで作ったアバターをそのまま運用できる、といううたい文句だけど、実際はCOVERとは全く関係ない会社が作ったパチモンというか、便乗商法的なものらしい。それだけでも結構怪しいのに、FITの中はオカルト商法とかビジネス勧誘とかスピリチュアル団体とか、とにかくやばそうな奴らがうじゃうじゃ集ってるみたいな話だった。  命を捨ててFITの世界で生きよう、なんて、馬鹿な私ですら『いやそれ自殺じゃん?』と思う。自殺だ。それを団体で推奨するなら、ただの集団自殺だ。 「え。……つか、これってFITの奴らの自殺案件なの? ……スノ関係じゃねーの?」 「残念ながらスノハラランについて、我々は興味を持っていません」  ……そうなのか。私はすっかり『あたしを拉致してスノを奪うための材料にでもすんのか』と思っていた。私の周りで、価値がありそうなものなんてスノくらいしかない。そう思っていたからだ。 「私たちの目当てはあなた、バンドウギンカです」 「……あたしなんか拉致ってどうすんの。確かに大罪人だし、一躍有名人って感じだけど、ただの子供じゃん。デザイナーズチルドレンだって言っても、ちょっと運動するのが得意ってだけだし、なんの特技もない。価値ないでしょ」 「いいえ、あなたには価値がある。あなたは今、この国で一番注目されているデザイナーズチルドレンです。だから我々は、あなたに死んでもらいたいのです」 「………………何……」 「バンドウギンカ、どうか死んでください。できれば、自殺していただきたかった。でも説得する時間がない、と私は判断します。COVERの権限が半分上書きされ、セキハラヒヨリが拘束されました。もうすぐこの療養棟も外部の侵入を受けるでしょう。それまでに、あなたを殺すことが私の役割です」 「……あたしを殺して、なんか得すること、あんの?」 「勿論。私たちはデザイナーズチルドレンに自殺を推奨しています。作られた、出来損ないの人間たち。高飛車でわがままな人間たち。いずれ死ぬのに、いずれ死ぬのに、いずれ死ぬのに、看護と介護と医療のリソースを食いつぶす人間たち。推奨しています。自殺を推奨しています。だから死んでくださいバンドウギンカ。あなたが死ねば、自殺すれば、きっとみんなもっと死ぬ。いらない命は死ぬべきです。もっと死ねば、もっと死ねば、もっと死ねば、セキハラヒヨリは労働から解放されます」  もっともっともっと。死ねば死ねば死ねば。壊れた機械みたいに、同じ言葉が並ぶ。……いや、さすがにちょっとおかしいんじゃないの? いくらとち狂ってる人だって、こんな風に――同じ調子で話さない、と思う。まるで連続再生された読み上げソフトみたいだ。 「遺書はこちらで用意しました。この四分十五秒の動画ファイルは各主要マスコミと個人の共有閲覧動画コミュニティへ自動転送されます。内容はデザイナーズチルドレンとしての辛さと生きることを辞めたことへの解放感を重視し作成しました。あなたのアバターの再現はとても難しかったです。けれど、おそらくほとんどの国民は偽物だとは気が付かないでしょう。いえ、偽物だと気づかれてもかまいません。後追いで死ねば死ねば死ねばそれでセキハラヒヨリは労働から解放解放解放される。死んでくれますねバンドウギンカ。死んでくださいバンドウギンカ。どうせデザイナーズチルドレンの人生など、辛いだけでしょう」 「…………ちょっと前なら、誰かのためになるなら死んでもいいんじゃねーの、なんて思ってたかもしんねーけど。今は、嫌だよ」 「どうして。どうして。どうして」 「だって、イワシの梅煮、作んなきゃいけねーもん」  明日食いたいもんのことだけ考えとけ。そうじゃなきゃ、オレにイワシの梅煮作って。  そう言ったあの人の顔を思い浮かべる。  私はいつも、別に死んでもいいよ大した人生じゃないし、と思っていた。スノが死んだら嫌だと思うくせに、私が死んだらスノが泣くとか、思ってもいなかったのだ。  ――私が死んだら、うん、たぶんスノは泣かないかもしれないけどすごく怒るだろう。マキセさんも、たぶん怒る。悲しんでくれるのはマエヤマさんで、ソラコとクロフネは号泣するだろう。  だから死ぬのはダメだな、と思う。未来とか幸せとか夢とか、やっぱり私にはまだわからない。少しだけ難しい。  それでも思い浮かべた顔が歪むのは嫌だよ、そう思うから。 「悪いけど、死ぬ気はねーよ。意地でも、ぜってー生き残る」  具体的にどうやって、なんて策はない。微塵もない。けれど舌を噛むことだってしたくない。  死んでください、という割に、セキハラナツは武器らしきものを持っていない。少なくとも撲殺とか銃殺とか刺殺じゃねーのかな、と思っていると、パチパチと爆ぜるような音が聞こえて視界が曇ってきた。  …………いやいやいや。待って。待ってほんと。――火事は、本当にやばいと思う。 「スプリンクラーの設定は切っています。もちろん、切っています。さあ、死にましょうバンドウギンカ。死んで、私たちの神様になってください。あなたは英雄になるでしょう。たくさんの医療労働者を、介護から救うのです」 「待っ……あ、あんたも死ぬだろこれ!?」 「私は死にません。私は生きていません。さようならバンドウギンカ。さあ死にましょう。死んで、私たちの神様になってください。あなたは英雄になるでしょう。たくさんの――」 「おまえが死ねクソ野郎」  声が聞こえた。そう思った瞬間、目の前にパッと現れた少女の持ったモップが、セキハラナツの胴体を真っ二つに切断した。  ――少女型フルアバター、SHARK。マキセヨンドという男性の、もう一つの姿。 「手こずらせやがって、ラスボスぶってねえでさっさと消えろってんだ出来損ない」  ぐらり、と揺れたセキハラナツだったものは、ぶれるようなノイズを残してその場から消え去る。あっけにとられている私のほほには、スプリンクラーの大粒の水滴がばたばたと降り注いだ。  同時に、パッと照明がつく。急にバタバタと人が走る音がして、消火器や放水の音がした。 「…………え。え? なに、え……その人、フルアバター……だったの?」 「ソウヨー。っつーのは語弊があんだよな。セキハラナツって女は確かに存在してたけど、三年前に死んでる。あいつは、セキハラヒヨリが自分のPALにつっこんだ学習型AIだ……って今スノっちから詳細来た。本当の黒幕、ちゃんと捕まったってよ」 「……COVER、通信回復した、の?」 「そう、なんとオレが非常に頑張った。いやぁ、マジのマジで、うははー……はー……」 「死ぬかと思った」  女子の声から、急に男性の声になる。ていうかこれ生身の人間の声じゃね? と気が付いた時には、後ろから近付いてきたその人に腕と足の拘束を解かれている最中だった。  ……髪の毛はぼさぼさだし、服はちょっとどころかかなり破れている。どこのジャングルにいたの? みたいな状態だけど、確かにマキセヨンド、その人だ。  丁寧に私を縛っていた布を解いてくれた彼は、痛くない? と見上げてくる。無心にこくこくと頷いて立ち上がる。……本当に別にどこも痛くないし、もちろんけがもしていないように思う。  よかったぁ、とへらりと笑ったマキセさんは立ち上がると、そのまま斜めに崩れ落ちそうになった、のでびっくりして慌てて肩を掴んで支える。 「いっ……てええ……! ちょ、わるい、ギンカたん、ありがてえけど、右側! 右側持って左はだめマジでだめ……ッ!」 「ひ、左ダメってなんで……え、うそ、腕折れてんの!?」 「いやぁ、どうかなぁ、外れてるだけだといいんだけどなぁって感じっすね……あばらはたぶん何本か逝ってるわうはは。いやー、慣れねえことはするもんじゃねーよ。まあそりゃ平坦なコンクリートならまだしも、プラ張りの温室に突っ込めばこうなりますわなぁ人間って案外脆いわね、って感じっす。……ま、いっちょくせーんに下に落ちて割れたスイカになんなかっただけマシよ。内臓は問題ねーし、たぶん。……たぶん」 「問題ないですが精密検査は受けてもらいますよ。救急車を即手配してありますのでもう少々痛みに耐えてください」  スッと、当たり前のようにスノが会話に入ってくる。  気が付けば隣には、なじみのある白衣を纏ったスノが立っていた。ああ、本当にCOVERが復活したのだ、と私は安心した。  COVERがないと不便だ。そんなことはとても当たり前のことだけれど、COVERがないと、私はスノと当たり前のように会話もできないのだ。 「お疲れ様でしたマキセさん。片手のみでコントロールルームを掌握した手腕、ぜひ隣で拝見したかったと思います。これは僕個人の労いの言葉で、以下マエヤマさんウルマ主任カミマイ課長から大量の小言付き激励と叱責が届いていますので、搬送中に順を追ってお伝えしたいと思います」 「えええ……オレこんな頑張って満身創痍なのに怒られんのうそでしょお……」 「安心してください、僕もついでに怒られます。非常事態とはいえ、一般人を巻き込みさらに規律を無視して警察の突入を妨害していますから」 「いやでもそんなん待ってたらギンカたんどうなってたかわっかんねーじゃんよ……ンなもん、できるやつが動きゃいいじゃねーかよ、オレがやれるんならオレがやったっていいだろ。ってのはダメなんだよなぁ日本の法律なぁ、あー……まあ、多少情状酌量してくれんだろ。うん。あとたぶん痛がってりゃ怒られが半減するはず」 「マエヤマさんと課長はその手段を使えるかと思いますが、ウルマ主任には逆効果では」 「……ずっと富山にいてほしい」 「わからないでもないですが。でもあの人がいらっしゃらないと仕事が進まないので、素直に怒られる方がましですよ。……ギンカ、お疲れ様」 「え? ああ……うん」  なんだか、久しぶりに話したような気がする。なんでだろう、スノは毎朝、時間があれば夜も無理やりにでも私と話そうとして通信してくるし、当たり前みたいに私の部屋にフルアバターで上がり込む。  でもここ最近は、ちょっとだけ、私は遠慮していたかもしれない。  せっかくスノが掴んだ幸せを、仕事を、スノの世界を邪魔したくない。そう思って、ほんの数歩、身体を引いていたような気もする。 「……ほんとうに、間に合ってよかった。この世界からギンカが消えてしまったら、僕はとても困る」  ぼそり、とスノが呟く。  私が消えたら、とても困る。  ……それは、私だって一緒だ。  スノが、この世界から消えてしまったら困る。すごく困る。それに、スノのいる世界がなくなってしまったら――COVERが消えてしまったら、スノは私の目の前から簡単に消えてしまうのだ。  そんなのは困る。嫌だ。だって、私はスノの親友で、親友が居なくなった世界なんて絶対につまらないからだ。  私はスノと一緒にいたい。マエヤマさんに恩返しもしてないし、ソラコとクロフネとC25を歩かなくてはいけない。それに、イワシの梅煮を作らなくてはいけないのだ。 「お、緊急車両様のご到着じゃん? つかここ病院なのにそっから搬送されんのかぁ」 「この施設は警察の調査とセキュリティガードの点検が必要ですから。ギンカも一応検査するから乗ってもらうよ」 「ええ、うん……ソラコとクロフネは?」 「二人とも無事だ。警察の聴取を受けているところだけど、ちょっと裏技を使えば融通してもらえるかもしれないし、一緒に病院に行けるかもしれない。……どうする?」 「……頼んだ、親友」 「頼まれたよ、親友」  ふ、と笑ったスノは、スッと消えてしまった。  残されたのは、私とマキセさんの二人だけだ。 「…………歩けます? ここで待ってた方がいい?」 「あー……いや、足はまあまあ元気よ。でもあんま勝手に動くとなぁ、余計に怒られそうだし大人しく待っておくわぁ」 「座る?」 「……座ったらギンカたん支えてくんねーでしょ? じゃあ立ってるわ」  ふはは、と笑う。からりとしたその声の中の甘さに気が付いて、私の耳はすぐに熱くなってしまった。  ……なんかよくわかんないけど死ね、って言われた。私は馬鹿で、あんまり真面目に人の話も聞けなくて、記憶力もよくない。だからセキハラナツが何者だったのかとか、セキハラヒヨリが何をしたかったのかとか、ぼんやりとしか理解していないと思う。  それでも、はっきりとわかっていることは、死ななくてよかった、死にたいなんて私は微塵も思っていない、ということだった。  私の生きる世界は狭い。とても狭い。そこら辺の一般家庭の庭よりも狭いかもしれない。でもその中でも、とりあえずは息をしたいと思うから。  私の生きる世界は騒がしいけれど、耳をふさぐことはやめよう。と、そう思った。

ともだちにシェアしよう!