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四人目のレント:世界に二人きり

 家を出て自転車に乗る。梅雨が明けきっていない空は、どんよりとした雲に覆いつくされていて、蒸し暑さの中で唯一の救いとするならば、日差しが無いことだけだった。  町中を走り、大通りに出る。そして気が付いた。 「どういうことだ……」  目の前の光景に自然と言葉が口から出てしまう。  いつもならば(せわ)しなく車が行き交う国道に、車も、人も、何もかもがいなかった。  静まり返った大通り。誰もいない、何もない道で、信号だけがまるで見えない物体を誘導しているかのように、色を変える。  辺りを見回す。交番、自動車の販売店、ファミリーレストラン。その中にも、誰もいない。  音のない世界が広がっていた。 「そんな、馬鹿な……」  訳が分からない。駅へと自転車を急がせたが、駅に着くまで人も車もバイクも自転車も、どれとも出会わない。  どの建物の中でも電気は付いている。しかし人がいない。  まるで、自分以外の人間が突然消えてしまったようで…… ――何が起こった。どうなってるんだ。  混乱する頭の中。駅についたものの、周辺にも駅の中にも人がいない。  茫然となって、暫く突っ立ったままでいた。  と、頭の中に、セファの顔が浮かぶ。急いで鞄からスマートリンケージを取り出した。 「コール。秋水(あきみ)セファ」  音声に反応して、呼び出し音が鳴り始める。その音も、壊れたように割れていた。  一回、二回、三回……  応答がない。唇をかみながら、コール回数を心の中で数えていく。 ――もしかして、セファも……セファも消えたのか?  そんな思いが頭をよぎる。  その瞬間、神経をでたらめに引っ掻くような感覚が全身を襲った。 ――セファが、いない?  考えられなかった。そんな世界は。    この町から、いやこの世界から誰も彼もがいなくなったようだ。確かに、それはショッキングなことではある。実際、信じようと思っても信じられない。  でも。  俺がショックを受けたのは、この世界から人間がいなくなったことじゃない。  セファがいないことなのだ。  コールが十回を過ぎ、諦めが脳裏をよぎる。スマートリンケージを持つ手から力が抜けかけたその時、コールが途切れた。 「セファ! セファ!」  夢中になって呼び掛ける。何度も、何度も。 『どうしたの、レント』  そして、セファの声が聞こえた。  高いけど、少しハスキーな、でもどこか安心してしまう、不思議なセファの声。 「ど、どうして電話に出なかったんだよ!」 『ごめん、何回もかけてくれてたの?』 「い、いや、何回もじゃないけど。そんなことより、なあ、なんか町の様子がおかしいんだ。誰もいないんだよ、人も車も。どうなってるんだよ。もう何が何だか」  俺は夢中になって、町の様子をセファに話す。 『落ち着いて、レント。今、どこにいるの?』 「駅だよ、北口駅。セファはどこにいる?」 『どこって、部屋だよ』 「外見てみろ。人っ子一人いないぞ!」  俺がそう言うと、「ちょっと待ってね」という言葉の後、布の擦れる音が聞こえた。 『窓からは誰も見えないけど、いつもこんな感じだよ』 「外に出てみればわかるさ。と、とりあえずそっち行くから、部屋で待っててくれ」 『外に出るのか、部屋で待つのか、どっち?』  セファは呆れた様子で笑いながらそう尋ねる。 「どっちもだ!」  とりあえず異常な事態であることは分かる。でも、落ち着け。セファがいる。  最悪、大学まで自転車でと思った。しかし、セファとの通話を切った後すぐに、ホームに電車が到着したのだ。  扉が開くだけの、無人電車。もしかしたら自動運転であるがゆえ、人間がいなくても動いているのかもしれない。  俺は迷わず、来た電車に飛び乗った。  誰もいない車両。車内には、等間隔で発せられる金属音だけが響いていた。窓の外では、景色だけが後ろへと流れていく。  いや……動物がいた。鳥だ。鳥たちは、いつも通りに動いている。  大きな河川の上を渡る電車の窓からは、人間だけがいなくなった世界が見えていた。  本当に、この世界には俺とセファしかいないのか?  連絡駅で電車を乗り換える。やはり誰もいない車両の中で、大学に近づくにつれて、だんだんと不安が募っていった。  スマートリンケージから聞こえてきたセファの声は、本当にセファの声なのだろうか?  セファの部屋のドアを開けると、そこには何もない空間が広がっている……そんなことは無いだろうか?  大学前駅で電車を降り、俺はいつもは学生であふれかえっているはずの大学前通りを、駆け足でセファの部屋へと向かった。

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