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データたちの方舟:セファの姿を求めて

 マンションの廊下から見る景色にも、遠くには黒い闇がにじみ出すように広がっていた。  エレベータを待つのももどかしく、非常階段を全速で駆け降りる。 「肉体の再生?」 『そうだ。地球上に再び人類を送り込むのが、データ管理局の使命。再生された肉体は、“再生された地球”に住み、文明の再興を行うことになる』 「地球は、もう住めない状態じゃないのか」 『地球環境は、既に人類が生存できる状態にまで回復している。今は、人間を現実の存在へと再生し、再び大地へと送り込む段階にきている』  走りながら、俺はシルの説明を聞き続ける。  なるほどね……  シルの話はこうだ。  人類は滅亡した後、再び地球上に人類を誕生させるため、自らをデータ化し、セントラルデータベース『方舟(アーク)』に保管した。  地球には、そのデータを使って「人間の肉体を産み出す」装置が用意されているという。  余りにも壮大すぎる話。全てを納得しろというのは無理な話だった。しかし、今俺がいる世界が闇に飲み込まれようとしているのは事実である。シルの話を「作り話」と切り捨てる根拠も、俺は持ち合わせてはいなかった。 「セントラルデータベースから削除される前に、地球上に、秋水セファの肉体をその装置で産み落とせばいいってことだな」 『その通り。ただしそれには、この「方舟」を出る意志が必要だ。秋水セファを見つけ、説得しろ。お前にできることは、それだけだ』  一階に到着する。そして休む間もなく、玄関から外に出た。  街が、何百年も放置された後であるかのように、薄汚く沈黙している。 「もうすでに肉体を再生された人間はいるのか?」 『まだいない』 「じゃあ、ここから出たとしてもセファは一人きりということか?」 『それに続く人間が現れるまで、そういうことになる』  大学の正門まで走っていく。色褪せ、ドット欠け、ノイズ。至る所に崩壊の前兆が現れていた。 「地球は、どういう姿になってるんだ? 一人でなんて生きていけるのか?」  辺りを見回してみるが、セファの姿は見当たらない。 『知りたければ、お前も出るが良い。この方舟(アーク)を』 「俺も出られるのか?」 『お前のオリジナルが、その意志を持てば、だ』  図書館、食堂、体育館。大学の敷地は広すぎるくらいに広い。大きな声でセファの名前を呼びながら、走り回った。 「外か」  一旦、大学を出て、学生通りを見て回る。セファと行った定食屋、喫茶店、そしてカラオケ屋。無人の廃墟をセファの姿を求めて彷徨った。  しかし時間だけが、いたずらに過ぎていく。空の明るさが次第に失われていくのは、時が経つからなのか、それともセファの世界が壊れていっているからなのか。  時計は、いつのまにか午後七時になろうとしていた。  時間感覚が合わない。まだ一時間も経っていないような気がするのに。 「セファはどこにいる。お前、知ってるんだろ!」  スマートリンケージに向けて、声を荒げる。 『お前が見つけろ。私は干渉しない』  舌打ちが口から出ていった。唇を噛んで、そしてもう一度セファのマンションへと走り出す。  階段を使って七階まで上がる。しかし部屋にセファの姿はない。窓から外を見ると、黒い闇がもうそこまで来ていた。  ふと思いついて廊下へと出る。端まで行って、大学の方を見た。  真っ黒な闇は、円が狭まるように迫っている。ならば、その円の中心が「最後に消える場所」であり、そこにセファがいるんじゃないか……  法学部の校舎がある場所、そこが円の中心のように見えた。  しかし、あそこは一度見に行ったはず……そこで、チェックしていない場所があることに気が付いた。  語学教室。  俺がセファに初めて声を掛けた場所。俺とセファ、二人の世界が始まった場所。  あそこにセファがいる。  確証など何もない。しかし確信はあった。  随分と動き回ったが疲れはない。そもそも、データが疲れを感じるなんておかしいじゃないか。疲れも、空腹も、錯覚なのだ。  マンションを出ると、俺はまた走り出した。でたらめな色をした正門を抜け、茶色く染まったアスファルトの坂道を上がり、錆た色の校舎の前にたどり着く。  二階への階段は青い光に照らされていた。それを駆け上がり、そして息を切らせながら、語学教室のドアの前に立つ。  ドアを開けた。蛍光灯が付いているにもかかわらず、教室は薄暗い。  その隅、初めてセファに声を掛けた時に、セファが座っていた席。そこに、セファの姿があった。  ラフなシャツとデニムのパンツ。   髪の毛だけがあの時とは違い……長かった髪は、首元で切りそろえられている。線の細い、どこか儚げな青年の姿。 「なぜ、来たの」  セファが、俺の方を向いた。

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