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第28話 C-01 和磨×Nao ㉒
翌日ふらふら起きて身支度していつものルーティーンをして背負いなれたリュックを持って家を出る。
気づけばこの道に漂っていた金木犀の香りはもう無くなっていた。たった数日の甘い誘惑のように儚く散って床をオレンジに染めている。
あのオイルのように短くて記憶に残る香り。
電車内でもぼんやりとしていた。何も考えずに来たもんだから随分早く現場に着いてしまって、もちろん一番乗り。まぁ本来ならこれが下っ端ADのあるべき姿なんだけど。
準備を進めていると監督が入ってきてスタッフ全員が大きな声で挨拶をする。
「おはようございます!!」
この日は怖いと有名なクセのある監督で現場も少しピリリと緊張感が張り詰めていた。僕もこの日ばかりは一番乗りで来てよかったと息を吐いた。
先のとんがった靴でゆっくり歩きながらセットを確認する監督。
「まぁセットはこれで問題ないな」
「あの、監督すいません」
「何だ?」
「昨夜、深夜に男優さん側から熱が出て体調が良くないと連絡頂きまして」
「それで代わりは?」
「はい。見つかってます!大丈夫です」
そこに関しては聞いていなかったが急な変更はよくあること。中止にならず監督の怒りを買わずに済んで良かった。仕事の出来る先輩に手を心で合わせて、今日はとにかく撮影が予定通りスムーズに運んで波風立てず早く帰宅出来ればそれでいい。
しばらくして出演者達が到着する。うちの会社お得意のドラマ仕立ての学園モノでかなりしっかりした台本だ。この日はエキストラも含めて8人。
控え室に誘導し衣装や流れの説明が始まる。そちらでバタバタして気付かないうちにメインの女優と男優も現場入りしていた。
「ごめん、岩咲!機材車にある照明ライト入った段ボールそのまま持ってきてくれない?」
「あっはい、わかりました!」
駐車場まで走り機材車の中から該当の段ボールを探して取り出す。完全に前を塞いで何となくの感覚だけで歩きながら重量でグラグラ揺れる段ボールの底をがっちり抱えて10段程の階段を上がる。
「あー悪いな、ありがとう。そこ置いて」
「はい。先輩これすぐ使いま……えっ、、!」
段ボールを下ろして痺れる手を振りながら振り返るとそこには彼の姿があった。いるはずのない彼。信じられなくて何度か大きく瞬きをしてみるがやはり目の前にいるのは紛れもなく彼だった。
「尚翔っ!!何でっ?」
思わず大きな声を出してしまった僕に近づいてくる。
「ここではNaoって呼ばなきゃダメじゃん」
ひっそりと耳打ちでそう囁いた彼はニコリと僕に笑いかけて先輩の方へ歩き出した。
「ごめんね、突然お願いして」
「いえ」
「はいこれ台本。あまり時間ないけど覚えられそうかな?」
「大丈夫です。任せて下さい」
「本当今日の撮影がNaoくんでよかった!まぁそう思ってるのは俺だけじゃなさそうだけど」
僕はぐちゃぐちゃになった頭をフル回転させていた。一体どうなってるのか。先輩と彼は何やら話してると思えば二人してこっち見てくるし、今日はA'zoneに契約すると言っていた彼が何故かこの現場にいる。
このままいつもの日常にと思っていたのに。
吹っ切ったはずの気持ちが揺らいでく――
撮影準備が整いデビューしたての若い女優と彼がカメラと照明の光りの前に並んで立った。
「まだ不慣れで緊張してますが今日はよろしくお願いします!」
フレッシュなまだ20歳になったばかりの新人女優は全くの違和感なく制服を着こなし、緊張感を漂わせながら長い黒い髪を耳にかけた。
僕は彼の方を見つめながら耳だけそちらに傾けた。自然と視線が彼に向いてしまう。ベージュのジャケットを着てメガネを掛けた教師役の彼が優しい笑顔で女優にリラックスするように何か話かけている。
「そして本日急遽、男優をお願いする事になりましたNaoさんです」
「よろしくお願いします!」
右と左、スタッフ全員に頭をゆっくり下げた彼。
「えっとすいません私事ですが、しばらく男優をお休みする事になりました。休む前の最後の撮影になりますのでいい作品になるように頑張ります」
突然の言葉に一瞬静まり返ってパチパチと疎 拍手を浴びる彼。初めて聞いた休業宣言にますます頭がパニックになったが彼は平然としていてむしろ清々しい顔で言い切った。
「Naoくんは相変わらず驚かせてくれるな。それなら最後、後悔ない作品を作ろう。よし、それじゃ始めようか」
「よろしくお願いします!」
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