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第41話 C-02 西名×琉加 ⑫
少し開いた窓から波の音が聞こえる。窓はちゃんと締めたはずなのにと潜った布団から顔を出した。
「おはようございます!」
「わっっ!びっくりした!」
視界いっぱいに彼の顔が写って思わず声を上げと身を引いた。
「そんな幽霊見たみたいに驚かなくても!それにしても寝る時、布団全部被るとか子どもみたいで可愛いですね!」
「……いや別にたまたま、、って!ここで何してんの?」
「目が覚めちゃて、、先生に会いたくて」
枕元のスマホを見ると午前6時半。やっと外が明るくなってきた頃だ。昨夜は手を握ってお喋りしながら彼が眠るのを見届けたが、今は逆の状態になっている。無造作に置いたデスクのパソコンに気づいた彼。
「あっ、やらなきゃ仕事は終わったんですか?」
「うん。夜中までに終わらせたよ」
「じゃ外を少し歩きませんか?朝の浜辺気持ち良さそうだし」
窓から入る風はヒヤッと冷たかったが太陽が降り注いだ海の青さはとても暖かく見えた。スエットの袖をプラプラさせながら、サッシに手を置いて窓から身を乗り出して深呼吸をしている彼。
「いいよ。それじゃついでに外で朝食を食べよう。お腹空いたでしょ?」
「はい、行きます!準備してきます!」
浜辺を一定の距離を空けて歩く。ランニングする男性や犬の散歩をする夫婦ががちらほらいるだけ。波の音がモーニングコールのように心地よく聴こえる。
昨夜の雨でまだ水分を含んだ浜辺の砂をスニーカーで蹴りながら歩く彼のスピードに追いつけず距離が開いていく。薄手の長袖シャツ一枚の姿の彼が止まって振り返った。
「先生遅いですよー早くーー」
「ねぇ!寒くないの?」
「僕は若いから大丈夫ですよ」
おちょくったいい方で返して笑っている彼。それは僕が"おじさん"って言いたいの?と反撃する気も失せたのは彼が今までで一番楽しそうな顔をしていたから。靴と靴下まで脱いで水の方へ歩いていく。
「ちょっと!入らない方がいいって」
「足浸かるだけですよ」
11月の早朝の海の冷たさなんて想像しただけで身体が震える。ゆっくり足をつけた彼を心配になりながら見ていた。
「冷たっ!」
「だからもう辞めなって!もう二度は看病しないからね」
昨夜の浴室での事柄を忘れる訳はない。なかなか水から出ない危なっかしい彼の腕を引いて引き寄せた。
「もう終わりってば!」
半分怒った僕の口調に少し驚いた彼は"ごめんなさい"と小さく言って足を拭いて靴を履いた。
「あっいや、別に怒ってないからね。心配しただけだから」
「はい、分かってます。あっ!お腹空きましたね。ご飯食べに行きましょう」
「うん、そうだね」
夏の時期には朝早くからいくつのもカフェがオープンして賑わっているこの海岸通りもこの時期のこの時間滞はお店のシャッターが降りてある店ばかり。しばらく歩いて空いてるお店をやっと見つけた。
「ここ空いてるからここにしようか」
小じんまりとしたお店にコーヒーの匂いが立ち込める。二人で同じモーニングセットを頼んで僕はコーヒー、彼は紅茶を選んだ。
料理が運ばれてくる間まだ湿っている足を乾かすようにパタパタと揺らしていた彼。
ベーグル、サラダ、目玉焼き、ウインナー。理想の朝ご飯を海岸沿いのカフェで、しかも患者と食べる日が来るとは思わなかった。
「美味しいですね。またこのロケーションが余計美味しくさせてる気がします」
「この場所気にいった?」
「はい、すごく!」
「また機会があれば連れてくよ」
そんな約束をしながらお腹を満たした。別荘に戻って帰りの支度をする。今から向かえば彼の授業の時間まで十分間に合うだろう。
車を走らせて一時間、次第に景色はビルやお店が増えていき都会の色が戻ってきた。平日の都心へ向かう道路は思いの外混んでいた。なかなか進まない道路上で立ち往生して時計を気にし始める。
「混んでるね、、学校もう少しなんだけど。間に合うかな?」
「焦らなくても大丈夫ですよ」
車に乗ってからというもの口数が少なくなった彼が窓の外を見ながら言った。
「あのー…先生」
「ん?何?」
「……先生は僕の顔が変わっていくの、、どう思いますか?」
「何、、急に?」
「"先生"って立場じゃなくて……意見が聞きたいです」
何となく患者の前では医者でいないといけないと背筋を伸ばしていたがこの時ばかりはすべて本音で話したいと思った。
「僕は……今の琉加くんがいいと思うよ」
「今の僕?」
「そう、、、僕は琉加くんが変わっていくのは寂しい」
何故そんな質問をしたのか、どの答えを待っていたのか彼の表情から気持ちが読み取れない。それでも言った言葉は紛れもない本心だった。
「……あともう一つ質問が」
「うん」
「浴室で倒れて……水をくれた時、、最後はキスしてくれましたよね、、?」
「……うん、、した」
そして突然車は動き出しスムーズに流れだした。よく見ると事故による混雑だったらしい。まだ学校に着くなと彼が止めたようなタイミングで動き出して何とか授業開始の時間10分前に着いた。
「ありがとうございました。ここで大丈夫です」
「ギリギリになっちゃたから急いで!」
「はい。あっ!先生」
「ん?」
「僕、、ファーストキスでした」
そう言って車を降りて走って校舎に入って行った。何だか急に恥ずかしさと申し訳ない気持ちになったが車を降りた彼は笑顔だった。
これもあのオイルの効果だと考えるとなかなか効果は出ているようだ。
ただまだ彼に手術を辞めると言わせた訳じゃない。何も終わってはいない。焦る思いとこの一夜の出来事を頭の中で織り交ぜながら自宅に車を走らせた。
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