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第3部 7話
ようやくエイジが店に到着した頃、既に透はビールから日本酒に切り替えていた。
一方の聖はといえば、甘すぎるバナナジュースを持て余して困っているところだ。
先程からすこしずつ飲んでは、透が使うはずだった和らぎ水をもらって口直ししている有様である。
「聖、飲めないなら貰ってやろうか?」
「うん……」
残すのも悪い気がして、聖はまだ三分の二ほど入ったままのグラスを透に渡す。
何の躊躇いもなく聖の使っていたストローでジュースを飲む透を、エイジは羨ましそうに眺めていた。
「俺が知らない間に、ずいぶんと仲良しになったもんだねぇ……」
「そうですか? 別に、もともとこんな感じだったと思いますけど」
透はすました顔で、激甘のバナナジュースを飲み干す。
いまだ聖の言動に照れたりうろたえたりする彼だが、自分からのスキンシップに限っては、今となっては慣れたものだった。
「もう、その発言がノロケにしか聞こえないよ。なに、なんかあったの?」
エイジの追及に、聖は思わず透の顔を見た。同時にこちらを向いた彼と、目が合う。
「あーあー、わかったわかった。これから長い付き合いになるんだし、仲が良いにこしたことはないからね。うん」
エイジは自分に言い聞かせながら、うんうんと頷いている。
「で、新しい事務所のことなんですけど」
ようやく本題に入ることができて、聖はほっとした。
「うん。事前に聞いていた通り、とりあえずはマネージメント委託ってことにするから」
エイジによると、他にも数組のミュージシャンが同じ形態で所属するらしい。
「やっぱり、いま一番勢いのあるのはCROWNだからね。とりあえず最初は、あいつらの専属事務所って形で名前を売っていく計画なんだ」
実際、界隈では彼らの移籍の噂はかなり広まっている。
「なんたって、あの伝説のバンドメンバーが社長だしね。話題になると思うよ」
「……え? 社長って、落合さんじゃないんですか」
透は、きょとんとした顔でエイジに聞き返した。
「あれ〜。聖ちゃん、まだ西村に言ってないの?」
話の矛先が急に自分に向かってきて、聖は焦った。
「あの、なかなか言うタイミングがなくて。ごめんなさい……」
「いいよいいよ、てっきり伝えてあるもんだと思ってただけだから。あのね、社長は松浪さんなんだよ」
しゅんとしてしまった聖を見て、エイジは慌てた様子で話を進めた。
「マジか……」
透はぽつりとつぶやくと、そのまま黙ってしまう。だが、口元があきらかにニヤけていた。
「ま、独立とは名ばかりで、実際は前の会社と繋がりもあるし。オトナの事情ってやつだね」
その後、正式な打ち合わせの日時の予定を決めたところで、エイジは別の用事があると言って帰っていった。
「相変わらず忙しいひとだなぁ」
「新事務所の準備で、あちこち飛び回ってるらしいから」
新たに注文したホワイトモカをすすりながら、聖は透の様子をうかがう。
佳祐が社長という事実は、当然だが彼にとってこの上ないサプライズとなったようだ。
だが、聖自身は複雑な心境だった。
聖にとって佳祐は恩人であり、同時にずっと片想いを続けていた相手でもある。
そしておそらく、佳祐は聖の気持ちを知りながらも、大人の対応でスルーし続けていた。
今ではもう、過去のことだ。聖はそう自分に言い聞かせ、バンド活動に意識を集中させることで彼を忘れようと努力してきた。
それなのに、ほんの短い時間逢っただけで、またかつての感情が蘇ってきてしまったのだ。
いつまでもこんなことじゃ、みんなにも迷惑がかかる。いい加減に吹っ切らなくちゃ……。
焦りにも似た気持ち。それは、聖の感情を揺り動かし、ひとつの結論へと導いていく。
たとえば――新しい恋をすれば、この引き摺る想いを断ち切ってしまうことができるのではないか、と。
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