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第3部 8話

 店の外に出て空を見上げる。それでなくても普段から見えない都会の星は、厚い雲に覆われて完全にその姿を隠してしまっていた。 「これは一雨ありそうだな。聖、どうする?」 「え?」  ぼんやりと考え事をしていた聖は、不意に問いかけられて驚く。 「この後、二軒目に行くか……それとも、その、俺の部屋で、飲み直す……?」  お酒を飲みたい、と言った手前、ここで断るのもおかしい気がして聖は迷った。  いまにも雨が降り出しそうな天気の中、わざわざ次の店を探すのも不自然だ。  かといって、いい大人が――それも、ほぼ両想いと言っていいふたりが、同じ屋根の下で酒を酌み交わすとなれば何もないほうがおかしい。    透は優しいから、告白の返事を無理に聞き出そうとはしないだろう。きっと、自分からその話題は振ってこない。  そのことが逆に、聖の気持ちを固める。 「透の部屋、見てみたいな」  あまりにもベタな返事だな、と思った途端、聖は妙に照れてしまって、真っ赤になってうつむいた。 「あー、えーっと、じゃあとりあえずバス停まで行こうか」  ちらりと透の方を見ると、彼の耳も赤く染まっていた。  これでは、まるで付き合う直前の高校生カップルだ。  歩き出した透の半歩後ろで、聖はなんとか脈拍を正常に戻そうと努力する。 「あ、ごめん」  不意に立ち止まった身体に軽くぶつかってしまい、咄嗟に謝った。   「降ってきたな」  透はちいさくつぶやくと、聖の手を取って走り出す。めずらしく強引なその行動に、彼もまたこの状況に戸惑っているのだとわかった。  思いのほか強い力で握られた手に、透の言葉を思い出す。  絶対に護ってやる、と。自分の過去も、すべてが好きなのだと、言ってくれた。  その想いに応えたい。  聖は、強くなっていく雨脚に後押しされるように、そっと決心をする。  ようやくバス停の屋根の下に着く頃には、ふたりとも雨に濡れてしまっていた。 「しまったなぁ。タクシー呼べば良かった」 「とりあえずこれで拭く?」  取り出したハンカチで手早く雨粒を払う。 「これで聖に風邪ひかせたりしたら、オレの命が危ないな」 「ふふ、へーきだよ。案外、こう見えて身体は丈夫なんだ」  不思議な高揚感に包まれて、ふたりで笑い合う。  お互いなんとなくこの後の展開を予想してしまって、照れ隠しに冗談を言うことで落ち着こうとしていた。 「聖が来るってわかってたら、ちゃんと掃除しといたのに」  行き交う車のヘッドライトを眺めながら――あるいは、そういう素振りをしながら――透がつぶやく。  聖も同じように、ぼんやりと雨で滲んだ光の筋を見つめた。    きっと、この選択は間違っていない。おれは前から彼のことが気になっていたんだし……ずっと好意を抱いていたのは、嘘じゃないんだから。  そう自分に言い聞かせる。  そんな風に思い込もうとしている、という事実には、無意識に目を背けて。  やがて到着したバスに乗り込むと、暖かい車内に気持ちが落ち着いていくのを実感した。 「そういえばさ。最初にスタジオ行った時、一緒にバス乗ったじゃん」  一番後ろに並んで座ると、透は懐かしそうに話し出す。 「あの時さ、どこ座ろうか迷ったんだよな」  聖も、その時のことははっきりと覚えていた。透が二人がけの座席を選んだので、特に深く考えず隣に座ったのだったが。 「初めて逢った時は、なんか嫌われてるのかなって思ってたから。隣に来てくれて良かった~って」  透の笑顔に、そんなこともあったな、と初対面のシーンを思い出す。 「あぁ……ごめん、おれ態度悪かったよね。あれはね、すごく緊張してたから」  ずっと気になっていた相手に紹介してもらうとなって、聖は相当テンパっていたのだ。 「聖、人見知りだもんなぁ。でもあの時はほんとビックリしたよ。オレ、モデルかアイドルかと思ったもん」 「なにそれ。まぁ、女の子と間違われるのは慣れてるから、今更そんなことで怒ったりしないけどさ」  正直なところ、いままでも散々ナンパされたり痴漢に遭ったりしているので、既に感覚が麻痺してしまっている。  それでも決して嬉しいことではないので、つい口調が荒くなった。  そんな聖を、透の優しい眼差しが見つめている。  性別を勘違いされたくらいで機嫌を損ねるなんて子どもっぽいかな、と、聖はなんだか恥ずかしくなってしまった。 「もうすぐ着くよ」  静かに告げられたカウントダウンに、聖の心拍数が跳ね上がる。  もう、迷いはなかった。  それが例え偽りの感情であったとしても、今の聖にはそのことを知る余裕はない。  頭の片隅に浮かんでは消える疑問符と、まだ過去になってはいない想いの欠片。  聖は、半身に感じる彼の体温に意識を向けることで、それらの存在に気付かない振りをしていた。

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